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読み切り小説【対決】

 

*あらすじ*


 事件発生は真夏。
 
 東海地方の過疎の村で小学生集団傷病事件が起きる。

 村唯一の病院の老医師診断で傷病の原因は熱中症とされるが、その判断に疑問を持つ県警の刑事が治療にあたった老医師を取り調べる。

 診療所の院長室で向かい合う刑事と医師。時に厳かに時に大胆に、相手の出方を伺い、腹を探りつつ、言葉の火花を散らす男対男。

 そして明らかになっていく、この村に伝わる忌まわしい事実と、あの歴史的史実の裏に埋もれていた悲しい真実。
 
 開示?秘匿?互いの譲れぬ倫理と正義と意地が正面切ってぶつかり合う。
       
 
 真実の行き付く先は何処に!?

*******

 

 私は刑事である。
 
 岐阜県警察本部生活安全部に所属し、主に未成年の少年少女が関与、または巻き込まれる犯罪の事件捜査と事後対応に当たっている。

 その私は今、滋賀県との県境にある深刻な過疎が進む山村で、数週間前に起きた【小学生集団傷病事件】の追従捜査のため、患者である五名の小学生の治療に当たった村唯一の病院の院長を尋ねるべく、覆面パトカーでつづら折りの山道を走っている。

 時節は九月の初旬。盛夏の八月も終わったとなれば、本来なら窓を全開にして爽やかな秋風を車内に取り込みつつ、ロングドライブと洒落こみたいところであるが、現実では窓を全開などもってのほか。

 一分のスキも無く窓を閉め、エアコンを効かせて涼をとらねば暑さは凌げない。全く以てここ数年の異常ともいえる気象現象は、この国の売りであった四季の味わいを全く無にしている。
 
 そんな異常気象条件下で起きた事件の概要は以下の通り。
 

 岐阜市内の絵画教室に通う生徒20人が、八月の初旬に夏休みの課外実習で、植生豊かな大湿原で近年脚光を浴びつつあるこの村を訪れた。

 滞在期間1週間。下は小学生から上は高校生までの20名が村の公民館に寝泊まりし、それぞれ好みの風景を描くのが目的だったが、事件は三日目の午前中に起きた。

 参加生徒のうちの小学生五人がグループになり、気に入りの写生場所を探すべくハイキングコースを散策中に、五人全員が突然頭痛を訴え卒倒、地元の病院に運び込まれた。
 
 幸い適切な治療を早期に施されたことで五人の児童は回復。原因は治療に当たった病院長の見立てにより、当時38度に迫る外気温による突発性の熱中症と判断された。

 所轄警察署と地元消防も事件性確認の為の初動捜査にあたっているが、ここ数年社会問題化している真夏の外気温の異常な高さや、治療にあたった院長の見立てに何ら不審な所も見られず、幸い児童の回復も順調なことから事件性は無いと判断、この集団傷病事件は一応の解決は見た。

 だが、県警に上がって来た報告書に目を通した私の、長年のデカ稼業で否応なく研ぎ澄まされたアンテナは、生徒五人の集団熱中症問題に疑義の臭いを感じ取った。

 たとえば報告書には、倒れた五人の児童はいずれも麦わら帽子をかぶり、ハンディファンを持ち、首元を冷やすネッククーラーを嵌め、水筒もきちんと持参しているとなっている。つまり事前に熱中症対策の手は打っているわけだ。

 また、児童五人全員がほぼ同時に昏倒したのも腑に落ちない。ひとりふたりが倒れたのならわからないでもないが、まるで伝染病のように熱中症の症状が、瞬時にその場のグループ全員に伝播するというのはあり得るのだろうか?

 これらの点から、私にはこの集団頭痛の原因が単なる熱中症には思えなかった。肝心の原因は他にあるのではないか?

 その疑義の裏付けになりそうなヒントを、私は報告書から見つけたのだ。

 それは体調回復後に所轄捜査員の聴取を受けた、最上級生の六年生の児童の、昏倒直前の自身を含むグループ全員の様子についての証言だった。

 その児童曰く…

 写生するところを探してみんなで歩いていた時、気が付いたらハイキングコースから外れていて、入っちゃいけないって注意されていた草むらに入っちゃって、大急ぎで引き返していたその時に頭が痛くなり、でもほかのみんなも頭が痛いって言って、早く先生の所に戻ろうと思ったんだけど、途中で痛くなりすぎてみんな倒れちゃった……。

 気が付いたらコースを外れて入っちゃいけない場所に入っちゃった、と証言がある。おそらく児童らは道に迷ったのだろうが、入ってはいけないと注意されていた場所とはどんな場所なのだろうか?

 私は報告書添付の現場写真を見直した。すると数枚の写真に、地面に等間隔で杭が打たれて、その間を「虎ロープ」の通称で呼ばれる黒と黄色のまだらのナイロンロープが張られている様子の写真があるのを確認した。

 このロープが子供の言った「この奥は入っちゃいけない場所」を表わす境界の印なのか?

 だが私には禁止規制の管理が手ぬるく甘いと感じた。なぜなら現場写真を見るとロープがピンと張られて明確に立ち入り禁止を表わしている写真は多く無く、たいていは杭が傾いて張られているロープが緩んでいたり、中にはロープが完全に切れて地面に放置され、境界そのものがわからなくなっている箇所を写した写真もあったからである。

 私は市販の精密地図上で児童の歩いたルートを辿ってみた。すると虎ロープで区切られているであろう場所は、指定ハイキングコースに沿うように存在していることがわかった。 

 証言を基にすると五人の児童は写生ポイントを探しているうちに、誤ってコース外の立ち入り禁止区域に足を踏み入れてしまったと思われる。そして集団頭痛事件はその周辺で起きている。 

 当初児童が歩いていたのは紛れもなく指定ハイキングコースだったが、得てしてああ云う場所は何処も同じような草原の風景が続くものだから、明確に境界を示してない以上、道に不慣れな子供たちが道を間違えたとしても致し方ない部分はあるだろう。 

 報告書に立ち入り禁止地域の詳細は書かれていない。それに写真でわかるように几帳面に管理されていないようだから、立ち入り禁止を謳っていても、実態はそれほど深刻な個所ではないのかもしれない。

 たとえばロープより先は足元が悪すぎたり、人間の背の高さを超えるほど深い繁みだったㇼ、熊や蛇などの生息地域だったㇼなどがせいぜいの理由と思われるが、もしも、もしもであるが立ち入り不可の理由が人体に悪影響をもたらす何かの存在だとしたら?

 自分の論理が突飛で飛躍し過ぎなのは承知だが、現役のデカである自分にとって、これだけ疑問点や違和感を感じ得ない事件を、単なる熱中症事件で終わらせることはできない。

 私は、関係者への聞き取りや現場再検証を含む再捜査の必要性を上司に具申し、渋る上司を何とか説得してひとりで調べ始めたものの、再捜査は困難を極めた。

 改めての聞き取りと言っても被害者は五人の小学生のみ。事件発生後、漸く気力も体力も回復したであろう児童に辛い事件を思い起こさせるのは、精神衛生上よくないので込み入った話はできず。

 かと言って大人の関係者は誰ひとり被害にあっていないので、念のための聞き取りも大した成果は得られず。

 しかも最大の謎である立ち入り不可の場所についての情報は、不思議なことにどこをつついてもそれに関する目ぼしい記述は見当たらず、所轄署以上の有意義な情報に辿りつくことはできなかった。

 大見得切って具申にしたにもかかわらず、このレベルの情報しか集められなかったとなれば、現地に出向いての再検証どころか再捜査即刻中止の断が下るのは必至。

 何とかしなくては!と半ば意地になって聞き込みを続けていた矢先、救いの神とも思える解明の糸口がもたらされた。それは岐阜市内の老人医療施設に数年前まで例の過疎の村に住んでいた女性が入所しているらしいと言う値千金の情報だった。

 その女性は村で生まれ育ち結婚し家族を持つも今はひとり身となり、自身の体調も考えて村を離れて今の施設を終の棲家に定めたとの事。

 つい数年前まであの村に住んでいたのであれば、立ち入り不可の場所についての得難い情報をもたらしてくれるかもしれない。私は藁をも縋る思いで施設を尋ねた。

 その結果は吉と出た。しかもかなり有力な証言を得られたのだ。

 聞き出すのにかなり難儀はしたが、少なくともこの情報があれば現地に出向いての二次捜査も有利に働くはずだ。

 この後は入手した情報を手に児童が担ぎ込まれた地元病院を訪ね、熱中症の診断を下した病院長に直接聞き取りを行うのだ。

 発症直後に最も近くで児童と関わっているのだから、具体的な児童の容体の真実を知らぬわけはない。院長に直接事情聴取することが真相究明につながると信じて、私は病院に連絡し院長との面会のアポを取った。

 実は院長は最初は面会を渋っていた。一応は解決を見たこの事件に、まさか県警が乗り出してくるとは思わなかったらしい院長は、終わったことですのでお断わりするの一点張りだったが、これは警察の適法な捜査です!の文言で強引に説き伏せた私は約束のこの日、同県内でありながら生まれて初めて足を踏み入れることになる、県境のその村に向かって車を走らせていた。

 「ここだな」

 つづら折りの山道をようやく抜けると視界が開け、ほどなくして赤茶けたレンガ積の二階建ての建物が目に留まった。

 病院前の駐車場に車を止めて腕時計を見ると午後2時数分前。何とか予定通りに到着できたまずは安心。車から降りて歩いてすぐの病院の入り口前に立つと、扉のノブに診察終了のプレートがぶら下がっている。

 室内の様子は内側からカーテンが敷かれているので何も見えないが、隙間から灯りが漏れているので消灯はされておらず、歓迎されているとは思えぬが準備だけはされているようだ。

 扉を少しだけ押してみる。施錠されておらず簡単に開いた。私は室内に向かって挨拶の声掛けをしながら、自分の身体が入るだけ扉を押し開き、カーテンをめくりあげながら室内にその身を潜り込ませた。

 そこは医院の待合室。来院者用の長椅子や受付カウンターなど、どこにでもある設えで違和感を感じる箇所は何処にもない。物音ひとつ無い室内に断続的に響く機械音はエアコンの作動音か。道理で涼しいと思った。

 院長との面会の日は病院の午後休診の日を指定されていた。2時過ぎなら後片付けも書類整理も済み、通いの医師も看護師も帰宅しているので誰もいないから好都合だと言われていた。

 その通りで室内にはスタッフも患者も誰ひとりいない、病院独特の薬品臭が漂う中、薄気味悪いほど静かな空間が広がる。

 「こんにちは、お約束通り参りました岐阜県警察の者です。院長先生はおられますか?」

 私は誰もいない空間に向かって少し声を張って呼びかけてみたが、どこからも返事はない……

 辺りを見回すも人の気配はない。午後2時以降なら誰もいないと言ったのは院長だ。そして無人のこの空間は相手の領域。そこへ自分は単身乗り込んできている。

 自分は疑惑の真意を確かめにこの地に来た。もしも相手が不都合な何かを隠していて、その隠蔽のためにこちらの不安感をあおるような状況をわざと作り上げているとしたら……考え過ぎだろうか?

