「にょ」という防波堤 (エッセイ)
最近、気候の話でスーパーエルニーニョという言葉をよく耳にする。
本来なら、海が荒れ、気温が乱れ、農作物が悲鳴を上げるかもしれない、かなり物騒な現象である。
ところが、どうにも名前がかわいい。
スーパーまで付いているのだから、相当な大物のはずである。
怪獣映画なら、町の一つや二つは踏みつぶして登場してもおかしくない。
それなのに、エルニーニョ。
最後の「ニョ」で、全部が丸くなる。
スーパーエルニーニョと聞いても、巨大な災害というより、帽子をかぶった陽気な南米の少年が、海の向こうから走ってきそうな気がする。
ラニーニャも同じである。
こちらも気象現象としては、決して笑って済ませてよい相手ではない。
それなのに、ラニーニャ。
なんとなく、近所のパン屋で新しく働き始めた女性の名前のようである。
「今日から入りました、ラニーニャです」
そう言われたら、こちらも自然に、
「頑張ってね」
と返してしまう。
異常気象に励ましの言葉をかけている場合ではない。
つまり言葉というものは、意味だけでできているのではない。
意味がいくら恐ろしくても、音がかわいければ、人間の警戒心は案外あっさり突破される。
危険情報の正面玄関では厳重な警備が行われているのに、「ニョ」という小さな語感が、裏口から勝手に入ってくるのである。
そこで私は考えた。
この「ニョ」の力を、日常生活にも応用できないだろうか。
例えば、職場で上司が部下に腹を立てたとする。
「何回言ったら分かるんだ!」
これは怖い。
会議室の空気が一瞬で凍る。
しかし、
「何回言ったら分かるんだにょ!」
となると、どうだろう。
怒られていることに変わりはない。
だが、上司の威厳は確実に失われる。
おそらく部下は反省する前に、上司の顔を二度見する。
家庭でも使える。
「部屋を片付けなさい!」
これでは、親子の全面戦争が始まる可能性がある。
だが、
「部屋を片付けるにょ!」
と言われたら、子どもも多少は動揺する。
少なくとも、反抗するタイミングを失う。
夫婦げんかでも同じだ。
「あなた、私の話を全然聞いていないでしょ!」
ここまでは危険水域である。
しかし最後に、
「あなた、私の話を全然聞いていないにょ!」
と付ければ、怒りの船が防波堤にぶつかり、勢いを少し失う。
もっとも、使い方を間違えると、火に油を注ぐ可能性もある。
真剣な謝罪の場面で、
「誠に申し訳ありませんでしたにょ!」
などと言えば、謝罪ではなく宣戦布告になる。
何にでも付ければよいというものではない。
「にょ」は消火器ではなく、あくまで防波堤である。
大波そのものを消す力はない。
ただ、そのまま相手にぶつかれば壊してしまう言葉を、ほんの少しだけ弱めてくれる。
考えてみれば、私たちは内容を正しく伝えることばかり考えて、響きが相手にどう届くかを忘れがちである。
正しい言葉でも、固ければ人を傷つける。
厳しい言葉でも、響きを少し変えれば、相手が受け止められる余地が生まれる。
だからといって、明日から会社の朝礼で「語尾に『にょ』を付けましょう」と提案する勇気は、私にはにゃい。
おそらく提案した本人から、別室に呼ばれる。
それでも、言葉の角を少し丸める工夫は必要だと思う。
言葉は、意味で人を動かす。
だが、音で人を守ることもある。
怒りが込み上げたとき、きつい言葉をそのまま投げる前に、一度だけ心の中で「にょ」を付けてみる。
実際に口に出さなくてもよい。
「いい加減にしろにょ!」
そう心の中で言った瞬間、自分の怒っている姿が少しだけ滑稽に見えてくる。
その一瞬があれば、言わずに済む言葉もある。
人間関係を壊さずに済むこともある。
世界を救うのは、立派な理念だけではない。
時には、語尾に付いた小さな二文字かもしれない。
「にょ」は、言葉の防波堤である。
ただし、乱用すると、こちらの社会的信用まで防波堤をこえ沖へ流されていくので、注意が必要だにょ(笑)
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