【翻訳】「悪い民族」など存在しない:国家プロパガンダにおける本質主義とドミトリー・ペトロフのイデオロギー的反本質主義について
2026年5月8日投稿
「無政府主義的コミュニスト戦闘団」(BOAK)の創設者であり、われわれの友人、同志にして、闘いに殉じたドミトリー・ペトロフの思想的立場に関するこのエッセイは、彼の戦没記念日、4月19日に(ウェッブサイトおよびテレグラムで)公表された。英訳に協力してくれた友人たちに感謝する。
「この戦争に参加するもう一つの重要な意義は、実際の行動によって国際主義を支持することである…」
「…恐るべき帝国主義が目覚め、それへの反応として、ナショナリズムとロシア人への軽蔑の波が押し寄せる時代に、私は言葉と行動でこう主張する。『悪い民族』など存在しない。すべての民族は同じ悲しみ―貪欲で権力に飢えた支配者たち―を抱えているのだ。」
(ドミトリー・ペトロフの声明より)
本日4月19日は、われわれの同志であり、「無政府主義的コミュニスト戦闘団」(BOAK)の創設者であるドミトリー・ペトロフが、同じくアナキストであり革命家であるフィンバー・キャファキー、クーパー・アンドリュースと共に、アナキスト戦闘グループの一員としてバフムート近郊のロシア占領軍陣地を襲撃し、闘いに殉じてから3年目にあたる。ペトロフには語る時間がなかったことが沢山ある。彼は優れた理論家であると共に常にパルチザンかつ戦士であり、突撃兵として戦い、革命の目標のために自らを犠牲にした。
私はここで、ドミトリー・ペトロフの世界観のある側面について論じたい。すなわち、ある特定の集団が不変の(しばしば否定的な)特性を持っているという考え方―本質主義と呼ばれる現象―に対する彼の否定的な態度についてである。この問題はわれわれの同志にとって非常に重要だったため、彼は自らの死に備えて残した声明の中でこの問題を取り上げている。「私は言葉と行動でこう主張する。『悪い民族』など存在しない。すべての民族は同じ悲しみ―貪欲で権力に飢えた支配者たち―を抱えているのだ」と彼は述べている。
この文章が書かれた頃、フィンランドのアナキスト、アンティ・ラウティアイネンが Autonomous Action のウェブサイトに寄稿したコラムで、関連するテーマが取り上げられていた。それを読めば、ここで議論されている問題についてより深い理解が得られるだろう。
「他者」のイメージ:きわめて簡潔な概要
われわれが様々な国や地域、そしてそこに住む民族や宗教集団について持つ知識は、どこからともなく発生してくるものではない。それは、階層的、家父長的、人種差別的、そして植民地主義的な権力構造の支配下で社会的に構築されたものだ。これは、ポストコロニアル思想の巨匠の一人であるエドワード・サイードが1979年に刊行した重要な研究『オリエンタリズム』の主題である。サイードは、西洋の植民地諸国家が、どのように植民地化した東洋を「他者」とみなすイメージを構築したのかを分析した。植民地国家が理性的な男性として描かれる一方で、東洋は繊細でか弱い女性として描かれた。西洋は自由と理性を、東洋は専制と狂信を体現した。西洋は「文明化」されている一方、東洋は「アルカイック」で「野蛮」であるとされた。この「知」と称されたものは、植民地時代の文学や学術の伝統の基盤だけではなく、過去においてはイギリスやフランス、そして今日では米国やイスラエルが、征服、資源略奪、民族浄化、ジェノサイドといった最も残忍な手段を通して、植民地化された諸民族に自らの意思を押し付けている現実をも形成したのだ。