 イヤ、院長は最後まで面会を拒んでいた。あれはやはり何か不都合な真実があると見るべきではないか。だとしたら初っ端から相手のペースに乗せられてはいけない。

 これでも私は、その昔は県警捜査一課の刑事(デカ)だった。わけあって今は生活安全部に籍を置くが、一課在職時代にはタタキやコロシなど凶悪犯を相手にしてきた経験も自負もある。怯むなどクソくらえだ。よ~し、もしも隠れているなら今度は怒鳴り声をあげていぶり出してやる、と思ったその時だった。

 パタンパタンパタン…と規則性のある乾いた音が耳に届いた。音のする方を見やるとそこは階段。この医院は二階建て、パタンの音はスリッパが鉄骨階段の踏面を叩く音。誰かが上から降りて来る。

 「いやあ、お待たせしてすんませんでしたなぁ」

 気合を込めた自分が拍子抜けするほどの呑気なセリフで目の前に現れた男性は、白衣のポケットに片手を突っ込んだスタイルで柔和な笑顔を私に向けながら、もう片方の手を軽く上げた。

 「二階のワシの部屋の窓から見慣れない車が見えたもんでの、刑事さんが約束通りの時間にご入来と思って迎えに出ようと思った矢先、娘から今日の晩飯どうするか?の電話があってな、アンタの挨拶は聞こえてたんじゃが電話を切るタイミングが難しくてな」

 この老人が院長か。報告書には年齢八十歳と書いてあったはずだ。白髪に口の周りにも白いひげを蓄えてはいるが、まだまだ活舌もよくはきはき喋り、背筋もピンと伸びた柔和な表情の好々爺の装いだ。

 「こんな田舎までこんまい事件のことで、キミもご苦労さんですな」

 「お労い恐縮ですが仕事ですので」

 「アンタ」の次は「キミ」と来たか。自分のオヤジくらいの世代だから「アンタ」でも「キミ」でも問題はないが、初対面のそれもデカである自分をそう呼ぶとはなかなか豪胆。

 無意識なのか、年下の若造と思ってこっちを甘く見てるのか……まあいい、じっくり見定めてやる。

 「あらためて院長先生、今日はわざわざお時間をお造り頂きありがとうございました。私は岐阜県警察生活安全部に籍をおく……」

 私はあえて言葉遣い丁寧に応対し、まず名刺を差し出し、次に二つ折りの警察手帳を院長の前で開いて、顔写真の部分を見えるように掲げて自分の身元をきちんと明かす。

 「ワシの名刺は2階の院長室にあるもんでそっちへ行こうか、それにこの場所は禁煙スペースなもんで喫煙はできん。院長室なら喫煙大丈夫じゃよ」

 「院長、お心遣いはありがたいのですが、私は……」

 タバコは吸いません、と嘘を言おうとした矢先だった。

 「隠さんでもいい、上衣からニコチンの臭いがしとる」

 (えっ?)

 「娘やスタッフに白い目で見られるがワシも吸うから構わんよ。ついてきなさい」

 命令口調で言うや否や院長は踵を返して、さっき降りてきた階段をまた上がり始めた。言われるがままに自分もそのあとに付いて階段を上がる。 

 院長の指摘の通り自分も愛煙家。嫌煙ブームの昨今、人と会う際は控えるように心がけているものの、頭髪や衣服にニコチンの匂いが付いている可能性はあるっちゃあるんだが、このジイサン気づいてたのか。

 瞬時に嗅ぎ取って指摘するなど、頭の回転や五感もまだ衰えてないようだ。見た目は人の好さげな好々爺だが、その印象とは違って一筋縄でいきそうにないな。こちらも注意せねば。

 気持ち引き締めつつ院長の後をついて階段を上った私は、二階廊下奥の院長室に案内された。

 「さ、お座りください。今、茶でも入れますわ」

 お構いなくと言いながら私は、部屋中央にセッティングされている応接セットのソファーに腰を沈めた。ふかふかのソファーの座り心地は中々イイ。

 さりげなく室内を見渡すと書類ラックやサイドボードなど、事務スペースならどこにでもありそうな既製品が並ぶが、唯一窓を背に置かれている院長の執務机はかなりの高級品と見た。おそらく黒檀だろう。なかなかの年代物と見受けられ、いい色合いに錆びている。

 院長は部屋の隅の給仕スペースで電気ポットから急須に湯を注ぎ、二人分の湯呑み茶碗を盆にのせて戻って来ると、私の目の前のガラステーブルに緑茶が注がれた湯呑みを置いた。

 「どうぞ」

 「どうも」

 私は湯呑みに口を付けてひと口啜る。9月の声を聴いても外気温は真夏のそれと変わりないが、猛暑のさなか涼しい部屋で飲む温かい緑茶は嫌いではない。

 院長は、失礼するよとテーブル上のシガーケースから葉巻を取り出すと目の前で咥えて火をくべ、うまそうに紫煙を吹き上げた。

 「君はやらんのか?」

 「勤務中は控えています」

 「そうか…まあ遠慮は無用だと言っておこうか」

 相手の言うがままになってはいけない。どこかで自分の意思を見せつけないと。たとえ些細なことでも主張しないといけない。

 ここは院長室じゃない。県警の調べ室だ。相手の領域じゃない。自分のテリトリーだ。そう思わんと雰囲気に飲み込まれる。

 「質問に移らせて頂いて構いませんか?」

 「何なりと」

 質問を待つ院長は旨そうに葉巻を燻らせている。 

 「ありがとうございます。では単刀直入にお聞きします。五人の児童の昏倒の原因ですが、あれ熱中症じゃありませんよね?」

 私は遠慮会釈なしに報告書を読み終えて浮かんだ疑義を、素直に老医師にぶつけた。しかも熱中症じゃないだろ、とのっけから院長の診断を否定する物言いでズバリ切り込んだ。

 熱中症とは名ばかりで、もっとほかの病名、或いは公表できない何かがあるのではないか?の意図を十分に込めての揺さぶりだ。

 「報告書には嘘偽りなく書いとる。あれがすべてなんじゃが、失礼じゃが医者でないキミがなぜそう思うのかな?」

 だが、こちらのジャブにも院長は動揺することもなく、余裕の笑みすら浮かべ型通りの返答をしてきた。 

 「五人全員が集団で卒倒したことに疑問を持ちました」

 「熱中症じゃよくある事じゃよ。同じ場所で同じ時間だけ子供たちは直射日光を浴びた。同じ症状が全員に同時に出たところで不思議じゃない」

 「それはわかりますが、五人の子供らは帽子やネッククーラーなど、可能な限りの酷暑対策は取っていたと聞きます。それなのに五人全員が同時に頭が痛くなり昏倒したのが腑に落ちません。ひとりふたりならともかくです」

 「腑に落ちんかもしれんが、事実は変えようがないんじゃよ。酷暑対策は万全でも長時間戸外で活動していた事実は変えようがない。その為に子供たちは熱中症で頭痛をもよおし担ぎ込まれてきた。我々は医療家として回復に全力を尽くした。これがすべてじゃよ」

 「では、あくまでもあれは熱中症だと仰る?」

 「そうじゃよ」

 「医師として誤りはないと?」

 「そうじゃ、それで納得してくれんかね。したところで誰にも問題なかろう。子供らにとってもあれは辛い思い出じゃ。蒸し返してはかわいそうじゃろうて」

 そう言って院長は紫煙を吹き上げた。

 「辛い思い出だからこそ、真相を明らかにすべきと思うんですよ院長」

 その後も私は、報告書記載事実をひとつひとつ微に入り細に入り聞き込んでみたが、やはりこのジイサン強かだった。うまそうに葉巻を燻らせ紫煙を吹き上げながら、私の問いをのらりくらりとはぐらかす。

 あらゆる角度から切り込んでも整合性の取れない回答は一切無し。特に病理事実に関する考察は本職なだけに、事細かに事実や一般病例を挙げつつ、こちらに付け入るスキを与えぬほどの回答をしてくる。

 医療症状で争っても勝ち目はない。完全に相手のペースだ。悔しいがこれでは埒が開かない。既に熱中症で表向きには解決をみている以上、このままでは疑惑を闇に葬ることになるが、それではここまで来た意味がない。

 私は捜査官のメンツにかけイチかバチかの賭けに出た。医療施設の老婆から聞き込んだ唯一の切り札をここで切った。 

 「院長、倒れた児童のうちの一人が、道に迷ってコースを外れたの証言を残しています」

 「それはさっきも聞いたよ」

 院長は空いてる手で湯呑みを取りひと口飲み干す。

 「児童が倒れたのはコースを外れたことに気づき、大急ぎで指定コースに戻ってきた直後です」

 「子供らには悪いことをしたよ。あの辺りはハイキングコースと規制区域の境がわかりにくいんじゃ。ロープで境界を張っとったんじゃが管理が悪くて何の役にも立っとらんかった。あまり大袈裟にしとうなかったんじゃが、同じような間違いを防ぐためにも、今後はロープの張り直しと立札や立て看板で、よりはっきりした規制を張るように役場に進言しよう思っとる」

