私の応援歌

「新宿の女」は、今は亡き藤圭子のデビュー曲である。 
 歌詞は次の様である。
1
私が男になれたなら
私は女を捨てないわ
ネオン暮らしの蝶々には
優しい言葉が沁みたのよ
バカだなバカだな
騙されちゃって
夜が冷たい新宿の女
2
何度もあなたに泣かされた
それでもすがった
すがってた
誠尽くせばいつの日か
わかってくれると
信じてた
バカだなバカだな
騙されちゃって
夜が冷たい新宿の女
3  
あなたの夢みて
目が濡れた
夜更けのさみしいカウンター
ポイとビールの栓のよに
私を見捨てた人なのに
バカだなバカだな
騙されちゃって
夜が冷たい新宿の女

これは、私の応援歌である。この歌を歌う時私は客観的になれる。なぜか。それはこの歌が私にはとても仏教的に響くから。
つまり、この歌は、特定の女性や特定の場所についてだけでなく、この濁世の凡夫について歌っているように感じられるから。私にそして他の誰にもあてはまるかのように聞こえる。
 騙されるのは、自分の愚かさが招くのであって騙す方は因縁があっただけである。
まさに、最後の句を
「バカだなバカだな
騙されちゃって
夜が冷たいこの娑婆の人よ」
このように歌い変えれば、それは仏様から見た私の愚かさを歌っているようだ。愚痴、瞋恚、貪欲の三毒が過不足なく備わった私のことについて歌っている。浄土教で言うところの「煩悩具足の凡夫」である。三毒まる抱えの私である。
 「何度もあなたに泣かされた。それでもすがったすがってた。」泣かされたり、すがったりするものは、単に人とは限らない。金しかり、名誉、名声しかりである。
 「ポイとビールの栓の様に私を見捨てた人なのに。」
簡単に人は見捨てるが、仏様は見捨てるどころか摂取不捨である。収めとってお救いになる。追いかけててでも。ところが、現実は反対だ。しかし、どちらか現実なのかはわからない。むしろこの世がこの娑婆が転倒しているのかもしれない。
 仏様の真心の御本願にすがるべきなのにそれはしない。したとしても他にもすがる。まさに、「バカだなバカだな」である。
誠尽くす相手がそもそも間違えている。ふたごころなく、心をひとつにして完全にお任せするのは、仏様の仰せに対してのはずなのにそれができない、しない。
だから夜が冷たい、暖かさのない闇である。夜が明るい新宿だが、内実は闇夜の娑婆である。その闇夜の新宿の娑婆で、この歌で大歌手となった藤圭子は、様々な娑婆の苦悩を経験し、心を患い身を投げ自ら命を絶った。歌手として新宿に生まれそしてその新宿で亡くなった。
 我々の人生もそうである。人として目出たくこの世に生まれ、この世で単に命終わるならば、この歌に描かれた人生と同じである。
 人としていのち恵まれ、そのいのちを生き、いのち尽きた時には新たないのちに生まてこそこの世に生まれた意味がある。
 この歌は、そんな大事なことを教え、私を呼び覚ましてくれる応援歌である。私は歌う。煩悩にまみれた自分を見る時、
「バカだな、バカだな騙されちゃって、夜が冷たいこの娑婆の人よ」と。

 




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