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水を飲む【シロクマ文芸部】

 水を飲む、の水がミネラルウォーターの意味になったのはいつ頃からだろうか。今ではご飯を炊くのもコーヒーをいれるのもミネラルウォーターという人が増えた。わたしの子供のころは何処の家にもまだ井戸があり、実家では裏庭の井戸からの水を洗濯や野菜の泥落としに使っていた。別にひいた公共の水道水を飲み水として使っていたから、蛇口が二種類あった。水道が凍って出ない日は、井戸からバケツで水を汲んで使ったこともある。

  井戸といえば、忘れられない思い出がある。フランスのアルザスに住んでいた頃、古い城見学に行ったが、そこの井戸で嬉しい響きを聞いたのだ。
 落ち葉の香りのする空気のひんやりした日だった。古城に着き、バスを降りるとそこはちょっとした見晴らし台になっていて、はるか眼下に緑色に続くぶどう畑や、よりそって建っている民家のレンガ色の屋根や、指をつきさしそうにとがった教会の塔が見えた。ふりかえると、すぐ近くの山頂に巨大なサイロのような円柱型の塔が何本もそびえているのが見えた。O城だ。15世紀に建てられ、その後土台だけを残してすっかりくずれてしまったが、100年ほど前に復元されたのだそうだ。塔の間には大小の石が巧みに組み合わされた城壁が続いていた。風が欅の大木のこずえをふるわせ、黄色の葉がかたむきかけた陽をうけて、スーラの点描画のように光っていた。

 城の中に入ると、階段の多い暗い廊下の奥に、鉄の鎧のならんだ兵士たちの部屋、大きな十字架の飾られた礼拝堂、シャンデリアのさがった集会場などさまざまな部屋が復元されていた。金髪の青年のガイドがそれぞれの部屋を流れるようなフランス語で説明してくれた。しかし、彼のフランス語は、流暢すぎて理解が追いつかなかった。
  説明を聞くのはあきらめて出口の方へ歩いて行くと、右側に小さな井戸が
あった。暗い底をのぞいていると、ガールフレンドとつれだったフランス人の青年が立ち止まった。彼はジーンズの腰のポケットから銅貨を取り出すと
井戸の上にはられた金網の間からそれを投げ入れた。
 底まで届くだろうか?
 わたしは二人と一緒に見えぬ井戸の底をのぞき込んだ。数秒後、ずっと下の深いところから、「ポトリ」、と小さな音がした。わたしたちは思わず顔を見合わせ、次の瞬間声をあげて笑い始めた。青年の目は、手柄をたてたあとのように得意気だった。

 3人の笑い声は混じりあい、低い石の天井にこだました。わたしは笑い
ながらその響きがいつまでも消えなければいい、と思った。

          おわり
      

小牧さんの企画に参加させてください。
小牧さんお手間をおかけしますがよろしくお願いいたします。


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