 「だったら新しい立て札には【ここはバケモノの住む死瀬ヶ原】の名前をきちんと明記して貰いたいもんですね」

 私の言葉を聞いた院長の表情が変わった。

 余裕シャクシャクだった院長の驚くほどわかりやすい狼狽。シメタと思い私は畳み掛ける。 
 
 「死瀬ヶ原(しせがはら)ですよ院長。五人の児童が誤って入り込んでしまった立ち入り禁止区域の通称です。もっともその呼び名は公にはなっていない。恐らくこの村の人間にだけ通じる隠語なんでしょうけどね」

 院長は葉巻を灰皿に擦りつけるようにしてもみ消した。これまで余裕綽々で追及をかわしていた院長の表情が明らかに険しい。

 「あの場所は死瀬ヶ原など物騒な名前で呼ばれ、村人たちは誰も近づかない。だが子供たちは知らされていないし、院長の仰せの通り規制区域があいまいだったこともあって誤って迷い込み、その結果命はとりとめたものの辛く苦しい病に見舞われた。改めて伺いますがね、子供たちの集団頭痛は熱中症なんかじゃない。バケモノの住む死瀬ヶ原と呼ばれるその場所に原因があるんじゃありませんか?」

  語気強く私は迫った。老婆から聞き出した切り札のカードはかなりの効力があったようで、切るべきチャンスで予想以上に作用したようだ。

 「バケモノとは何のことです院長!死瀬ヶ原はどんな場所なんですか!?この村の古株であるあなたが知らないはずはない、どうなんです!」

 「……なぜ?村のモンでもない君がなぜ知っとるんじゃ!」

 ずっと黙っていた院長が口を開いた。腹から絞り出すような声だった。

 「この村で生まれ育った女性が、岐阜市内の老人医療施設にいる情報を掴みまして、こちらへ来る前にその方を訪ねてお話を伺いました」

 「施設?……そうか、あの婆さんか……」

 院長にはその老婆が誰か思い当たったようだ。

 「当初、お婆さんは証言を拒否されていましたが、命は助かったが五人の子供が被害にあったことをお伝えし、二度とこんなことが起きないようにする為に協力をと言って交渉して、それでも証言を渋っておられましたが、最後の最後にやっと先ほどの文言だけをお聞きすることができました。ただ、お婆さんは目に涙をいっぱい溜めておられましたが」 

 「どこまで聞けたんじゃ?」

 「立ち入り禁止のあの場所が、通称、死瀬ヶ原の名で通っている事、あそこはバケモノの住処(すみか)じゃからアイツを起こしちゃならん、それだけです。それ以外は頑として口を噤んでいました」

 「キミは無理やり年寄りの口を割らせたんだな」

 院長は目線を私に向けた。その瞳に明らかに侮蔑の色が籠る。

 「強引なことはしておりません。確立ち入り禁止不可の場所の別名がバケモノの住む死瀬ヶ原。それだけが聞き出せれば十分と考えた私は面談をそこで終えました。院長にお会いする為のもっともな理由ができただけでなく、真実を隠避するあなたと真っ向勝負できる切り札になると確信したからです。最も、仕事とはいえお年寄りを必要以上に詰めてしまったことは、申しわけなく思っております」 

 「キミは証言拒否する年寄りを強引な取り調べで泣かせて口を割らせた。今更殊勝なことを言っても何も響かん」

 「子供が命の危険を味わったのに、嘘の診断書を書いて知らぬ存ぜぬを決め込むあなたも、事情は違えど似たり寄ったりだと思いますがね」

 「何じゃと!」

 「どこが違うんですか!」

 売り言葉に買い言葉。院長からの刑事の私への辛辣な言葉に負けてなるかと、私も非難めいた文言を返した。もはや口喧嘩だが引くことはできない。

 「しかも帰り際にお婆さんは言いました。また犠牲を出さん為にもこのことは墓場まで持って行かんといけんやったのに、村を離れても守らん秘密やったのに、村のモンみんな秘密を守っとるのに悪いことをしたと。また、と言うことは過去に同様の事実があった裏付けになります。しかも村人全員が秘密を持ってるとなったら、これは村ぐるみの事実隠避にあたります。これでも自分は元は一課のデカですので、少しでも疑義が感じられれば絶対に逃さんですよ。何があっても喰いついて真相を明らかにして見せる」

 事ここに至って院長室は取調室と化した。卓上ライトの乗ったスチールデスクがガラス製の応接テーブルって言うだけで、刑事である私と容疑者である院長、世代を超えた男対男が無言で向かい合い睨み合い渡り合う。

 「状況がわかってるんですか!子供が死にかけたんですよ院長!何の罪もない子供がです!!」

 いきり立つ私に院長は目線を一切合わせていない。緊張感と緊迫感だけがはびこる山間の取調室に響くのは、涼風を室内に供給する空調機のモーター音。到着当初はあれほどけたたましかったセミの声もいつの間にか止んでいる。

 「そうじゃな、キミの言う通りワシも似たり寄ったりじゃ」

 院長は長い沈黙を破った。しかもそれまでの私への時としての攻撃的態度とは全く逆の声色や文言。切り札はかなりダメージを与えたか?どうやら観念の素振りが見える。 

 「その婆さんはよく知っとってな。施設に入る相談も受けた仲じゃ。その婆さんが子供らの被害を憂い、泣きながら秘密を話した。その判断がどれほど苦渋だったか思うと心が痛むわ。おそらく今でも後悔しとろう。それなのにワシがここで知らぬ存ぜぬを通したら、婆さんひとりに辛い思いをさせることになる。仲良うしてきた同じ村民としてそりゃできん」  

 「では話して頂けると?」

 「全ての責めはワシが負う。今後一切婆さんには関わらんでくれ、ならば話せることは話そう」

 「承知しました。では院長、立ち入り禁止の場所は死瀬ヶ原、間違いないですね」

 「ああ、間違いない」

 院長は大きく頷いた。

 「婆さんの言う通り土地のモンはあの場所を死瀬ヶ原と呼んで、昔から近づかんようにしとる。ワシも物心ついたころから親にそう教わり育ってきた。じゃが、この村にハイキングコースが、しかもあそこに沿って整備されたもんで、こりゃいかんと思って境目にロープを張ったんじゃが、なにぶん過疎の村なもんで人手も金もなくて、張ったは良いが管理が行き届かんかった」

 「つまり、ここ数年のハイキングブームになって観光客が押し寄せるようになり、あわてて境界を示すロープを張った。それまでは外部から人が来るなど無かったから、死瀬ヶ原の事実を口伝で村人に伝えてさえおけば問題なかった。そういう事なんですね」

 「そうじゃよ。それまでは観光客などおらんかったから、ロープ張りなどいらんかった。この村に生まれた人間は親から死瀬ヶ原の真実を聞かされて育つ。だから誰も近づかんし、決まりを守ればいいだけの話しじゃからな。そして、聞かされた子らが成長して自分が子を持つ親になると、また死瀬ヶ原の事実を我が子に伝える。この村に生まれ育った人間は、代々身内にのみ死瀬ヶ原の真実を伝え継いできとる。さらに大事な決まりが二つある」

 「二つの決まり?それは何?」

 「一つは、死瀬ヶ原の事実を土地のモン以外には一切口外しない、もうひとつは死瀬ヶ原の事実を知った村民がこの土地を離れて、よそで暮らすことになってもその事実を口外しない。事実を知る者がこのふたつの決まりを守れば死瀬ヶ原の事実が外部に漏れる心配はない。施設の婆さんが証言を拒み続けたのは、このふたつが理由じゃから従ったまでじゃ」

 「決まりがあったんですね。だから頑なだったんだな」

 そうだったか。あの婆さんはたとえ村を離れてもそのルールに従ったのだな。それほどの秘密が死瀬ヶ原に隠されていると言うことか?

 「ワシも親から聞かされ育ってきた。娘にも言い聞かせて居るし孫にも教えとる。婆さんも苦渋だったじゃろうてな」

 「院長とお婆さんのお話を総合すると、死瀬ヶ原には近寄ってはいけない秘密がある、それはあの場に住むバケモノの存在、そう言うことですね?」

 「……そうじゃバケモンじゃ、アイツは正真正銘のバケモンじゃよ」

 バケモノが住む場所死瀬ヶ原。院長や婆さんが語るバケモノとは一体何なのだろう?

 「五人の子供たちは間違って死瀬ヶ原に近寄ってしまった結果、集団頭痛の症状に見舞われてしまった。その原因に死瀬ヶ原のバケモノの存在がある。院長はこの村だけに伝承されているバケモノの秘密の露呈を恐れて、わざと熱中症の診断を下して秘密の隠匿を計った。そう言うことですね?」

 「もう隠し事はせん。キミの言う通りあれは熱中症じゃない。秘密を守りたい一心でワシが診断を偽装したんじゃ」

 院長はそれまでの態度を一変させ、事実隠匿と偽装診断の事実を認めた。私は表情には出さないがテーブルの下で拳を握り締めた。

 自分の読みは間違っていなかった。こいつは久々にデカいヤマになる、院長の証言からそんな雰囲気がひしひしと感じられ自分の胸は高鳴った。場合によっては県警本部に応援を頼み、村役場や他の村民にも聞き込みを掛ける必要があるかもしれない

 そうなれば、当初から再捜査に懐疑的で今日の出張許可も不承不承だった上司の鼻を明かすこともできるし、成果の大きさによっては……

 (捜査一課への復職の芽もあるかもしれんぞ、こいつは)

 ついに挽回のチャンスが巡って来た。たった一度の失策で一課を追われて生活安全部に異動になって以来、今一つ持て余し気味だった刑事魂が沸々と湧きあがるのを感じる。

 ここできっちり成果を上げて一課への復職を願い出る。俺がいるべきなのはここではない。凶悪犯相手のひりひりするような緊張感の中なんだ。悪を退治できる場にもう一度自分の身を置く。
 
 私はこの事件の解決の先に、失った誇りを取り戻した自分の姿をはっきりと見た。そのためには、すっかり観念してしまった目の前の老院長をいち早く完落ちさせ、この村ぐるみの隠避事実を白日の下に曝け出し、文句のつけようのない事態収拾を図らねばならない。

 「但し言わせてくれんか」

 そのための二の矢を放とうとしたまさにその時、観念しているように見えた院長の口から意外な言葉が発せられたのだ。

 「診断内容を偽装したことを認めるが、ワシは偽装行為自体を誤りとは思っていない。あくまでそれが最善と考えてワシは嘘の診断書を書いた。それだけは先に言っておきたい」

 この期に及んで容疑の一部否認とは何を言ってるんだこのジイサンは!往生際が悪いとはこのことだろう。人を殺しといて自分は悪くないと言ってるようなもんで話にならない。

 理路整然と話すところから、まだまだ頭が回る人物と思っていたが、やはり老害ジジイなのか?

