喜三郎じいちゃんの知恵袋『えらか人かどうかは、見た目じゃわからんばい』第36話
◆ 朝の裏手で、なんとなく気になるおっちゃんがおった
わしがまだ若か頃のことや。
取引先の裏手を通ると、毎朝おんなじ場所におる作業着姿の男が一人。
ただ床ば拭くだけやなかとよ。 壁の隅っこのクモの巣も払うし、ゴミ箱の裏まで覗き込んどる。 蛇口の根元ばティッシュでぬぐいながら、 手袋でゴミ袋の口を丁寧に縛っとった。
雑巾も手入れがしてあって、しぼったあときちんと干しとる。 無駄な音も立てんし、ほんに黙々ときっちりやっとる。
挨拶すれば、軽くうなずいて返してくれる。 そげん気ぃ遣ってくれるわけやないが、なんやろな、 あとあとまで目に残る背中やった。
そん人のことを、わしはずっと“ただの清掃のおっちゃん”やと思っとったんよ。
◆ あの日、打ち合わせ後のロビーで見た光景
ある日、大手の取引先との大事な打合わせがあってな。
その日の部長は、いつにも増してふんぞり返っとった。 わしら若手には目もくれず、取引先にも偉そうな態度で接しとる。 「まあ、こっちがお客さんやけんな」みたいな感じでな。
打ち合わせが終わって、みんなでロビーに出てきたときやった。
向こうから、見慣れた作業着の男が歩いてくる。 ――あの清掃しとったおっちゃんや。
その時、驚いたことが起きたとよ。
あの横柄やった部長が、急に立ち止まって、深々と頭を下げ始めたんや。
「お疲れさまです、会長」
……目の前がぐらっとしたとよ。
わしはその日初めて知った。 その人が、その会社の会長さんやったってことを。
◆ 会長がぽつりと語った、スリッパの話
あとで喫煙所で、たまたま二人きりになったときや。
思わず聞いてしもた。
「会長…清掃まで、ご自身でされとるんですか?」
そしたら会長、燼草に火をつけて、静かに言いよったとよ。
「わしが社長やっとった頃、偉うなった気で人を見下しとった時期があったとよ。
ある日、清掃のおばちゃんに『あんた、ほんまに偉いね』って言われてな。
なんのことか聞いたら『社長さんがトイレのスリッパ揃えて出てくるの、あんただけやけん』って。
そのとき思うたんよ。 『人の上に立つって、そげん小さいことの積み重ねやったんか』ってな。
そっからや。わしが『もう一回、いちばん下から始めてみよう』って思うたのは。」
声を荒げるでもなく、自分語りをするでもなく。 ただ、ぽつりと。
わし、その言葉に、深う頭ば下げたくなった。
◆ 喜三郎じいちゃんの知恵袋
えらか人かどうかは、見た目じゃわからんばい。
ほんまにえらか人っちゅうのはな、
自分より下をつくらん人たい。
そんな人の背中はな、人が見てなくても、自然と人の頭を下げさせるとよ。
✍️ フォローとスキが、じいちゃんの茶代になりますけん。 よう効く話がまだまだあるとよ。続きも楽しみにしとってな。
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