多くの人が、アパルトヘイト国家イスラエル―全世界の眼前でガザ地区のパレスチナ人へのジェノサイドを行った―が「中東唯一の民主主義国」と呼ばれているのを耳にしたことがあるだろう。これは、「他者」のイメージ構築がいかに植民地主義と虐殺のために利用され、疑う余地のない事実として世界中に押しつけられるヘゲモニックなナラティブを形成するかを示す古典的な事例である。イスラエルが「民主主義」と「文明」を体現するなら、何世紀にもわたってこの地に住み、シオニスト国家建設という植民地主義プロジェクトによって追放または殲滅されたパレスチナ人は、「野蛮人」や「イスラム狂信者」であると宣言された。さらに、占領とアパルトヘイトを正当化するために、パレスチナ人のこうした特質は不変のものだと喧伝されたのである。パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の創設者であるジョルジュ・ハバシュとワディ・ハダッドは、1948年のナクバ(大惨事)の際に植民者によって故郷を追われたキリスト教徒の家庭の出身で、中東では非常に人気が高く名誉ある職業である医学の学位を持っていた。しかし、その事実は、イスラエルによるプロパガンダが、イスラム嫌悪的な決まり文句によってPFLPを「西洋文明」に反対する「野蛮な狂信者」として描き出すことを妨げることはなかった。

ロシアの植民地主義的反ウクライナ政策における本質主義と「他者」のイメージ
何世紀にもわたって、ロシアはウクライナの地に対して植民地政策を追求し、ウクライナは長期にわたりロシアの植民地として、帝国の中心に資源と労働力を供給してきた。1991年にウクライナ国家が正式に独立した後も、ロシアによる経済的支配、ウクライナの政治家やオリガルヒの大多数(過半ではないにせよ)の親ロシア的傾向、そしてロシアの文化的覇権を通じて、ウクライナの従属的な地位は維持された。
植民地的従属とともに、ウクライナ人を「他者」とみなすイメージが形成された。大衆文化の産物やロシア人の意識の中で、ウクライナ人は「地方主義」の象徴―「おかしな」言葉を話す単純で幾分愚かな人々―になった。しかし同時に、ウクライナ人は狡猾で機知に富み、ある程度は欺瞞的で油断のならない者でもあるとされた。こうした特質は、帝国の中心に住む住民の特徴―正直で率直であり、「発展した」「科学的」思考様式を持つ―とは対照的であるとされた。
ウクライナ民族主義が―現象それ自体としても、帝国主義プロパガンダがそれによって意味したものとしても―別個のテーマとなった。ロシア帝国主義の言説において、ウクライナ人のアイデンティティは第二次世界大戦中の対敵協力と「バンデラ主義」と不可分に結び付けられていた。この点において、ロシアのプロパガンディストは、イスラエルのアパルトヘイト国家へのあらゆる批判を言説レベル(時には法的レベル)で「イスラムのテロリズム」と同一視しようとしたイスラエルや西側諸国の後を追った。イスラエルと西側のプロパガンダの成果については既に述べたが、ロシアのプロパガンダもこの点でかなり成功を収めている。例えば、2022年2月24日以前は、平均的な西側諸国の人々の間では、ウクライナはかなりの程度まで民族主義やネオナチ運動と結びついていた。全面戦争の勃発は、2023年10月に始まったパレスチナ人へのジェノサイドと、それに対する大規模な国際主義的レジスタンスが、パレスチナのレジスタンスに対する世界の態度を根本から変えたのと同様に、このような言説的現実を一変させたのだ。
ロシア・ウクライナ戦争における「他者」のイメージ
2014年2月、親ロシア派として知られていたヤヌコビッチ政権に対し、ウクライナで民衆蜂起が勝利した。これに続いて、ロシアはウクライナに対する露骨な帝国主義的侵略を開始し、それは2022年2月には全面侵攻へとエスカレートした。ロシアでは、国家プロパガンダが帝国主義的かつ「反ファシスト」のナラティブを用いてこの攻撃を正当化した。一方、ウクライナはその民族形成プロセスの最終段階に入っていた。国民国家の形成には、常に「統一された民族」と、その民族の一部ではない「外部」との間にあるナラティブの対立が伴う。ウクライナの国家システムは、ロシアやベラルーシの国家システムよりもはるかに多元的であるため、様々な政治勢力が、ウクライナ国民に馴染まない「外部」とみなすべきものについて、それぞれの独自の考えを提示することが可能であり、また実際にそうしている。こうしたものの中には、「共産主義者」、「ソ連時代の人」、「左翼」、「親ロシア勢力」(これは全く異なる意味を持つ可能性がある)、ロシア人、ロシア語話者、「反民主主義者」、徴兵忌避者、LGBTQ+などが含まれる。