 「何をおっしゃるのですか院長。偽証が最善など有り得ません。診断書だって立派な公文書ですからそれを偽装して証拠の隠滅を図り、捜査を混乱させたあなたは罪に問われることもあります」

 「理由があるんじゃよ、偽証が最善と思える理由が」

 「だったらお聞かせ願えますか?その理由を」

 私は前のめりになって、相手を睨みつける。どんな理由をこのジイサンが持ち出すのか。底の浅いくだらん理由を持ち出して来たら、即刻引導を渡してやる。

 だが、院長はここでも意外な角度からの言葉を口にした。

 「キミは口は堅いかね」

 予想外の発言に面食らうが甘く見られては困る。刑事にだって応分の守秘義務は当然ある。

 「これでも捜査官です。必要とあらば秘密は守ります」

 「じゃあ、君のその口の堅さに望みをかけて縋るとするかね」

 それまでの殊勝な態度とは裏腹に、院長は緩やかに相好を崩し、両膝をポンと両手で撃って立ち上がると、すぐ傍の書棚から古いファイルを持ち出し、再びソファーに戻ると私に差し出す。

 「何ですかこれは?」

 渡されるままに受け取ったのはスクラップブックだった。

 「中を見なさい」

 言われるままに私は最初のページを開く。そこには色褪せた古写真がテープで数枚貼り付けてあった。左上に記載された日付は相当昔、戦中時代の昭和10年代の日付入り。

 いったいこれは何の写真なんだろうかと思いながら、次のページまた次のページとめくる。そのたびに日付は少しづつ若くなり、やがてカラー写真になるも奇妙なことに撮影地は恐らく同じ場所で被写体も同じ。

 最後に撮影されたのは9年ほど前。それにしてもここは何処なんだろうか?まさかここが死瀬ヶ原か?と思った矢先に院長が口を開いた。

 「それが集団頭痛の元凶じゃよ」

 「え!」

 「写ってるのがバケモンじゃ」

 「バケモノ!?これが?」

 「ワシャ嘘は言わん」

 嘘は言わんって言われても……私は今一度、一番最近撮影されたカラー写真を眺めた。これがバケモノなのか?本当に? 

 「あの院長?写ってるこれが、集団頭痛の発症原因……ですか?ホントに??」

 私はアルバムを指さして院長に見えるようにして念を押すが。

 「キミの口の堅さを信じたんじゃからな」

 院長はさっきまでの険しい表情を緩め、元の好々爺の顔つきに戻ってはいたが、どこか強く思いつめた表情だけは気になった。しかし手元の写真を見るに私には俄かには信じられなかった。

 だって……

 「つまり写真のこの場所が死瀬ヶ原だと?」

 院長は大きく頷いた。

 「子供たちは誤ってここに入り込み、そしてここで何らかの悪影響を受けて変調をきたした。そう言うことなんですね」

 「何度も言うがその通りじゃ。写真のそいつが悪さしたんじゃよ」

 「そいつが悪さって!?これ植物ですよね?」

 私はなおもスクラップブックの写真を院長に見せるようにして話し続けた。

 「これは植物ですよね。白い花を付けたただの植物ですよね?この植物が悪さをしたと?」

 その通りと院長は大きく頷いた。花が悪さっていったいどうやって…??

 白黒では今一つだがカラーだとはっきりする。アルバムに写っていたのは全て白い花ビラを付けた植物の写真。人間は一切映っていない群生する白い花を写した写真だった。

 でもこの花、自分もどこかで見たことがあるような気がするんだが。

 ……もし自分の見立てが間違ってないとしたら……
 
  「この花が頭痛の原因って仰いますが、これ百合ですよね?百合の花ですよね?違いますか?」

  私の拙い知識ではその花は百合に見えたのだが、院長は今度は首を左右に振って、違う!の意思表示を表わした。

 「違うんですか?じゃあ何の花です?」

 私の質問に今度は院長が身を乗り出して答え始める。

 「キミが見誤っても不思議じゃない。写真で見れば誰もが百合だと思うじゃろうが百合じゃない。よく似てはいるが違うんじゃ。だから知らないと大変なことになる。その植物はシソウじゃ」

 「シソウ…ですか?」

 シソウ???聞いたことないな???自分が知らないだけなのか?それとも知る人ぞ知る珍種の花なのか?

 私の疑問への答えを、院長は怖いほどマジメな顔つきで教えてくれた。

 「漢字にすると死ぬに草と書く死草じゃ」

 「死ぬに草と書く死草…」
 
 その響きを聞いた時、私の背筋にうっすらだが冷たいものが走った。百合の花にも似たこの白い花は死ぬに草と書く死草の花。

 ここから先、見るからに可憐なこの白い花の正体が徐々に明らかになっていく。私はテーブル上に置いたアルバムの写真に時折目線を落としながら、院長の話に耳をそばだてる。

 そして院長は二本目の葉巻を取り上げると紫煙を大きく吐くと、これからの話しは全部真実だと念押ししてから語り始めた。

  「死草が正式名か通称かは知らんが、村のモンは昔からこの花をそう呼んどる。死瀬ヶ原とは死草が群生する原っぱの意味じゃ。医学馬鹿で植物学に疎いワシが調べた限りではあるが、死草は地球上では死瀬ヶ原にしか自生しておらん。世界中探し回っても死草の生育記録はないんじゃ。何故、あそこだけに死草が咲くのか?そもそも死草はどのジャンルの植生に分類されるのか?交配なのか?突然変異なのか?ワシなりに何十年もかかって調べたが信頼に足る結果は出んかったよ」

 「その、未知の植物である死草が、今度の頭痛の原因だって言うんですね」

 「さよう。この死草が悪さして、子供たちの集団頭痛を引き起こしたんじゃよ」

 「この花がどうやって子供たちに悪さをすると?」
 
 「タネじゃよ」

 
 「タネ?死草のタネが悪さを?」

 
 院長はさらに続ける。

 「時期が悪かったんじゃ。せめて1週間でも遅いか早いかであれば、死草の生育サイクルの影響を子供らは受けなかった。苦しまずに済んだはずじゃ」

 「具体的に教えてください。時期とは何です、死草の生態は!?」

 「悪さの原因はタネ。子供たちは運悪く盆前に死瀬ヶ原に入り込み、空気中に漂う死草のタネを吸い込んだんじゃ。こいつのタネは花粉のように細かいから簡単に吸い込んじまう。だがいったん吸い込むと鼻腔から脳に回り、脳神経を狂わし頭痛をひき起こす。しかも只の頭痛じゃなく、放っておけば死に至るほど強力なもんじゃ」

 「致死に至ると?」 

 私はテーブル上のアルバムの写真に目を落とす。どう見ても可憐な花にみえてしかたないんだが。 

 「だから死草と呼ばれるんじゃよ」

 そして私はさらに院長の語りに引き込まれていく。

  「さっき時期が悪いと言ったが、元来死草は桜の花の散る4月の初旬に死瀬ヶ原において発芽する。それから成長して梅雨明け、まあ今じゃ季節感など無くなっちまっとるが、おおよそ七月の終わりに写真のような白く可憐な花を咲かす。じゃが、咲いた花の寿命はセミと一緒で1週間程度と極端に短く、つまり盆前には花はしぼみ枯れ始める」

 私はいつの間にか身を乗り出して彼の話しに聞き耳を立てていた。

 「そしていよいよ寿命の尽きる瞬間、つまり花弁が落ちる瞬間に爆発の如く大きく弾けて周囲に細かいタネをまき散らす。来年の為の布石にな」

 「布石?」

 「また来年花を咲かす準備じゃよ。爆散し空気中を漂い続けて地面に落ちたタネから翌年春に発芽、成長して花をつけるものの、1週間程度で枯れ始めて爆散しまたタネをまき散らす、翌年春にそこからまた芽が出る。このように死草は種の保存を自分達で行う独自の再生サイクルを、毎年毎年繰り返してあの場所に咲き続けてきた。その年数たるや…」

 「あの、ちょっと、ちょっと待ってください、院長」

 なおも話し続けようとする院長を私は一旦抑えた。こう先へ進められては自分の理解が追い付かない。ただでさえ、自分の常識の範疇外の話しを聞かされているのだ。噛み砕いて理解せよと言われたところで、門外漢の話しに自分の知力が追い付くはずもない。

 「とりあえず死草の成長サイクルはわかりました。つまりですね院長、子供たちはその写真の花である死草が群生する死瀬ヶ原に迷い込んじまった。しかも運が悪いことに死草が次年度の再生のために弾けたその時期だった、そして大気中に漂う死草のタネを吸っちまった。だから時期が悪いと?」
  
 確かに子供たちがここで倒れた時期は夏のお盆シーズンの始まる直前。院長の話しとピッタリ符合している。

 「1週間早ければまだ花実が付いてる頃、逆に遅ければ爆散したタネは浮遊を終えて土に返っとる頃じゃ。じゃが子供たちは間の悪いことに、爆散直後の種があちこち浮遊しとる時期に迷い込んじまった」

 「つまりは、殺人花とも言えるこの死草の存在をこの村の人々は公にせず、村民だけで共有し伝え続けてきた。一切外部に漏れぬよう村民全員が口を噤んできた。そしてそれは今もこの村に続いている。そういうことですね」

 「その通りじゃよ。昔から現在まで外部にはいっさい漏らしておらん。だから他所にこの事実を知る者などおらんのんじゃよ。最もキミが婆さんの口を割っちまったことで、秘密を村民全員で秘匿すべしと決めて以来初めて、死草の存在が外部に漏れちまったがな」

 「すみませんね、これも仕事なもんで」

 「最も婆さん以上にワシが喋っとるから罪はワシが遥かに重い」

 そういうことだったか、やっと納得できた。この村に住む老若男女全員が一致団結して死草の秘密を隠し続けてきたからこそ、ネットでも文献でもどこにも死草の存在事実の記述はなく、従って自分は在野にある資料から追うことができなかったんだ。

