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晴れた日に【シロクマ文芸部】

 晴れた日には故郷の菜の花畑とれんげ畑を思い出す。東京に住むと決まった18歳の春の日、もうしばらく見ることはない故郷の景色を覚えておこうと近所の高台に上った。それは高さ20メートルほどのぽこんとした山で、ふもとに白い狐が祀られた小さな社があったので、わたしたちは「稲荷山」と呼んでいた。てっぺんからは満開の菜の花畑とれんげ畑が配色よく織られたタピストリーのように見渡せた。

 稲荷山の裏は東海道線の線路で、車輪に磨かれた4本のレールが銀色に輝きながらゆっくりと右へカーブしていた。100メートルほど先の線路わきに、実家の裏庭にあるひときわ高い欅の木が見えた。それは大人二人が抱きついても、指先が届かないほど太く、白っぽい幹にはくぼんだ傷跡があった。祖母の話だと戦争中に供出されるため刻まれた番号の痕とのことだった。見上げると枝は四方にすいと伸び、日を透かして見る葉は鮮やかな緑で美しかった。半分埋まった太い根が、大地をつかんで大木を支えていた。小学生のころ、その根っこに腰かけて本を読むのが好きだった。根っこは固く、不安定ですぐお尻が痛くなったが、「木の下で本を読む」ことにわたしは憧れていたのだ。すぐ疲れ、線路を通り過ぎる列車を見上げた。屋根のない長い貨物列車が、ゴトンゴトンと重い音を立てて通ると、あの柱につかまって風に吹かれながら旅をしたら楽しいだろうな、と想像したものだった。

 線路の土手には3月末になると蓬が生え、月遅れのひな祭りの菱餅に入れるため、10歳上の姉と蓬摘みにでかけた。地上に顔をのぞかせたばかりの白い葉裏を見せた蓬を夢中で探していると、線路の上から若い線路工夫たちが、年頃の姉にむかって「ひゅう、ひゅう」と冷やかすように声をかけた。私もその声をまねると、工夫たちは面白そうに笑った。列車が近づくと監視役がヒューと笛を鳴らし、工夫たちは線路わきで列車が通り過ぎるのを待った。そして列車が行ってしまうと、おもむろに担いでいたつるはしを振り下ろしながら、声を合わせて歌った。
 「保線の魂よいとな~我らの鉄道よいとな~」

 土手を登って線路を渡り遊びに行くこともあった。耳を澄まし列車の音が聞こえない、と判断すると素早く枕木の上を歩く。レールを飛び越えるのはちょっとしたスリルだった。土手を降り、茶畑の中の細い道をたどっていくと、秋祭りで甘酒が飲めた神社、泳ぎ場だったゆったり流れる川があった。「線路向こう」は、たった4本のレールを横切るだけだったのに、なにか別世界に行くようで胸がときめいた。

 菜の花畑もれんげ畑も消え、線路にはりっぱな柵と立ち入り禁止の看板が立った。兄の代になって実家は建て替えられ、すっかり足が遠のいてしまった。歌声の流れるのどかな春の日はわたしの思い出の中だけになった。

           おわり
 

小牧さんの企画に参加させてください。
小牧さんお世話をおかけしますがよろしくお願いいたします。


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