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第18話:昭和の暮らしを支えた 名もなき仕事図鑑『紙芝居屋さん──黄金バットとズンドコ節の昭和劇場』

昔は、どこに どんなふうに おられたんですか?

あの頃はなぁ、夕暮れになると町の辻や神社の境内に、三輪自転車を引いた「紙芝居屋さん」が現れたんよ。
拍子木の「チョーン」という音が響いたら、子どもらは駄菓子の10円玉握りしめて、わーっと集まってきた。

紙芝居屋さんの後ろにずらり並んで、棒付きの水あめを舐めながら見るんや。
狭い路地が、一瞬で“子ども専用の劇場”になったもんや。


どんなことをしてはったんですか?

紙芝居屋さんはな、絵の描かれた厚紙を一枚一枚抜きながら、声色を変えて物語を演じてくれる。
「黄金バット」や「怪人二十面相」なんかは、もう大人気やったわ。
骸骨顔の黄金バットが悪党をやっつけるたびに、子どもらは「おおーっ!」て歓声あげとった。

それから「街の伊達男もの」も流行ったな。
あれは、いわば「ズンドコ節」の世界観そのままやった。
ズンドコ、ズンドコいうリズムに合わせて、粋な兄さんが悪を懲らす。
子どもらも、帰り道で「ズンドコ、ズンドコ〜♪」と口ずさみながら家に帰ったんやで。


どんな人たちが その仕事を?

紙芝居屋さんは、もともと失業した人や、旅芸人みたいに芸を持った人が始めることが多かった。
声に張りがあって、節をつけるのが上手い。
中には「歌舞伎役者のまね事ちゃうか?」思うくらい大げさにやる人もおった。

それに、ただ話すだけやないで。
駄菓子や水あめを売るのが本業で、紙芝居は子どもを集める看板やった。
せやから、うまい人ほど子どもが集まって、商売も繁盛したんやな。


その仕事、どうして 見かけんようになったんですか?

決定的やったのは、やっぱりテレビやな。
昭和30年代に入ると、家に帰ったらテレビでヒーロー番組や漫画映画が見られる。
そうなると、わざわざ路地に集まる子が減っていった。

それに学校から「駄菓子ばっかり食うたらあかん」て言われたり、
交通量も増えて路地で集まるのが危ない言われたりして……
いつの間にか、紙芝居屋さんは町から消えてもうた。


最後にひと言、もらえますか?

紙芝居の絵はな、今見たらちょっと素朴で荒っぽい。
けど、そこに声と拍子木と、駄菓子の甘さが重なると──それが子どもらの世界一の劇場やったんや。

黄金バットの勇ましさも、ズンドコ節の伊達男の粋も、
子ども心に「正義は負けへん」て教えてくれた。

あの夕暮れの辻はな、ほんまに夢と笑い声でいっぱいやったんよ。


🍭 ご覧いただき、ほんまおおきに。
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