 AI技術が長足の進歩を見せる21世紀のこの時代に、口伝のみで過去から現代まで連綿と受け継がれてきた秘密があったとは驚きだ。

 人のクチに戸は建てられない、のことわざもある。口を噤んできた期間がどれほどかはわからんが、村人の一人や二人くらい口が滑って外部に情報漏洩なんてことがあっても不思議ではないが、ネット検索のどこにも引っかからなかったところを見ると、やはり院長の言うとおり村人の強固な団結力が秘密を守り通してきたと言うことだろう。

 秘密を守り通した村民の意志の強さには驚きを隠せないが、それですませてはいかん。自分はデカだ。致死には至らないまでもその危険性があった事実は消せようがない。仮に院長の話が事実だとすれば、今後の危険の芽を摘む為にも適切な手を打たねばならない。

 そして、このヤマにおける自分の対応が適切であるほどに、自分の一課復職が現実味を帯びるはずだ。そう信じる。 

 しかし、老医師はまだ理解できずに狼狽える私に関わらず、さらに死草の驚くべき話しを続け、その不可思議な世界に私を引きずり込もうとする。

 「さっきも言った通り、死草は独自の再生サイクルを毎年繰り返し、自らの手で種の保存を行い古来から死瀬ヶ原に咲き続けてきた。最低でも四百年はな」

 「四百年ですって!まさか?」

 四百年の言葉に私は驚いたが、院長は私の驚きなど意に介さず話し続けた。
 
 「死草がいつの時代からあそこに生えているかは正確にはわからん。だが村の鎮守に伝わる古文書には、戦国時代にはあの花がすでに死草と呼ばれ、死瀬ヶ原に咲いている記述が残っとる」

 「戦国時代!!ですか!?」

 戦国時代って言えば今から400年以上前じゃないか。

 「そうじゃ、しかもその頃からタネを吸い込むと、激しい頭痛に見舞われ、場合によっては死の恐れもあるという記述が古文書にも残っとる。つまり戦国の世の中から死草のタネが、場合によっては人を殺めると言うことを村民は分かっておった。でなけりゃ、誰も戦(い
くさ)の際の細菌兵器としてコイツを利用しようとは思わんて」

 
 「細菌兵器!まさか!」

 
 「そのまさかじゃよ。但し村民じゃない。ある大名の配下の者がどこからか死草の噂を聞きつけ、まだ爆散する前の花びらの付いている死草の花を強引にあの場所から奪い取っていったらしい」

 「そんな記述が残ってるんですか?」

 「ああそうじゃ。しかもそいつらはいずれ間違いなく起こる戦に使うんだと言ってたらしい。どうやって使うかは知らんがな」

 「間違いなく起こる戦って?」 

 「この先で起きた戦じゃよ。あの後ろの窓から見えるずっと向こうで起きたあれじゃ」

 「それって……ひょっとして……東西両雄が一戦交えた、あの、天下分け目の?」

 「そうじゃ。古文書の記述をうのみにすればの話しじゃがな」

 院長の語る話に呆気にとられた私は驚くしかできなかった。死草と呼ばれる毒花の存在に始まり、まさか歴史上名高いあの戦いにまで話が及ぶとは全く想像できなかった。

 勿論、証拠も裏付けもないのだが、言葉を無くす私に淡々と語り続ける彼の一言一句は、私に疑うスキを挟ませない迫力があった。

 「しかし、あの戦に細菌兵器が使われたなど、自分は聞いたことがありません」

 それでも私はようやく口を開いた。学校で習う程度の拙い日本史知識の自分でも、あの戦で細菌兵器が使われたなど聞いたことは無いのだが、院長の次の言葉は私の疑念を見事に粉砕してしまった。

 「キミは今世に伝わる過去の記録のすべてが、嘘偽りを排除した真実のみであると思うかね?この国の歴史の全てが今世にひとつ残らず正確に伝えられていると思うかね?」

 「それは……」

 「歴史は権威権力を司る者の都合で、いかようにも書き換えられる運命を背負っとる。あの戦に関して死草の記述がどこにも残っていないことなど、特段不思議な事ではない」

 そう言われた私に返す言葉は無い。無言は院長の言葉への同意に相違ない。

 「古文書には死草を奪っていった配下の連中が付き従う武将の名が記されておった。連中は花実が付いた弾ける前の死草を土からほじくり返して、根っこごと持っていったそうじゃ。お殿様に献上すると歓喜してな」 
 
 「村民はどうしていたんですか?死草の恐ろしさを知る村民は、奪いに来た連中を止めることはしなかったのですか?」

 「勿論村民は抵抗した。死草の恐ろしさを村民は知っとる。持ち出されたらえらいことになるからやめてくれと止めたそうじゃが、馬鹿どもは抵抗する村民を切り捨てながら奪い去っていったそうじゃ」

 「殺しまでして奪っていったんですか!何と酷い連中だ!」
 
 「いつの世も人間は愚かじゃな。昔も今もやっとることは変わらん」 

 
 目の前の老医師の淡々としながらも説得力のある口調に引き込まれた私は、自分の職責もすべき尋問も忘れて彼の話しに聞き入っていた。

 
 400年以上も前の時代に細菌兵器があった可能性。ここまで聞かされれば実際に使われたのかどうかが気になるのは必定。捜査には全く関係ないのだが、湧きあがる興味を昇華させるためにも、その大名の名前や実際の使用状況を知りたいのだが……

 「つまり公の記録には残っていないものの、あの戦で東西どちらかの陣営の大名が死草を使ったんですね」
   
 「イヤ、使われてはいないじゃろうな」

 
 「えっ!?」
 
 私の密かな期待を老医師はあっさりと潰してくれた。

 
 「何故わかります?それも古文書に書いてあるのですか?」
  
 「そこまでは書いとらんが、死草の生体特性を知っておれば答えは容易じゃ」
 
 「生体特性?」
 
 「君は戦国の世の歴史には詳しいか?」

 
 「恥ずかしながら、上っ面すら怪しいものですが」

 
 「そうか。だとしたら無理はないが、あの戦が始まったのは旧暦の9月、今の暦で言う所の10月、つまり開戦の時期は現代の四季に当てはめれば秋口だったはずじゃ」

 「季節は秋?」

 「そうじゃ、ワシはキミに死草の再生サイクルはいつからいつだと言ったかな?」

 逆質問か!めんどくさいことをと思うが、いつからって、え~と院長は確か…

 「……確か、梅雨明けから……あっ!」

 思わず大声が出てしまった。そうか、だから使われてないのか!

 「死草は盆前にタネをまき散らすと同時に枯れて終わり、あとは雑草でしかない。じゃから引っこ抜いて持ち去った死草など、本番の戦の時期には何の役にも立たんはずじゃ」

 「なるほど、そりゃ役に立たんわ」

 そうだった。院長の話によれば死草の開花時期は七月の終わりあたりだが、花の寿命は盆前にやって来る。開花から落花まで2週間あるか無いかで極端に短い。

 どこかの大名の家臣が花をつけている死草を持ち出したとしても、早晩枯れて爆散するはずだ。死草の生育サイクルが過去から現在まで変わることが無ければ本番の時期に開花してるなど有り得ない。院長の言う通り、いざその時になっても何の役にも立たない雑草でしかないはずだ。

 院長の話しに引き込まれ、最初に聞いた死草の生育体系をすっかり忘れていた。捜査官としてはあるまじき態度だ。今一度気持ちを引き締めなくてはいけない。自分は彼の昔語りを聞きにきたのではない。五人の小学生の発病事件の真相を明かしに来たのだ。

 それにしても、次々に聞かされる事実にはあ然とするばかりだ。

 「死草のタネを吸い込んだ者は脳神経を犯される頭痛に見舞われる。馬鹿どもは死草生育の特性を知らず噂だけで乗り込んできて、村人が止めるのも聞かずに持ち去っていった。死草が土から引っこ抜かれた途端に枯れ始め雑草と化すのか、それともその場では枯れることなく時期が来ればタネをまき散らすのかはわからんが、もし枯れずに破裂してタネが飛散でもしてみい。そいつを吸い込んだ連中は頭抱えてその痛さに転げまわるわ」

 「戦国の世の医療技術など無いに等しい、発症して病状が悪化しても適切な処置を施せるはずもない。となると十中八九…」
 
 「十中八九どころか100パーセント命は無かろうて」

 事も無げに院長は言った。哀しい結論だが当時の医療事情を考えれば恐らくそうなるはずだ。

 「使いたいときに使えない、タネを吸い込めば命が無い。略奪した連中には無駄な代物でしたね」

 「痛みに苦しもうが命を落とそうが馬鹿どもは自業自得じゃが、巻き添えで切り殺された村民のことを考えると無念で仕方ないわ」

 院長は大きく紫煙を吹き上げたのちに、ちびた二本目の葉巻を灰皿の淵に擦りつけてもみ消した。
 
 「死瀬ヶ原と死草に関するワシからの説明は以上じゃ。子らの頭痛の原因は死草のタネを吸い込んだことによるもの。納得してくれたかね」

 「貴重なお話が伺えたと思います」

 
 「そうか、じゃったら本題に入りたい、今回の子供たちの傷病はこれまで通りに……」
  
 「いえ、そう簡単には参らんのですよ、院長」

  
 私は院長の言葉を遮った。正直、自分はここまで院長の話のペースにすっかり乗せられている。確かに予想外の話しの内容に十分過ぎるほどの興味は引かれたものの、これではいけない。
 

 「院長のお話を伺い、自分は死草の存在に強い興味を持ちました。」
 
 これは事実だ。但し本当に存在すればの話しだが……
 
 「お話し通りだとすれば、今年の死草はすでに枯れ、あそこには花実も何もない枯野の状態だと思います」

 「その通りじゃよ」

 院長を疑う気はないが自分は捜査官だ。証言だけで事実だと結論付けることはできない。捜査の鉄則は証拠集めだ。それが無ければ疑惑が晴れたとは言い難い。ならばとことん追求するのが務めだ。
 
