「娘が初めて欲しいと言ったCD」
(創作大賞応募作品)
序章
先日、車を運転しているときに、
ふと昔の曲が流れてきた。
島谷ひとみの「亜麻色の髪の乙女」。
もう二十年以上前の曲になるらしい。
懐かしいと思うより先に、
ある風景を思い出した。
まだ小学校二年生だった長女が、
助手席でその曲を口ずさんでいた頃のことだった。
当時、私はシャリオグランディスに
乗っていた。
大きめのミニバンで、
後部座席にはテレビとビデオが
付いていた。
子どもたちが乗ると、
たいていディズニー映画が流れていた時代だった。
そんなある日、
近所のショッピングモールで、
長女がCDを欲しいと言った。
それが、「亜麻色の髪の乙女」だった。
小学校二年生だった娘が、
歌詞の意味をどこまで理解していた
のかは分からない。
でも、テレビCMでも
よく流れていた曲だったし、
明るいメロディと覚えやすい歌詞が
好きだったのだと思う。
それからしばらくの間、
車に乗るたびに、そのCDが
流れるようになった。
助手席に座った娘は、
CDをセットして、流れてくる曲に
合わせて小さな声で歌っていた。
買い物へ行くときも、
少し遠くの公園へ出かけるときも、
同じ曲が流れていた。
いま思えば、あの頃の車の中には、
家族の時間が詰まっていた
のだと思う。
この話は、そんな頃の記憶である。
第一章 助手席の娘
長女は、小さい頃から、
私の車に乗るときは
いつも助手席に座りたがった。
まだ体も小さく、
シートに深く座ると足が少し浮いて
いるような頃だった。
それでも、自分でシートベルトを
引っ張って、一生懸命はめようと
していた記憶がある。
車に乗ると、まずCDを入れる。
ケースから慎重に取り出して、
プレーヤーへセットする。
そして流れてくるのは、
いつも「亜麻色の髪の乙女」だった。
いま思えば、シングルCDだったので、
流れる曲数はそれほど多くなかった。
だから、同じ曲を何度も
繰り返し聴いていたのだと思う。
それでも娘は飽きることなく、
窓の外を見ながら、
小さな声で歌っていた。
私は運転しながら、
その歌声をなんとなく聞いていた。
買い物へ行くとき。
少し遠くの公園へ遊びに行くとき。
休みの日に、家族で郊外まで
ドライブするとき。
シャリオグランディスの車内には、
いつもあの曲が流れていた。
後ろの席では、
妹や弟がテレビを見ていた。
にぎやかな時もあれば、
いつの間にか寝ていることもあった。
でも、助手席の長女だけは、
最後まで起きていることが多かった。
私と長女は、
どこか似ていたのだと思う。
血液型も同じだったし、
物事を考えるペースも、
少し似ていた。
三人の子どもの中でも、
いちばん自然に会話が続いていた
気がする。
当時は、そんなことを特別に
意識していたわけではない。
ただ、それが当たり前の日常だった。
いま振り返ると、
あの頃の車の中には、父親としての
時間が静かに流れていたのだと思う。
第二章 少しずつ変わっていった時間
子どもたちが小さい頃、
休日になると、できるだけどこかへ
連れて行こうとしていた。
大きな遊園地ではなくてもよかった。
少し広い公園や、
郊外のショッピングモール、
それだけでも子どもたちは
嬉しそうだった。
車の中では、
相変わらず「亜麻色の髪の乙女」が
流れていた。
長女は歌を口ずさみながら、
窓の外を眺めていた。
その頃の私は、
まだ子どもたちと過ごす時間を、
当たり前のように思っていた。
でも、時間が経つにつれて、
生活は少しずつ変わっていった。
私は転職して、
営業の仕事をするようになった。
県外へ行くことも増え、
家を空ける時間が長くなった。
気がつけば、子どもたちと
過ごす時間も、以前より減っていた。
もちろん、
その頃は仕事に必死だった。
家族のために
働いているつもりだったし、
それ以外を考える余裕も、
あまりなかったのだと思う。
それでも、家に帰ると、子どもたちは少しずつ大きくなっていた。
いつの間にか、助手席で歌っていた娘も、中学生になっていた。
