「修学旅行」もとい、「探究旅行」を終えて
修学旅行の引率。教員12年目にして、初めての経験である。
思い返せば17年前。僕の修学旅行は今住んでいる「沖縄」だった。那覇空港へ降り立った瞬間の蒸し返すような湿度、突き刺すような紫外線、街路樹に見慣れた柊木の葉はなく、路傍に咲くハイビスカスとヤシの並木を見て、本当に南国に来たんだと心踊ったあの頃の記憶は、今でも鮮明に覚えている。
庭の畑から採れたての島らっきょうを振る舞ってくれた口下手なおばあ、たまたま入った沖縄そば屋で三線を弾かせてくれたおじい、いつもより何だか機嫌の良い先生たちの笑顔を、東京では見たこともなかった青過ぎる海の景色と共に、昨日のことのように覚えている。
その思い出と共に、僕はいつか沖縄で暮らそうと決めたのだ。
サザンビーチホテルに着いて早々、部屋のベッドの上に立ってクラスメイトと島唄を熱唱した。あの頃の自分のテンションを考えると、200名の引率は恐怖でしかない。頼むから、事故だけは起こさないでほしいという不安な気持ちの中で、彼らの笑顔や微笑ましい光景に、涙腺の緩んだ4泊5日だった。
山奥でしか味わえない積雪へのダイブ、石油ストーブの空気を送り込んだこたつ、芯まで冷え切った体に染み入る硫黄泉の温もり、粗暴なようで優しさを感じる東北訛りは、スキーによる内股の筋肉痛と共に脳裏に刻まれた筈である。
この子たちも、この時の記憶がこれからの人生の下支えになっていくのだ。
「この旅行中は、極力、叱らない。」
職場でも偶に服用する「抑肝散(癇癪を鎮める薬)」を5包も持参して臨んだのだ。騒がし過ぎる初日のバス移動で早速飲んだ。
時間を忘れて過ごしてしまうのは、元気がある証拠だ。今目の前のこの瞬間が、この子たちにとっては全てなのだ。そんなやる気を、自分は随分前に失くしてしまったと思う。
ディズニーに浮き足立つ生徒たちを相手に、ホテルへの帰還が遅れたことを教頭から叱るように言われたが、そんな野暮なこと言うなよ…と思ったのが本音。
津波に流された荒地に沈んでいく夕日を、大平山から感慨深く眺めていた彼らの表情を、僕は信じたい。大事な時には、わきまえる子たちなのだ。
時間厳守はクラシックな教育スタイルで立派だが、結果論の頭ごなしな指導は空回りだ。ネチネチした説教は、もう時代錯誤である。
那覇空港で子どもたちから、「引率、お疲れ様でした。」と声をかけられ、もうすっかり大人なのだなと思った。移動と待ち時間でヘトヘトの筈である。こちらに気を配れるなんて見上げた精神力だ。
皆、中1で国語を教えた子たちだ。しみじみする反面、寂しくもある。卒業まで愈々一年を切った。
「いつまでも、子どものままでいてね」
ネバーランドアドベンチャーでピーターパンに掛けられた言葉が反芻している。
子どもを「教え導く」という大層な理想を掲げるより、子ども目線の気持ちを忘れないことが何よりの教育ではないだろうか。
同じ気持ちで楽しみ、同じ温度感で側にいられるよう、若い頃の気持ちと情熱を忘れずにいたいと思った。