 「捜査の鉄則は物証です。証拠を積み上げて形にして、真偽を見極める」

 院長は物言わず聞いている。

 「伺えたお話しは非常に興味深いものですが、時期的に死草の実物を見ることができていない以上、死草の存在を示す物証は無いに等しい」

 「この写真とわしの説明だけではダメかね?」

 「証拠第一主義の我々にとって、申し訳ないがこれでは不十分です」
 
 「わしは嘘は言っとらんぞ、写真だって最近のものはワシじゃが、古いものは先代院長のワシのオヤジが撮影したもんじゃ。何の合成も加工もしとらんよ」

 「自分は院長が嘘を仰る方とは思っておりません。写真だってあなたやあなたの父上が死草の実物を撮影したのだと思うのです。でもこれでは不十分なのです。もっと確固たる証拠が欲しいのです」
 
 「じゃあ、どうしたら信じてもらえると言うのかね!」
 
 院長は少しばかり焦れて苛立っているようだが、自分は刑事だ。確実な物証を目にしない限り、安易に信じることはできない。

 「また改めて日を設けますが鑑識を呼んで県警による死瀬ヶ原の一斉捜索、つまり現場検証をします。科学的検知から確実な物証を挙げることができると思うのです」

 「何じゃと!」
 
 院長の表情や声色が明らかに変わった。

 「県警の現場検証って、まさか村民以外の人間が死瀬ヶ原に入り込むのか?」

 「県警には科学的な観点から物証の是非を問う科学捜査研究所があります。これまでされてこなかった死草の真相究明を、飛散したと思われる死草の種子の採取から、なぜ死瀬ヶ原にのみ死草が生育できるのか、その土壌の実態解明も含めて本格的な調査が必要ではと考えるのです」
 
 「本格的調査じゃと?」

 「そうです。死草の存在が秘密裏にされていたから今回のような事件が起きた。幸い子供たちは回復しましたが、二度と同じ間違いを繰り返さない為にも死草の存在を明らかにし、死草殲滅を含めた抜本的対策を講じた方が安心安全ではありませんか?」

 「それは困る!」

 突然老医師は立ち上がった。驚いた僕は思わず目の前に立つ院長を見上げる。

 「来てはいかん!ダメだ!!絶対にダメだ!!頼むからやめてくれ!!どうか頼むから!」

 院長の豹変ぶりに私は度肝を抜かれた。死草と言う名のバケモノの正体解明と一斉殲滅作戦は、この村にとっても悪い申し出ではないと思ったのだが、院長は立ち上がったままなおも続けた。

 「現場検証なんかせんでくれ!あそこにはいっさい手を付けんでくれ、頼む」

 老医師は私に深々と頭を下げながら、同じ文言を繰り返した。だが、ここで自分が引くわけにはいかない。

 「この期に及んでまだ死草の存在を隠すんですか?」

 「隠すじゃと!?」

 少々言葉はきついが、私は堪えきれなかった。

 「ええそうですよ。そうやって死草の存在を隠し続けたからこそ、今回のような事件が起きたのではありませんか?場合によってはこの村ぐるみの隠蔽工作ともとられかねませんよ」

 「村ぐるみの隠蔽じゃと?……何と酷いことを」
 

 「だいたいですね、私に言わせれば先人たちの怠慢も良くないですよ」

 「怠慢じゃと……キミは何の事情も知らずにどうしてそんな酷いことばかり言える……」

 院長は放心したようにソファーにへたりこみ頭を抱えた。

 「酷い、キミは酷いことを言っとるんじゃぞ」

 言い方がきついのは認める。だが、真相を探るのに言葉を選び選びしている暇はない。早く手を打たねばまた来年も同じことが起こるかもしれない。猶予はできない。

 「院長はそう思われませんか?先人たちは死草への対処法を、その昔どうして考えなかったのでしょうか?」

 「対処法じゃと?」

 院長は抱えていた頭を起こして私を見た。

 「そうです。死草の恐ろしさを先人は知っていた。細菌兵器に使おうと盗みに来る輩がいるほどです。だとしたら、それを根絶する対処をしなかったのかと言う素朴な疑問です」

 この疑問、実はずっと思っていた。院長の口から死草の恐ろしさは十分聞かされたが、死草を根絶する話は一切聞かされていない。本来ならそんな毒の花を生かしておくわけにいかないだろうに。
 
 「戦乱の世は仕方がないとしましょう。ですがその後に訪れる江戸期には戦の無い太平の世がありました。それもおよそ200年ですよ。たとえ利器に恵まれぬ時代でも、何らかのが対応があってしかるべしでは?」

 「キミはわかっとらん!先人が何もしとらんなど決めつけんでくれ」

 老医師が吐き捨てるように言った。そのイントネーションに明らかに怒気が包まれている。

 「それはあなたが何かを御存じだと受け取ってよろしいでしょうか?もしご存知なら伺いたいものですが」

 院長はまだ何かを隠しているとふんだ私は回答を求める。そして老医師は意を決したように語り始める。

 「先人は手をこまねいたわけではない。戦国の世が去り世の中が平定されると、この村の人間は死草に戦いを挑んだ」

 「戦い??」

 老医師は大きく頷き話を続ける。

 「古文書には死草と先人たちの戦いの一部始終が書かれておる。この村の人間たちは怠慢でも臆病でも無い。バケモンの花と対決したんじゃよ」

 「バケモンの花、死草と対決を」

 「村民は身を持って死草の恐ろしさを知っとる。こんなもの無くなれば、略奪にくる輩もおらんようになるし、何よりこの村を平和に治めることができる。だから村民は死草を退治しよう、根絶やしにしようとバケモノに戦いを挑んだんじゃ」

 「しかし、死草は死瀬ヶ原に今も群生し続け、その結果子供たちが被害を被ってしまっています」

 「さよう。残念だが結果は村民の完敗だったんじゃよ」

 「完敗?」

 「抜いても抜いても土を入れ替えても、さらには枯野の死瀬ヶ原に火を放って焼き払っても、死草は翌年には生えてきたそうじゃ」

 「そんなに生命力があるのですか死草には!」 

 「今と違って科学的文化や根拠の知識など影も形も無い時代じゃ、村民にできることなどたかが知れるじゃろうが、村民はそれでもあきらめずに何年も何世代にも渡って戦い続けたんじゃ。去年はダメだったが今年こそは、ひょっとして来年じゃったらと村民は、明日の根絶やしを信じて死草に挑み続けた。老いも若きも男も女も問わずじゃ」

 「それは……それはどれくらいの期間、ですか?」

 「ゆうに百年は越えとる」

 「となると子や孫の代にまで?」

 「それだけ時間をかけても死草を根絶させることはできなかった。それどころか村民の中には死草のタネを吸い込み、強い頭痛に苦しみ、倒れ、満足な治療を受けられず命を落とすものが続出した」

 「やはり死者が」

 「キミらの世界で言う殉職っちゅうやつじゃ。もっとも勲章も賞状も何も無いがな」

 死草と戦ってそして殉職。この村の先人がかつて、死草と言う名のバケモノと対決し多数死んでいた。

 「こんな哀しい話もある。ひとりの若い娘が死草の根絶を神に祈って、自ら人柱となって若い命を捧げた。その娘は親兄弟を死草との闘いの末に失っとってな。自分だけが生きてることはできんと覚悟を決めたんじゃろう」

 「人柱……そこまでですか」

 「全員かどうかはわからんが、古文書には命を落とした人物の名が書かれておる。ほとんどは男じゃが娘も数少ないがおった。正義感に燃えて全力で立ち向かった家ほど犠牲者は多く、おかげで家系が途絶えた家や状況に絶望して村を去った家も多い。そのせいもあって豊かだったはずのこの村から徐々に人が減っていった」

 人が減った?まさか!?

 「県内の過疎地域認定において、この村は初期の早い段階から指定地域だったと聞きます。もしもこの村の過疎化の原因の一端に死草との対決による人口減少が影響してるとしたら?」

 「その影響が無いとは言えんわな」

 「戦っていたのか……こんな小さな村の人たちが…」

 「やがて村民は覚悟を決める」

 「覚悟?」

 「死草が毎年あの場所に咲き続けるのであれば、あの場所に近づかず立ち入らずを守ることで、無益な死を回避することができる」

 「それが覚悟…?」

 「あの場所を死瀬ヶ原と名付け、その意味を代々村のモノにだけ言い伝え、この事実を決して世間に口外しない取り決めを村民全員が誓った。もしも村人以外に存在が知られれば、戦国の世と同じように略奪に来る馬鹿どもが現れないとも限らんからな。バケモンと無益に戦う必要はない。相手を認め共存の道を選択すれば平和は守られるのだよ」

 「バケモノとの共存…」

 「それも賢者の立派な判断じゃよ」

 賢者の判断。心に重く響く言葉だ。

 「五人の子供らは間違って立ち入っちまったんで罪はない。だが子供だろうが誰だろうが、死草は死瀬ヶ原への人間の侵入を決して許さない。ここは自分らの住処だから入って来るなと主張しとるんじゃ。だから対処法はこちらが立ち入らんこと。これしかないんじゃ。納得してくれるかね」

 「はい、よくわかりました」

 私は素直に頷いた。昔語りだけで証拠があるわけではないが疑う思いなど微塵もない。それだけの説得力が院長の言葉にはあったからだ。

 「ならば改めてキミに頼みがある。子供たちの頭痛の原因は、今まで通り熱中症という事で納めてくれんか」

  言うや否や、老医師は座ったまま身を乗り出し、私に向かってまたも頭をたれた。

 「院長……」

 「この事実を知っとるのは、村のモン以外は君だけじゃ。我々はこれからも決して口外はせん。君さえ黙っとってくれたらこの先も安全は保たれるんじゃよ」

 私は黙っていた。

 院長の話しを聞き、先人は何も対処しなかったのはおかしい、の思い込みは自分の間違いだったことには気づいた。知識も武器も何もない時代に、この村の民が死草相手に身命を賭した対決を試みた勇気は十分称賛に値する。
 

 「現場検証などやめてくれ。誰も来んでくれ。そしてこの事実を公表せんでくれ」

 だが、そうはいってもこのまま無かったことにして放置するのはいかがなものか。上司に報告のうえで関係各所と協議の上、しかるべき処置を取るのが当然であることは疑う余地はない。