県内で最初にできた中高一貫校へ進み、部活ではハンドボールに夢中になっていた。
練習で疲れて帰ってきても、
どこか明るかった。
友達の話をしたり、学校のことを
話したりしていた記憶がある。
私は、それを聞きながら、
ただ「大きくなったな」と思っていた。
でも、その時間も、
振り返ればあっという間だった。
子どもは、思っている以上に
早く大人になっていくのだと思う。
第三章 大阪駅で待ち合わせた日
長女は、高校を卒業したあと、
大阪の大学へ進学した。
家を出て暮らすようになってからは、
以前のように毎日顔を見ることもなくなった。
それまで当たり前だった時間が、
少しずつ変わっていった。
その頃には、私自身も家族との
距離が以前ほど近くない時期だった。
何が正しくて、
何が間違っていたのか、
よく分からなくなっていた
頃でもあった。
それでも、
娘とは時々連絡を取っていた。
ある日、大阪へ行く用事があり、
長女と大阪駅で待ち合わせをした。
人の多い駅だった。
待ち合わせ場所で娘を見つけたとき、
少し不思議な気持ちになった。
昔、助手席で歌を口ずさんでいた
小さな子どもが、もう一人で大学へ通う大人になっていた。
一緒に焼肉を食べた。
何を話したのか、
細かいことまでは覚えていない。
大学のことや、アルバイトのこと、
そんな普通の話だった気がする。
でも、その時間は不思議と静かで、
穏やかだった。
親子だからといって、いつも近い距離にいられるわけではない。
時間が経てば、少しずつ形は変わっていく。
それでも、完全に切れてしまう
わけではないのだと思った。
別れ際、
娘からボールペンをもらった。
黒と赤と青の三色が使える、
少ししっかりしたペンだった。
「仕事で使って」
そんな言葉だった気がする。
当時の私は、離婚したあとで、
自営で仕事をしていた頃だった。
先のこともよく分からず、
どこか落ち着かない時期だった。
だからあのペンは、
ただの文房具以上に嬉しかった
記憶がある。
娘の後ろ姿を見ながら、
ふと昔のことを思い出していた。
シャリオグランディスの助手席で、
「亜麻色の髪の乙女」を歌っていた頃のことを。
第四章 娘は、母になった
いま勤めている会社は
羽曳野市にある。
後になって知ったが、
長女の通っていた大学は
隣の富田林市だった。
当時はそんなことも知らなかった。
振り返ると、親子というのは、
不思議と近い場所を生きているものなのかもしれないと思うことがある。
長女は、大学を卒業してから、
特別支援教育の仕事に就いた。
小さい頃から、どこか人に
優しいところがある子だった。
明るくて、よく笑って、
それでいて周りのことを
ちゃんと見ていた。
だから、今の仕事は、
どこか長女らしい気がしている。
一昨年、長女は結婚した。
そして、子どもも生まれたらしい。
写真でしか見ることは
できていないが、小さな命が
また新しく家族の中に加わった。
時間は、
本当に流れているのだと思う。
かつて助手席で歌を口ずさんでいた娘が、いまは母親になっている。
不思議な感覚だった。
いまの私は、すぐに孫を抱けるような状況ではない。
それでも、
どこかで元気に暮らしていてくれれば、それでいいと思っている。
長女とは、
いまでも何か用事があるときに
連絡を取ることがある。
直接会う機会は多くなくても、
完全に離れてしまったわけではない。
それだけで、
少し安心することがある。
最近、車を運転していると、
ときどき昔の曲が流れてくる。
そのたびに、
ふと助手席の風景を思い出す。
小さな娘が、
窓の外を見ながら歌っている。
シャリオグランディスの車内に、
同じ曲が何度も流れていた頃。
あの時間は、もう戻ってこない。
でも、
なくなってしまったわけでも
ないのだと思う。
いまでも、
ちゃんと記憶の中に残っている。
だからもし、また会うことがあれば、
そのときは、音楽の話でもしてみたいと思う。
昔よく車で聴いていた曲のことを、
何気なく話せたら、それで十分な気がしている。
そして、
あのとき大阪駅でもらった
三色ボールペンを、私はいまでも
時々使っている。
