霊感商法?!【2026/08/13】
スピリチュアルという世界の曖昧さ
私は研究者といっても文学研究者であり、歴史的な分野にも関わっているため、近代ヨーロッパの文化に興味があり、文献などで史実を調べ、できるだけ「確かなこと」を知るのが好きだ。
もちろん、文献に残っていることがすべて真実とは限らない。
それでも、資料を読み、複数のものを照らし合わせながら、「これはどこまで確かなのだろう」と考えること自体が、私にとっては面白い。
そんな私なのに、なぜか昔から、科学や資料だけでは説明できないような世界にも惹かれるところがある。
幼い頃から、不思議な体験をしたこともある。
だからといって、それをすぐに「霊の仕業」と決めつけたいわけではない。
むしろ、
「本当に霊的なものなのだろうか」
「別の説明ができるのだろうか」
と考えてしまう。
つまり私は、スピリチュアルなものを無条件に信じたいというより、曖昧なものだからこそ、その正体を知りたいのだと思う。
毎日引いているタロットについても同じだ。
不思議なほど、その日の出来事と重なるようなカードが出ることがある。
けれど、それは本当にカードが何かを示しているのだろうか。
それとも、カードを見た自分が、その日の出来事と結びつけて意味を見出しているのだろうか。
最近は、そんなことを考えるようになった。
そして今回、実際に「霊障相談」というものを受けてみたことで、私の中で長年曖昧だったことが、少し整理された。
「霊障相談」を受けてみた
私は神社や仏閣に行くことが好きだ。
主人との縁ができてからは、カトリック教会に足を運ぶこともある。
主人はカトリック信者だけれど、熱心な信者というわけではないし、私自身も、多くの日本人と同じように、何かあったときに神社に行ってお願いしたり、感謝したり、厄年にはお祓いを受けたりする程度だ。
それでも、どこかで霊的なものを身近に感じる自分がいる。
悪夢を見たり、自分が寝ている姿を見たり、首を絞められるような感覚があったり。
人や場所に対して、「なんとなくおかしい」と感じることもある。
だから、不幸なことが重なったときに、
「何かあるのではないか」
と考えてしまうこともあった。
そんな中、父の入院を前にして心配なことが重なった。
そこで今回、入院前日に、以前から少し興味のあった「霊障相談」と書かれたスピリチュアルカウンセリングを受けてみることにした。
今思えば、色々心配だったことももちろんある。
でも、それだけではない。
長年、自分の中にあった、
「こういう世界は本当にあるのだろうか」
という疑問を、自分で体験してみたかったのだと思う。
実際に体験してみて
相談の中では、いくつか個人的なことを尋ねられた。
そして、先祖供養のために、代わりに供養や祈祷をするという話もあった。
心配事が重なっていた私は、その話を聞いて、一瞬考えた。
「そういう方法もあるのだろうか」
と。
でも、そこで私はすぐに決めることはしなかった。
本当に必要なのか。
自分はそれをお願いしたいのか。
一度家に帰って考える必要があるのではないか。
そう思ったからだ。
そこで、
「大切なことなので、主人と相談してから決めます」
と伝えて帰宅した。
結果的に、この判断はよかったと思っている。
その場では結論を出さず、いったん持ち帰ったことで、家に帰ってから落ち着いて考えることができたからだ。
「霊感商法」という言葉が頭をよぎった
ところが、二日ほど経ってから、ふと不安になった。
「あれは、いわゆる霊感商法と呼ばれるものだったのだろうか」
「個人情報については大丈夫だろうか」
そんなことを考え始めた。
ただ、ここで大切なのは、私には今回の相手を「霊感商法だった」と判断できるだけの材料はないということだ。
相手がどのような意図で話をしていたのかも、私にはわからない。
だから、場所や名前などを公開するつもりもない。
今回の記事は、誰かを告発するためのものではない。
私自身が、
いつ、どのような気持ちで相談に行ったのか。
そこでどのような話を聞いたのか。
そして、なぜその場で決めずに帰ったのか。
その経緯を、自分自身の記録として残しておこうと思っただけだ。
何もなければ、それでいい。
ただ、もし後になって何か気になることがあったときには、
「あの日、私はこういう経緯で相談に行った」
と確認できる。
その意味でも、今の時点で記録しておくことには意味があると思っている。
不安なときほど、時間を置く
今回の経験から、私が強く感じたことがある。
それは、
不安なときほど、その場で大きな決断をしないこと。
これはスピリチュアルに限らないと思う。
人は心配事が重なると、「何か方法があるなら知りたい」と思う。
そして、それが自分の知らない世界であればあるほど、判断するための材料が少ない。
だからこそ、すぐに結論を出さず、一度持ち帰る。
誰かに相談する。
時間を置いて、もう一度自分で考える。
今回の私にとっては、それで十分だった。
もし今後何か連絡があったとしても、慌てて対応せず、まずは記録を残し、必要なら第三者に相談すればいい。
そう考えると、今は落ち着いている。
スピリチュアルとは、自分と向き合うこと?