 「頼むよ、どうかこのおいぼれの願いを聞き届けてくれんか。このまま黙って帰ってくれんか」

 院長の心情は痛いほどわかるが私は捜査官だ。事情は理解できても職務としてやるべきことがある。それは江戸時代には叶わなかった死草の退治である。

  「ですが院長、科学が発達した今の時代なら、死草に十分対処出来るのではないでしょうか」

 老医師の表情がまた険しくなったが私は怯まない。

 「科研であれば最新鋭の設備とそれを扱う優秀な技官がおります。高気密の防護服で身の危険を回避した上で、場合によっては外部の研究機関や大学の植物学教授らの協力を仰ぎ、死草の生態を事細かに観察して科学的検知からの徹底的な根絶作戦だって可能だと思います。旧来通り秘密を守り続けるよりよほど安全で確実のはずです」

 「キミの言い分はもっともだ。じゃがな考えがちと浅すぎる」

 「浅い?それはどういうことでしょうか?何をもって浅いと仰るのか?」
 
  院長の”考えが浅い”の言葉に少々反感を覚えた私は、身を乗り出し語気強く詰め寄ったが、院長は委細構わず堰を切ったように言葉を吐き出した。

  「確かに文明の利器を携えた現代の研究機関なら、死草を根絶やしにできるかもしれん。だがよく考えてみてくれ。その為に死草の存在は世に知られることになる。化学者や研究者らが死瀬ヶ原をを訪れ、毒の花の正体を暴きだそうとあの場所を掻き回し続ける。さらに連中は間違いなく死草のタネを調べるために外部に多量の土を持ち出す。研究対象の免罪符を掲げることで何をしようと連中の行動は不問に付される。きちんと管理すると言ったって所詮は人間のやることじゃ、管理に抜けがあって万が一あのタネが不用意に拡散してしまったらどうするね?死草が死瀬ヶ原以外に安住の地を見つけてしまった時、そこで起こる悲劇をキミは直視できるかね!考えが浅いとはそういう事なんじゃよ!」

  一気呵成に院長はまくし立て続けた。
その迫力に気圧され私は何も答えられない。

 「それだけじゃない。新聞社やテレビ局と言ったマスコミ連中は連日連夜騒ぎ立てるじゃろ。事情を知らぬコメンテーターがしたり顔で的外れの意見を垂れ流したり、マイク持ってりゃ何してもいいと勘違いしたレポーターどもが乗り込んで、まるで重大事件現場のように死瀬ヶ原を面白おかしく晒しものにする」

 自分は黙って聞くしかなかった。 

 「そうなると次はマスコミの大袈裟な報道に煽られた一般人があの場所を観光地と勘違いして大挙して訪れる。さらには今の時代を我が物顔で人の迷惑顧みず闊歩する馬鹿どもたちが、人気取りと金もうけの足しにしようと大挙して押し寄せるじゃろうよ」

 「馬鹿どもって…?」
 
 「インターネットでわけのわからん映像を垂れ流し続けるヤツらじゃよ。そんな自分勝手な馬鹿どもがこの村に押し寄せ、つまらん映像を作って垂れ流しでもしたらどうなるんじゃ!」

 それは十分あり得る。もしも彼らが作り出す動画サイトを通じて、死草の存在がそれこそ全世界に明らかにされてしまったら……過疎のこの小さな村に人がなだれ込んでしまったら…

 「馬鹿どもが面白半分に死瀬ヶ原に入り込みこねくり回し、罪の意識など微塵も感じずにくだらん映像を世間に公表する。それを見た興味本位、物見遊山の連中が、それこそ全世界から押し寄せてきたら、この国は!いやこの世界はいったいどうなると思うかね!」

 院長の危惧は最もだ。現実よりもネットの世界をよりどころにする、礼節など弁えない連中が大挙押し寄せて暴虐無人に振る舞い、この村の人々が何世代にも渡って必死に隠し通してきた死草の秘密を、面白おかしく全世界に発信したら、それは想像を超える悲劇の幕開けになりはしないだろうか。

 取り返しのつかない恐ろしい現実は何としても避けなくてはいけない。真相を暴くのも警察官の職務だが、市民の安全を遵守するのも職務であることに偽りはない。

 「村民は十分戦った。何代にも渡って哀しい犠牲を払い続けた。その結果、戦うのをやめてバケモンと共存の道を選んだんじゃ。その方法が口を噤んで誰にも漏らさぬことなんじゃよ。もう悲しい犠牲はたくさん、悲劇を味わうのは自分たちだけでいい。未来を平和で明るいものにしたいと言うのが、この村に生まれたすべてのモンの切なる願いなんじゃよ」

 「院長…」

 老医師の必死の陳情がはっきり自分の心を打つ。

 「どうかワシたちの心情をわかってくれんか。子供たちの集団頭痛の原因は、今まで通り熱中症によるもので納めてくれんか?何度も言うがこの話を知っとるのは村のモン以外はキミだけじゃ。だからキミの腹にだけ納め取ってくれ。この村の人間はこの先もずっと死草の秘密を守り続けるから、その存在が世間に知られることはないと断言できる。キミが黙っとってくれたらこの国に降りかかるかもしれん災厄が間違いなくひとつ減るんじゃ。だからほじくり返すのはやめてそっとしておいてくれ。この通りじゃ」

 院長はやおら立ち上がると、最敬礼に近い角度で私に頭を下げた。下げ続けながら何度も何度も、言わんでくれ、黙っとってくれ、そっとしておいてくれと口にし続けていた。

 「失礼」

 自分の持つ正義感や使命感が大きく揺らいでいる。一課時代からどんな相手でも捜査官としての矜持を保ちつつ、時に非情に任務に徹してきた自分だったのに、自分なりに築き上げた倫理観が驚くほど揺らいでいる。

 その揺らぎに耐えきれなくなった私は、頭を下げ続ける院長の姿にいたたまれずにその場を離れた。

 「賞賛も名誉もいらん。ワシらは平和な世を守りたい、それだけなんじゃよ!」

 院長の悲痛な叫びを背中で聞きながら、私は彼の執務机後ろの窓辺にまで進み、目線を夏の陽射しまだきらびやかな外に向けた。窓越しに広がるのは目に優しいのどかな山村の風景。はるか遠くに山並みが見える。

 私はジャケットの内ポケットから、くしゃくしゃにつぶれたタバコの箱を取り出すと一本抜き、その場で火をつけた。

 肺いっぱいに煙を吸い込み一気に吐き出す。苦い、苦すぎる。

 ソファーに座ったままがっくりと肩を落とす院長の背姿が、目の前のガラスにうっすら映り込んでいる。
 
 吸い慣れている筈のタバコのニコチンがいつもより苦く不味く感じるが、それでも私は吸い差しを口に運び続けている。

 私は必死に考える。この場合の正しい結論は何だ?どこにある?

 正しい結論は言うまでもない。私は刑事である。あらゆる事情は汲み取る努力はしても、捜査の眼を晦ます私情は禁物だ。警察に籍を置く組織人ならば排除すべき事物がそこにある以上、温情を排して実務に徹するのが当然だろう。捜査官の本分を忘れてはならないのは承知している。

 だが職務に則った判断が本当に正しいのか?ひょっとしてその判断は、あとで何か起こっても付け入られるスキのない、先例に倣って波風を立てない、杓子定規で組織保全に寄った判断なのではないだろうか?

 もしも自分が捜査官ではなくイチ個人の心情に従って、何が適切であるかを純粋に考えれば、院長の話をすべて聞き終えた現在、おのずと実務と真反対の結論に到達する。

 この村の先人たちは村の掟を何世代にも渡り必死に守り続けてきた。それが証拠に今回の事件より前に死草の存在も死草による犠牲も一切無かった。頑なに口を噤み続けた村民のおかげでシミひとつ表に出なかった。つまり村民の努力で治安は守られ続けてきた疑うことのない実績があるのだ。
 
 そしておそらくこの先も、この村の人々は先例に倣い秘密を守り続けるだろう。そうすることで村の治安は保たれ、ひいてはこの国のささやかな治安維持にも繋がるはずだ。
 

 捜査官の判断とイチ個人の判断、相反する二つの判断の望む未来はいずれも平和な世の構築だ。だとすれば現代科学を最大限に駆使する捜査官としての判断に軍配が上がるはずなのに、それを選択したその先に底知れぬ不安がつき纏うのは何故なのだろう。

 翻って現代科学とかけ離れた人間一人一人の意思と節度と思いやりに委ねるべきだと言う、イチ個人の判断に不安のない明るい希望が見える気がするのも何故だろう。

 イチ個人の自分が正しいと信じる判断を、捜査官としての結論に重ね合わせることは許されないことなのだろうか?

 相変わらずタバコが不味い。もはや惰性で吸い続けているタバコだから、美味いと思って吸った記憶も無いが、今日はそれに輪をかけて不味い。どうせ不味いのなら煙と一緒に、自分の心の中に巣食う惑いやしがらみを吹き出したい。特に名誉欲や出世欲と言った正しい判断を鈍らせる諸悪の根源を。

 (そういや院長は窓外のはるか向こうが合戦場だと言ったな……)

 咥えタバコの自分の目線の先に広がるのどかで牧歌的な山野の景色。院長の話によれば400年以上前、このはるか先でこの国を二分する天下分け目の合戦が行われた。

 その時の東西どちらかの大名の家臣が、この村から強引に死草と言う名のバケモノを奪い取っていった。人殺しの道具にする為に罪もない村民を嬲り殺しにして高笑いで奪い取っていった。

 実際に戦で使われたことはなかったが、村民は二度と無益な犠牲を払いたくない思いからバケモノとの対決を決めた。こんなものさえなければ人殺しの道具に使う馬鹿どもは二度と現れない。そうすればこの村は、いやこの国は平和な国になる。そう信じて村民はバケモノに戦いを挑み続けた。

 だが、結果は完敗に次ぐ完敗。散らなくてもいい命が無数に散っていく。それでも村民は諦めなかった。今日血反吐吐いて倒れた仲間の屍の上に立ち、明日の勝利を信じて村民はバケモノに向かっていった。

 身命を賭した哀しい戦い百年以上。人里離れた小さな村の勇気ある人々が、この国を守る為に人知れず命を散らしていった。今は穏やかで緑豊かなこの台地には、精魂尽き果て力尽きて生きたくても生きられなかった人間の血と汗と涙が無数に染み込んでいる。

 誰にもその存在を知られることも、まして称賛も名誉もない、だが誰よりも正義感に溢れた純粋で気高い高潔な勇気ある人々が、確かにこの地に存在していた。

 むろん証拠はない。証拠はないが、今の自分にそれを疑う気もない。

 (そうだ、あの婆さんだって)

 窓外の景色を眺めながら戦乱の世に思いを馳せていた時、急にあの施設で話を聞いた老婆の姿が浮かんだ。

 寝たきりのベッドの上で、皴だらけの顔を何度も振って証言を拒み続けていた老婆。彼女もつい最近までこの村で暮らして、死草の存在を熟知していた村民だ。

 婆さんは村の掟に従い口を噤んでいた。恐らく婆さんも院長と同じく、先人たちの命の犠牲に心を痛め、バケモノの根絶よりも共存を選択した先人の意思を尊重し、秘密の保持に人生を掛けてきたひとりのはずだ。この秘密は墓場まで持って行かにゃならん、と語った言葉がその証拠になる。

 あの婆さんも院長と同じで未来を守るための熱い思いを、あの年になっても心の奥底に持ち続けている。賢者の意思を受け継ぎ、たとえ村を離れてもたった一人でも、安全なこの国の未来を守るため戦っていたんだ。

 その時! 