ナラティブのレベルでは、ロシアとウクライナの国家プロパガンダは、隣国とその国民を、自国とその国民の特質ではないはずの、あらゆる不変の否定的特質を帯びた理念的「他者」として描き出してきた。基本的には、これこそが純粋な形態における本質主義であり、このナラティブ的現実が、今後何年にもわたってウクライナ人とロシア人の間の国境を越えた草の根レベルの連帯を阻害するのである。この責任は、まず第一に、ウクライナで植民地戦争を始めたプーチンの帝国主義的なファシスト国家ロシアにあり、また、一定程度まではそれを阻止することのできなかったロシア社会にある。したがって、ロシア帝国主義プロジェクト―核兵器を保有している―を解体することが、革命家にとって第一の目標となるだろう。
理念的「他者」とはどのようなものだろうか?マイダンの民衆蜂起の最中でさえ、ロシアのプロパガンダはウクライナを混沌と動乱の地として描き始めていた。それはロシアの「安定」と対比され、安定こそがプーチン政権のプロパガンダにおける切り札であって、権威主義と抑圧を正当化するために用いられたのだ。安定の維持を口実に、クリミアは2014年初頭に占領され併合された。この同じナラティブは、ウクライナ人を、「ビッグ・ブラザー」の「安定」をもたらす家父長的な手助けがなければ、まともな生活を築くこともままならない、自ずから反逆やトラブルを引き起こす人々として描きだした。
侵略を正当化したもう一つの理由は「反ファシズム」であった。前述したように、ロシアのプロパガンダ活動とロシア国家による第二次世界大戦でのナチズムに対する勝利の利用は、一般の西側諸国の人々の間でも、ウクライナが一時的にネオナチ勢力と特別に親和的な国として認識されるという状況を生み出した。まさに世界的な国民国家という概念―その一つの典型がヒトラーの国家社会主義体制だったのだが―が、西側資本主義の近代化の産物であるという事実にもかかわらず。プーチンの反ファシスト神話を解体し、ファシスト・ロシア内部の民族主義的、排他的傾向を暴露することには既に十分な注意が払われているが、ここでは、この神話がウクライナ人を「他者」―森の隠れ家から卑劣な奇襲攻撃を準備するバンデーラ支持者―として描くイメージの形成に大きく貢献したことを指摘するに留めておこう。だから、予防的な侵略行為が正当化されているのだ。ついでながら、近年にあっては、帝国主義国家は、事実上、すべての「反テロリスト」的な介入を正当化するために、同様の論理を用いている。

ウクライナの民族建設プロジェクトはどのような反応を示したのだろうか?ここでまず思い浮かぶのは、「自由を愛するウクライナ人」と「奴隷のようなロシア人」の対比である。過去4年間、「ロシアは奴隷の国だ」という主張を耳にした人は多いだろう。これは本質的には、理念的「他者」である。もちろん、こうしたウクライナのプロパガンダによる主張は、数多くのウクライナの現実の事例をもって反証される。国家と企業によるウクライナ人の社会的権利への攻撃、ウクライナにおける著しい経済格差、治安機関の強化、過剰な動員、そしてウクライナ当局による―少なくとも言葉の上では一部のヨーロッパの政府の支持を得ている―国外に逃亡したウクライナ人男性を強制的に帰国させる政策などである。また、「自由を愛するウクライナ人」というウクライナ民族主義の神話は、アナキスト・マフノ主義運動を簒奪するもので、それによってマフノ主義からその本質を剝ぎ取っていることも指摘しておくに値する。そもそも、実際のネストル・マフノとその同志たちは、ウクライナ民族国家であるウクライナ人民共和国(UPR)と闘い、イデオロギー的にずっと近いと考えていたソビエト・ロシアと同盟を結んでいた。さらに、マフノ主義運動の目標は資本主義の破壊と経済的平等の実現であって、現在のウクライナ国家からこの理想は全く失われてしまっている。

