意味のある・ないとは何か?「無意味な」インプットに救われる話
はじめに
最近は「タイパ」「コスパ」重視で、何をインプットするかにも「すぐに役立つかどうか」を重視する風潮が一部にあります。
でも私は「一見無意味」なものが、後から自分を支えてくれることもあると思っていて、そんな気づきをくれたのは、旭川で見た「ロータリー交差点」だった。
ロータリーを見て思い出した「水曜どうでしょう」
ロータリーという、信号機が無い円形の交差点をご存知でしょうか。ラウンドアバウトとも呼ばれ、車が時計回りにぐるっと回りながら出入りします。日本にはあまり無いですが、こういったものです。

先日、旭川市内のホテルに泊まったとき、部屋から市街地のロータリーが目に入りました。
その瞬間思い出したのが、水曜どうでしょうで昔放送された、ヨーロッパ編の“凱旋門ぐるぐる事件”です。
水曜どうでしょうの一行がヨーロッパ一周を目指し、満を持してフランスのパリを車で出発したはいいものの、凱旋門近くにあるロータリーでうまく車線変更が出来ず、目的の道に行けないままグルグルとロータリーを周回(※)していたエピソードがありました。
※彼らの名誉のために私の推測も含めた補足をしておくと、日本のロータリーは時計回りに対し、フランスはおそらく反時計回りなので混乱したのだと思います。
こんな感じで、私は十数年前にこのような映像コンテンツをインプットしていたため、ロータリーを見るとどうしても思い出し笑いしてしまうのです。その瞬間、「おや、かつての無意味なインプットのおかげで私は元気になれたのか」と気づきました。
役立たないけど、確実に機嫌を良くするインプット
おそらくですが、北海道テレビ(水どうを放送する北海道のテレビ局)にでも入社しない限り、水曜どうでしょうの知識が仕事に直接役立つ機会なんてありません。何かの資格試験の知識のように、実学的なものでもありません。
でも「フフっと元気になる記憶」があるだけで、実は自分を整えたり、回復するきっかけになったり、回復したおかげでその後のパフォーマンスにいい影響があるかもしれない可能性を考慮すると、「意味のない」インプットってなんだろうと思えます。
短期的な視点や人から見られてどう思われるかの視点から「役立つ/役立たない」で判断すると、自分にとっての「大事なインプット」を見落としてしまうのでは、と思うのです。
電車で救われる瞬間もある
自分がご機嫌になる、とは少し違いますが、電車の知識も同じです。電車が好きなどと言うと「そうなんですね(苦笑)」と返されることもありますが、初対面の人と出身地や居住地の話題になった際、「○○線沿いですかね?〇〇駅ならよく行ってましたよ〜」と言うと会話が盛り上がって仲良くなれた(と私は勝手に思っている)ケースが何度もありました。
手段としては「電車の話」というややマニアックな領域とは言え、親近感を持ってもらえたり、意外なところで人との距離を縮めてくれる意味では、マニアックな電車の話も馬鹿にならないなぁと感じます。
人とのコミュニケーションや雑談って、「使えない知識のストック」から生まれるのかもしれません。
目的や効率では測れない、「ご機嫌の種」
自分の興味関心を無視して、何もかも生産性やすぐに役立つかどうかで測っていたら、人生はだんだん窮屈になるのではないでしょうか。
一見無意味に見えるインプットこそ、自分のご機嫌の種や、周囲とのコミュニケーションのきっかけになることがあります。
短期的な視点に惑わされず、今後も「無意味に見えるインプット」も、大事にしたいです。
おわりに
今回私が思い出した水曜どうでしょうのエピソードは、少なくとも仕事では役に立たない可能性が高いです。
とはいえ、ふと笑って元気になるような記憶は、自分の感情を整えたり、周囲と仲良くなるきっかけになる資産になりうると気付きました。
これからも、「役に立たない」インプットは地道に集めていきたいです。
それではまた!
■■記事と関係ありませんが北海道滞在中に撮った写真たち



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