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セレナと優しい探偵 山本優希~ほのぼのミステリー~第2話「セレナの傷と、屋根裏の手紙」

 七月の日曜日。中津川支店の事務所。

 月初の締め会の翌日で、支店は穏やかな空気に包まれていた。野中章二支店長が、朝礼で今月の目標を確認した後、各自がデスクワークに取りかかる。

 山本は、見積書の作成をしていた。隣のデスクでは、服部茂が顧客リストを整理している。セカンドキャリアでこの業界に飛び込んできた年配の新人だ。エースリフォームには定年制度がない。だからこそ、服部のような挑戦者が集まる。

「山本くん、この見積もりのフォーマット、どこにあるか教えてもらえるかな」

「あ、はい。服部さん、こっちのフォルダです」

 山本は立ち上がって、服部のパソコンの横に回った。穏やかに、丁寧に教える。年上の新人に対しても、偉ぶることなく、かといって卑屈にもならず、自然体で接する。それが山本の良いところだった。

 事務の二村さんが、お茶を持ってきてくれた。

「山本くん、服部さん、お茶どうぞ」

「ありがとうございます、二村さん」

「いつもすみません」

 二村さんは誠実で気配りの細やかな人だ。支店の潤滑油のような存在である。


 昼前、山本のスマートフォンが鳴った。

「山本さん? 恵那の木村です。ちょっと困ったことがありまして……」

 木村幸一さん。六十代後半、恵那市大井町に住む一人暮らしの男性。半年前に屋根の葺き替え工事を担当した顧客だ。奥さんを五年前に亡くし、以来一人で暮らしている。

「木村さん、お久しぶりです。どうされましたか」

「実はね、屋根裏に上がったんですよ。この前の台風で雨漏りがないか確認しようと思って。そしたら、見たことのない箱が置いてあったんです」

「箱?」

「ええ。古い木箱で、中に手紙が何通か入っとった。でも、私の知らない手紙なんです。宛名も差出人も、見覚えがない」

「それは……前の持ち主のものとか?」

「いや、この家は私が三十年前に新築したんです。前の持ち主はおらん。それに、箱は屋根裏の断熱材の上に置いてあった。半年前の工事のときには、なかったはずなんですが……」

 山本は少し考えた。半年前の屋根工事のとき、屋根裏には確かに入っている。そのときに箱があったかどうか……正直、記憶が曖昧だ。

「木村さん、今日の午後、お伺いしてもいいですか」

「ああ、助かります。一人で考えとっても分からんもんで」


 午後一時。山本はセレナを木村邸の前に停めた。

 車を降りるとき、ふとボディの左側面に目が行った。先月、狭い路地でこすってしまった傷がある。薄い線状の傷。修理に出そうと思いながら、まだ出していない。

 セレナは、山本の不注意の歴史を刻んでいる。前の車は中央分離帯に激突して廃車。今の車も、あちこちに小さな傷がある。運転が下手なわけではない。ただ、考え事をしていると、つい注意が散漫になる。

 それでも、セレナ以外の車に乗ろうとは思わない。

 木村邸は、閑静な住宅街の一角にある平屋建てだ。半年前に葺き替えた屋根は、新しい瓦が陽光を受けて艶やかに光っている。

「山本さん、来てくれたか。上がってくれ」

 木村さんは、白髪の穏やかな男性だ。元教師。退職後は庭いじりと読書で日々を過ごしている。

「これが、その箱です」

 リビングのテーブルの上に、古びた木箱が置かれていた。桐製だろうか。蓋には何も書かれていない。

 山本は箱を開けた。中には、封筒が五通。いずれも古い便箋に、万年筆で書かれた手紙が入っていた。

「拝啓 幸一様――」

 宛名は「幸一」。木村さんの名前だ。

「木村さん、これ……宛名はあなたのお名前ですよ」

「え? 本当か」

 木村さんが眼鏡をかけ直して、手紙を覗き込んだ。

「……この字は」

 木村さんの顔色が変わった。

「これは……家内の字だ」

「奥様の?」

「間違いない。この癖のある『幸』の字。家内の字だ」

 山本は黙って、木村さんが手紙を読むのを見守った。

 一通目。二通目。三通目。木村さんの目に、じわりと涙が浮かんだ。

「……家内が、私に宛てて書いた手紙だ。日付は……亡くなる一年前から、半年前まで」

「つまり、闘病中に……」

「ああ。私に渡せなかった手紙を、書き溜めていたんだな。でも、なぜ屋根裏に……」

 山本は考えた。奥さんが亡くなったのは五年前。手紙が書かれたのは六年前から五年半前。そして、箱が屋根裏に置かれた時期は……。

「木村さん、奥様が亡くなった後、どなたかがこの家に来て、屋根裏に上がる機会はありましたか」

「屋根裏に? ……ああ、三年前に、義姉が来たことがある。家内の姉だ。遺品の整理を手伝ってくれて……そのとき、屋根裏の収納も確認すると言っていた」

「その義姉さんは、この箱のことをご存じかもしれませんね」

「……そうか。家内が義姉に託したのかもしれん。『いつか渡してほしい』と。でも義姉も、タイミングが分からなくて、とりあえず屋根裏に置いたのか……」

 木村さんは手紙を胸に抱いた。

「山本さん、ありがとう。義姉に連絡してみるよ」


 三日後、木村さんから電話があった。

「山本さん、義姉に聞いたよ。やっぱりそうだった」

「やはり、奥様が義姉さんに託されていたんですね」

「ああ。家内が『私が死んだら、いつかこの人に渡してほしい。でも、すぐじゃなくて、この人が一人の生活に慣れた頃に』と言っていたそうだ。義姉は三年前に持ってきたけど、直接渡す勇気がなくて、屋根裏に置いたらしい。いつか私が見つけるだろうと思って」

「……素敵な奥様ですね」

「ああ。手紙にはな、『ちゃんとご飯を食べてね』とか、『庭の紫陽花、今年も咲いたかしら』とか、そんなことが書いてあるんだ。最後の一通には、『ありがとう。幸せだったよ』と」

 山本は、電話口で言葉を失った。

「山本さんが屋根の工事をしてくれたおかげで、私は屋根裏に上がる理由ができた。そして、家内の手紙を見つけることができた。これも何かの縁だな」

「木村さん……」

「ありがとう、山本さん。あんたは優しい人だ。その優しさを、これからも大事にしてくれよ」


 電話を切った後、山本はしばらく動けなかった。

 亡くなった人からの手紙。届くはずのなかった言葉が、時を超えて届く。

 山本は、姉のことを思った。早くに亡くなった姉。姉は、何か伝えたいことがあっただろうか。書き残した言葉が、どこかにあるだろうか。

 ……たぶん、ない。姉の死は突然だった。準備する時間はなかった。

 でも、だからこそ。

 今、目の前にいる人に、伝えるべきことは伝える。聞くべき言葉は聞く。それが、山本にできることだ。

 スマートフォンが鳴った。池田からだ。

「山本、今日の夜メシ、ラウンジMで飯行かね?」

「あ、行きます行きます」

「よし。中谷さんと服部さんも誘うわ」

「はい。……池田さん」

「ん?」

「いや、なんでもないです。また後で」

 本当は、「ありがとうございます」と言いたかった。この会社に誘ってくれて。居場所を作ってくれて。でも、面と向かって言うのは照れくさい。

 山本はセレナのエンジンをかけた。左側面の傷が、夕日に照らされて光っている。

 傷だらけのセレナ。でも、この車が好きだ。傷があっても、走れる。前に進める。

 人も、きっとそうだ。

 山本優希は、今日もセレナで、次の現場へ向かう。

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