フリャイポレにあるウクライナの国家シンボルが刻まれたネストル・マフノの記念碑
全面戦争勃発後、ウクライナの国家プロパガンダは、本質主義的な文明の二分法、すなわち「文明化された」西と「野蛮な」東という構図も用いた。少なくとも言説レベルでは、ウクライナ当局がイランへの米国とイスラエルの攻撃を支持したり、ゼレンスキーがウクライナのドローン・パイロットの中東派遣を繰り返し提案したのは、ウクライナを「文明の陣営」に位置づけようとする試みであったと説明できる。しかし、ロシアのプロパガンディストは、「秩序と文明の領土」としてのロシアと、秩序も法もない「野蛮な荒野」としてのウクライナを対比させている。
ウクライナのアナキストや他国の国際主義者たちは、現在の戦争において、ロシアの植民地帝国に反対してウクライナ社会の側について戦っている。ウクライナ人のアイデンティティによるとされる自然発生的な自由への希求と専制的権力の拒絶は、もちろん、ロシアのプロパガンダが推し進める国家や帝国権力の物神化よりアナキズム思想に近い。また、社会がプーチン政権によって完全に抑圧されているロシアよりも、ウクライナでは自己組織化と自治の余地がはるかに大きいことは疑いようもない。しかし、ドミトリー・ペトロフがその著作の中で繰り返し指摘したように、不変の否定的特性を持つ民族など存在せず、「自由を愛する」特色に恵まれた民族的アイデンティティでさえ、アナキズムのイデオロギーと完全に一致するわけではない。
ドミトリー・ペトロフの思想と闘争
全面戦争が始まる何年も前、ヤヌコビッチ政権に対する蜂起の最中に書かれたディマ【ドミトリー・ペトロフ】の『マイダン日記』は、ナショナリズムと「西側世界」崇拝への拒絶、そしてウクライナ人とロシア人の間の草の根レベルの連帯への願望に満ちている。いわゆる人民集会(ピープルズ・アセンブリー)でのマイダン指導者たちの演説から受けた印象を彼は次のように述べる。「スピーチでウクライナを『第三次冷戦におけるヨーロッパの前哨基地』などと呼ぶ比喩が使われると、時として驚き、とひどく皮肉な心持ちになったものだ。」注目すべきは、亡くなった同志がこれを書いたのは2014年2月で、マイダンの勝利、ロシアによるクリミア併合、ロシア軍のウクライナ東部への限定的な侵攻、そして全面戦争が始まる前だったことだ。「東の脅威から西側文明を守る」ことがウクライナの支配層の支配的なナラティブとなる前のことである。しかし当時にあってさえ、ディマ【ドミトリー・ペトロフ】はこのイデオロギー的構築物がウクライナ人と国際連帯の両方にとって不条理で有害であることを認識していた。

『マイダン日記』では、この「文明的」アプローチが、国境を越えた草の根の連帯、社会運動間の経験の交流、抑圧構造との闘いにおける同志的な相互扶助と対比させられていた。ドミトリー・ペトロフは、解放されたウクライナ・ハウスでロシアから来たある同志が行ったプレゼンテーションについて語っている。スピーチのテーマは、2011~12年にかけてのロシアでの抗議だった。