 バチンと音がするくらいに頭の中に強烈な火花が走った。

 未来を守るために戦うだって!?

 そういうことか……なんで気づかなかったか。指先に短くなってきたタバコの熱さが伝わってきているが、そんなことはどうでもいい。

 俺は馬鹿だ!捜査官失格だ!チッキショー!何でもっと早く気付かんかったか。自分の心が邪欲に塗れ、真実を見る眼が曇っていた何よりの証拠。

 そして、はっきりとそれが心から自覚できたのなら迷うことはない。俺の出すべき結論はひとつだ。

 もうこれ以上吸えないところまで短くなった吸い差しを携帯灰皿に押し込んだ私は、渾身の力を込めた左手で携帯灰皿を握りつぶして身を返し、うなだれるようにソファーにへたりこむ院長の脇に立った。

 「院長」

 私の声に座ったままの院長が顔を上げて私を見上げた。絶望感に打ちひしがれている表情だった。


 「捜査官として必要ならば秘密は守る、最初に私が申し上げたのを覚えておいでですか?」
  
 ああ、と目の前の老医師が頷く。

 
 「五人の小学生は、事件発生時のこの付近の高すぎる外気温のせいで熱中症にかかってしまった。全員が激しい頭痛を訴えたが地元病院の院長及びスタッフの手厚い救護により体調を回復した。本日、院長への再度の聞き取りに不都合な個所は無くすべて自分の思い過ごしだった。熱中症による突発性の発病を正式見解とする診断を元にした所轄の報告に問題点は見られない。このように上司には報告することにしますが、いかがでしょうか?」 

 うなだれて聞いていたはずの老医師が、すべて聞き終えた瞬間、少しよろけながら立ち上がった。

 「いま、なんと……」

 「ですから、報告に問題点はない、そう上司に言うと」

 私の文言がよほど意外だったか、狐につままれたかのように驚きの表情を見せながら、老医師は立ち上がり私と相対した。

 「キミィ……ホ…ホントかね??」

 院長の声が震えている。

 「自分の本心です。そして、今も必死にバケモノと戦い続けてくれるこの村の皆さんへの全国民を代表してのエールです」

 「全国民のエールだって?」

 「今になってやっとわかりましたよ、仰せの通りやはり自分の考えは浅すぎました、真実が全く見えていなかったですよ」

 私は心晴れやかに包み隠さず真意を伝える。

 「対決はまだ終わってないんですよね。形を変えただけで今も続いてる。そういうことですよね?」

 院長は呆気にとられた表情で私を見ていたが、委細構わず堰を切ったように私は胸の内をぶちまけ始める。

 「院長は死草との共存だと仰ったが、とてもそんな生温いことでは無いんですよね。共存とは知らぬ存ぜぬでも見て見ぬふりでもありません。むしろ真っ向からバケモノと向き合うことだと思います。死草の恐ろしさを身を持って知ってる賢者たちは、すべての真実に口を噤んで決して外部に漏らさず、完全に死草の存在を世間から隠し通すことこそが、犠牲者を出さずにバケモノと闘う最上の手段だと気付き、それを今世迄数百年間実践し続けてきた。だから今回の不運な事故が起きるまでただの一度も問題は起きていない」

 目を丸くして自分の話しを聞く院長に私はさらに本心をぶちまける。

 「私は関係者全員が口を噤み秘密を守り続けることの方が、文明の利器や科学を駆使するよりよほど難しいと思うんです。その難しいことをこの村の皆さんはひとりも欠けることなく200年以上やり続けてきている。そして今この時代も死草との対決は続いていて、院長をはじめとする村民の皆さんも先人の皆さんと同様に戦っている。そうですよね院長」

 私は笑顔で口にして、その証拠とばかり院長に自分の右手を差し出した。その手を院長の右手が恐る恐る包み込む

 「死草とこの村の双方がこの地に存在し続ける限り、これからも対決は共存の形で続いていく。黙して語らずを日々実践されている皆さんの努力がバケモノを死瀬ヶ原に封じ込めてくれている。そしてそれは、この国に降りかかるかもしれない災厄を間違いなく防いでくれている。もしもここで得た事実を私が得意げに吹聴してしまえば、戦い続けている皆さんの努力を木っ端みじんに砕いてしまう。恥ずかしながらようやく気付きましたよ」 

 諦めと失望と悲観しかなかった院長の表情に見る間に赤みがさす。差し出された私の手を院長は、がっしりした両手で力強く挟むようにしっかりと握りしめ、何度も何度もありがとうを繰り返す。その声が徐々に鼻声になって来てるのに気づき私も胸が熱くなってきた。 

 「今日伺えたお話しは誰にも申しません。私の胸の中にだけ納めることにします。そして忘れる努力をしようと思います。警察官としてではなくひとりの人間としてそのことをお約束しますよ、院長」

 これでいい。これが最上の判断だと信じる。捜査官とはしては明らかに失格だろうが、事実を明らかにするだけが事態収拾の手段ではない。この判断が今も必死に戦い続ける勇気ある村民への私からのささやかなエールだ。

 「スマン、スマンな、キミ。恩に着るよ、ありがとう」

 「人生の大先輩である院長にもあのお婆さんにも随分酷い物言いや態度を取りました。どうかお許しください。この通りです」

 私は頭を下げた。院長や婆さんへの警察官の身分をかさに着た高圧的な態度や物言い。何より知らぬこととはいえ、身命を賭して戦い続けた先人の名誉を傷つけるような言葉を吐いてしまった。これは許される事じゃない。

 「イヤ、いいんじゃ、わかってさえくれればいいんじゃ、いいんじゃよ、ありがとう。本当にありがとう」

 確かに自分の考えは浅すぎた。もしそこまで思いが及ばなかったら大変なことになっていた。手柄を上げて一課へ戻りたいと言う、自分の出世欲や名誉欲に駆られ愚行を犯し、その結果、院長が危惧した悲劇が現実に起きる引き金を引いてしまっていた筈だ。

 賢者たちは何世代にも渡って悪魔と戦い続けた結果、共存の道を選んだ。だがそれは、この先絶対に無益な死を失くし犠牲を出さない為の、形を変えたバケモノとの戦いの継続なのだ。

 尊重されるべき賢者の判断は、この現代にも絶えることも廃れることも無く、静かだが力強く今もこの村に伝わり続けている。村民とバケモノとの対決に部外者がむやみに関与するなど絶対にあってはならない。

 バケモノと互角に戦えるのは現代科学でも、名の知れた有識者でも、我々のような国家権力者でもない。無名でも身命を賭せる覚悟のできるこの村の人々だけなのだ。
 
 私が口を噤むことでこの村の人々は、共存と言う名の死草との対決にこれからも粛々と臨み続けてくれるだろう。そうすることが、この村、この国、いや世界全体を守ることに繋がるとすれば、こんなに素晴らしいことはないじゃないか。

 「この村にはまだまだ院長が必要です。御身を大切にこれからもご活躍を願いますよ」

 何よりも私は、私利私欲もなく守秘を貫く覚悟の目の前の老いたオトコにすっかり魅了されていたのだ。  

 「ありがとう。老いぼれじゃがな、最後のご奉公を頑張らせてもらうよ」

 院長は涙声だった。良かった。本当に良かった。

 「最後のご奉公だなんて言わんでください。まだまだ院長は現役ですよ」
 
 「ありがとうキミ、本当にありがとう」
 
 「お会いできて光栄でした。それから、もし叶うのであればあのお婆さんに申しわけなかった、すみませんでしたとお伝えくださいませんか?」
  
 そう言って私も開いている手で、私の手をしっかり握りしめる老医師の手を、さらに包み込むようにしっかり握りしめた。
 

 「わかった、必ず伝えるよ。ありがとう、ほんとうにありがとう」

 「お礼を申し上げるのはこちらですよ院長、この国の安全のために頑張って下さっているのですから」

 「ありがとう、わかってくれてありがとう」

 涙声の院長に触発されたか、私も目尻に熱いものがこみ上げてきた。 

 事件は終わった。もう何も言うまい。

 私は心から清々しい思いに溢れていた。捜査一課時代は難事件や凶悪事件を解決しても、喜ぶどころかむなしくやるせない気持ちにしかならなかったのに、今回の捜査を終えた今の自分の気持ちは、一点の曇りもシミもないほどに晴れやかで清々しい。捜査を終えてこんな心持ちになれたのは、ここまでのデカ稼業でも無かった気がする。

 (一課復職は夢に終わったが、生活安全部も悪く無いな)

 零れそうになる涙を必死に抑え付けながら、ぼんやりとそんなことを考えていた時、さっきまで鳴りを潜めていた筈のセミの声が、けたたましく窓外から聞こえてきた。

 まるで私の変心を祝うかのように、勇ましく鳴り響いて来た。 

 9月の声を聴いても、まだまだこの国の夏は終わりそうにない。



 

*おわり*


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