今回の出来事で、私の中で一つの考えが浮かんだ。
そもそも「スピリチュアル」とは何なのだろう。
霊がいるのか、いないのか。
それを私は今も断言できない。
あるかもしれない。
ないかもしれない。
でも、わからないものを、無理に「ある」「ない」と決める必要もないのではないかと思うようになった。
神社で手を合わせることも、教会で祈ることも、ご先祖のお墓や仏壇に手を合わせることも、人それぞれの心の営みだと思う。
私自身も、そうしたものを否定するつもりはない。
ただ、自分の不安や判断を、すべて誰かに委ねることとは別の話だと思う。
不安になったときに誰かに背中を押してもらうことはあっても、最後にどうするかを決めるのは自分。
今回、その境界線が自分の中ではっきりした。
そして、タロットはどうする?
では、毎日引いているタロットはどうなのだろう。
ここまで考えると、
「タロットにも意味がないのでは?」
と思ってしまう。
これまで、カードとその日の出来事が重なるたびに、
「やっぱり何かあるのかな」
と思っていた。
でも、今は少し違う見方ができる。
もしかすると、カードそのものが未来を教えているのではなく、カードを見た自分が、自分の経験や感情と結びつけて意味を見つけているのかもしれない。
だとしたら、それは「意味がない」ということではない。
一枚のカードを見て、
「私はどう感じた?」
「なぜこのカードが気になった?」
「今の自分は何を考えている?」
と問いかける。
そう考えると、タロットは「答えをくれるもの」ではなく、自分の心を映す一枚の絵なのかもしれない。
毎日のジャーナルに、文章だけではなく、一枚の絵が加わっている。
そんなふうに考えれば、私はこれからもタロットを引いていいのかもしれない。
自分を信じる
今回のことで、私はスピリチュアルを信じることをやめたわけではない。
霊の存在についても、占いについても、私にはまだわからないことがたくさんある。
ただ、一つだけ、自分の中ではっきりしたことがある。
不確かなものに、答えを預けなくてもいい。
興味を持ってもいい。
調べてもいい。
体験してみてもいい。
でも、最後に判断するのは自分。
今回、実際に相談を受けてみたことで、私は自分がどこまでを「興味」として楽しみ、どこから先は慎重になるべきなのか、その境界線を知ることができた。
だから、今回のことを単純に「失敗だった」とは思っていない。
むしろ、長年ぼんやりと抱えていた疑問に、自分なりの答えを見つけるきっかけになった。
そして、タロットについても同じ。
カードを信じるのではなく、
カードを見て感じた自分を信じる。
それなら、これからも楽しみながら続けていける気がする。
不思議なものを完全に否定する必要もない。
何でも信じる必要もない。
わからないものは、わからないまま。
そのうえで、自分で考え、自分で選ぶ。
私は自分を信じている。
それで十分なのだと思う。
今日のタロット
今日のカードは、ジャンピングでペンタクルの9。

そして、引き直して出てきたのはSTRENGTH(力)だった。

ペンタクルの9は、自立や、自分自身で築いてきたものを大切にするカード。
そしてSTRENGTHは、力で何かを押さえつけるのではなく、自分の内側にある強さで、感情や不安と向き合うカードだという。
今日の記事を書きながら、この二枚には不思議と納得してしまった。
私はもともと、占いやスピリチュアルに何かを決めてもらいたいわけではなかった。
最終的にどうするのかを決めるのは、いつも自分。
今回も、それは変わらなかった。
ただ、実際に「霊障相談」というものを体験してみたことで、今まで曖昧だった自分の中の境界線が、少しはっきりしたのだと思う。
興味を持つこと。
不思議に思うこと。
占いやスピリチュアルに触れてみること。
それ自体は悪いことではない。
でも、そこから先、自分が何を信じ、何を選ぶのかは、やはり自分で考えたい。
今日のペンタクルの9とSTRENGTHは、そんな私の考えを改めて確認させてくれるような二枚だった。
タロットが未来を教えてくれたのかどうかは、やっぱり私にはわからない。
けれど、カードを見て、今日の自分が何を感じ、何を考えたのかはわかる。
そう考えると、タロットは答えを与えてくれるものではなく、自分の心を映して、そのときの自分を記録するものなのかもしれない。
カードを信じるのではなく、カードを見て感じた自分を見つめる。
今日の二枚を、私はそんなふうに受け取った。