「私たちは聴衆(50人以上)に、2011~12年にかけて統一ロシア(与党)とプーチン大統領に対して行われた大規模な抗議キャンペーンと『ボロトナヤ広場事件』について説明しました。私たちが聴衆に伝えたかった主要な考えは、抗議は水平的に組織されるべきだということでした。皮肉なことに、ロシアの運動とウクライナの反乱の違いにもかかわらず、私たちもスラブの兄弟たちと共有できるものがあります。悪名高い『反体制派調整評議会』でさえ、私たちの国では選出されていたのに対し、ここでは多くの執行ポスト(セキュリティと自衛)が、野党の議会政党によるか、あるいは「挑んだ者が食う」の原則に従って自ら勝手に名乗るかのどちらによって任命されています。これらの官僚もどきは、バリケードや広場、ウクライナ・ハウスに常駐している一般のマイダン活動家に対して責任を負っていません。同時に、その権限はロシアの『反体制派調整評議会』が持つ権限よりもはるかに広範です。言うまでもなく、この状況はヤヌコビッチの権威主義に対するレジスタンスを弱体化させています。私たちのメッセージは次のとおりです。すでに専制政治の断固たる反対者であることを示したウクライナ人民は、古い抑圧者の代わりに新しい抑圧者に踏みにじられるだけで満足してはならないのです。私たちは、モスクワのチスティエ・プルディとバリカドナヤでの『スタンディング』抗議の間に人民集会(ピープルズ・アセンブリー)を開催した経験について話しました。また、ロシアとウクライナの政治的現実におけるいくつかの奇妙な違いにも注意を促しました。特に、ロシア議会には、政権与党に対する本当の野党であると僅かながらでも言えるような政党は存在しません。逆説的ですが、ロシアの代表機関や政党の信用は失墜しているようですから、この点では私たちは「より恵まれて」います。私たちは温かく迎えられ、多くの人々が熱烈に私たちを支持してくれた一方で、私たちの平等主義的な立場と論争し、社会的ヒエラルキーは必然であって、そうではない路線で社会を組織することは『不可能』だといった、よくある誤解を主張する人たちもいました。誰もが心の中で葛藤を抱えています。一方では、人々は権力者の強制に抵抗するために立ち上がっていますが、他方では、偏見の重み、階層的な社会的態度の習慣、そして社会の垂直的な構造は依然として非常に強く、それらはレジスタンスの足を引っ張るのです。」
ご覧のとおり、問題はロシア人の不変の「従順さ」やウクライナ人の生来の自由への愛着にあるのではない。これらの資質は社会的なプロセスと集団的な闘争の中で形成されるものだ。革命的アナキスト運動の任務とはまさに、言葉と直接的な攻撃を通して権力構造と階層的な偏見を解体する、活動的で組織的な勢力として行動することなのだ。
ドミトリー・ペトロフは、全面戦争が始まってからも、この同じイデオロギー的枠組みの中で行動し続けた。振り返ってみると、全面侵攻の最初の一年間―そしてその後も―ウクライナと旧ソ連圏のリバタリアンの一部は、ある種の物神としてのウクライナのアイデンティティにとらわれていたことが、注意深く見ればわかる。こうした考え方では、ウクライナの集団的アイデンティティは、それ自体で既に無政府主義的な自由の理念を体現しており、結果として、イデオロギー的教義としてのアナキズムは関係なくなってしまうのだ。ディマ【ドミトリー・ペトロフ】が2022年11月に発表した『独立した勢力となるために』の中で明確に述べているように、アナキストの組織構造も弱体化していった。
「一見正反対に見える二つ目のアプローチは、積極的ではあるものの、結果という点では一つ目のアプローチと似ています。その支持者たちは、無政府主義や革命闘争は今は問題ではないと主張し、『まずウクライナを侵略から守る』、『まずプーチン/ルカシェンコを打倒する(必要に応じてどちらか強調せよ)』、この活動に全力で取り組む、そして…いいや、皆さん、もし分岐点でより良い時期まで理想を延期することに決めたなら、それは永遠に理想を棚上げすることになると思って間違いありません。」
故ドミトリー・ペトロフは、『ウクライナにおける反権威主義小隊での4ヶ月』の中で、ロシア帝国主義に対するウクライナのレジスタンスの他の部分との戦術的同盟における組織された闘争の必要性を認めつつも、ウクライナ国家との協力のネガティブな側面や、ウクライナ軍官僚機構によるアナキストの軍事政治組織の結成に対する反対について率直に語っていた。われわれの亡き同志によれば、一時的な統一戦線はアナキストの組織的努力やイデオロギー的意識を否定するものではなく、むしろその激化と強化を必要とするものであった。

その後の出来事がディマ【ドミトリー・ペトロフ】の言葉を裏づけたことに留意すべきである。最も残忍な戦争の最中におけるウクライナの腐敗、新自由主義的改革、深刻化する格差と経済的搾取、そして極右勢力の台頭―これらすべては、抽象的な親ウクライナの立場とアナキスト思想は、戦術的な収束点はあるにせよ到底同じとは言えないことを示している。
しかし、ディマ【ドミトリー・ペトロフ】にとって、ウクライナでのレジスタンスの枠組みの内部における自治への願望は、プーチン政権による残虐行為に意図的であろうとなかろうと加担しているロシア社会に対する批判的な見方を自ずと否定するものではなかった。しかし、この状況は生物学的に固定されたものではなく、社会的に条件づけられたものだ。 2023年3月にDOXAに掲載されたインタビューで、彼はこの点について率直に語り、ロシア国内にも革命的思想が広がることを期待していると述べている。
「この無謀な冒険がプーチン政権を葬り去り、より良い変化、ひいては私の帰国のチャンスをもたらす可能性は十分にあります。とはいえ、ロシアに住む人々に対する私の態度は、全体的に見てそれほど変わってはいません。私は長年、私たちの社会の従順さ、だらしなさ、そして狭量さに悩まされてきました。時折、同胞たちに反語的な問いを投げかけずにはいられません。『みんな、どうしてこんなことがあり得るんだ?残忍な独裁政権があなた方の名の下に前例のない規模の恐ろしい血なまぐさい犯罪を犯しているのに、皆沈黙しているか、あるいはもっと悪いことに、賛成の意を示してうなずいている。私たちが真実に気づき、行動を起こすには、他に何が必要なんだ?』しかし、これはどちらかと言えば感情の吐露に過ぎず、それ以上の意味はありません。すべてのロシア人を犯罪の共犯者とみているわけではないのです。」
「無政府主義的コミュニスト戦闘団」(BOAK)の国境を越えた活動―そこにおいては、故ドミトリー・ペトロフが最も活動的な役割を担ったが―は、とりわけプーチン政権、そしてその拡張主義政策にともなう帝国主義・植民地主義的メンタリティと俗物的な服従からロシア社会を解放することを目標としており、現在もその目標は変わっていない。
結論
最後に、この記事で論じたドミトリー・ペトロフの思想的遺産のうち、将来の社会の革命組織にとって重要な二つの側面について触れておきたい。ディマ【ドミトリー・ペトロフ】は、いかなるエスニック集団に関しても固有の否定的特性という概念を否定しつつも、エスニック・文化集団がその独自性を放棄すべきだとは考えていなかった。その反対に、この多様性こそが、連帯、国際主義、そしてレジスタンスにおける分かち合われた経験の統合の重要性を強調するものだった。自身はロシア系ユダヤ人の知識人社会で育ったドミトリー・ペトロフは、ウクライナ第95空挺旅団で戦っていた時でさえ、自らがロシア文化に属していることを常に率直に語っていた。しかし彼はクルド料理の達人でもあり、ロシア語圏でクルド革命運動の思想的指導者アブドゥッラー・オジャランの思想を広め、ウルリケ・マインホフとフアン・カルロス・マリゲーラのゲリラ戦術を研究し、実践していた。彼は自らの実践を通して、国際主義とは、文化的多様性に対する配慮ある態度を持つと同時に、架け橋を築いてグローバルな連帯を促進することであると示したのである。

同時に、革命的な世界観は、グローバルな国際連帯を強固に結びつける力となる。故ドミトリー・ペトロフによれば、革命闘争への忠誠、革命への信念、そしてイデオロギー的確信は、他のあらゆるアイデンティティに勝るものであった。最も困難な試練の時、人はこれらの信念からこそ力を得るべきなのである。
