奪わない文明は、1500年続いた。
―縄文人は、鉄を弾丸にしなかったー
ピラミッドが石を積んでいた頃、日本は何をしていたか。
紀元前2500年頃、エジプトのギザでピラミッドが建造されていた。
同じ頃、日本では何が起きていたか。
ほとんど知られていない。でも——調べてみると、驚くべき事実が見えてきた。
■ 世界最古級の土器
青森県、大平山元I遺跡。
ここで出土した土器に付着していた炭化物を、加速器質量分析法(AMS法)という科学的な手法で年代測定した結果——約16,500年前から15,000年前という数値が出た。
世界最古級の土器とされている。
ピラミッドが建造されるよりも、1万年以上前のことだ。
■ 三内丸山遺跡
——縄文の「都市」 青森市にある三内丸山遺跡。
縄文時代前期から中期、約5900年前から4200年前まで、1500年間にわたって続いた大規模な集落跡だ。
ここで見つかった技術が、想像以上にハイテクだった。
大型の建物跡で見つかった柱穴は、間隔・幅・深さがそれぞれ4.2メートル、2メートル、2メートルで、全て統一されていた。
これは当時すでに測量の技術が存在していたことを示している。
4.2メートルは35センチメートルの倍数で、この35センチという単位は他の遺跡でも確認されており、「縄文尺」とも言うべき共通の規格が、広範囲で共有されていた可能性がある。
さらに、柱は2度ほど内側に傾けて立てられていた。
これは現代建築でいう「内転(うちころび)」という技法と同じだ。
地震が多い日本で、建物の耐震性を高めるための知恵だったと考えられている。法隆寺の柱にも、同じ技法が使われている。
5000年前の縄文人が、現代の伝統建築技術と同じ発想を、すでに持っていたことになる。
そして、交易の規模も驚くべきものだった。
三内丸山遺跡からは、新潟県産のヒスイ、北海道産の黒曜石、岩手県久慈産の琥珀、そして日本海側の地域から持ち込まれたと考えられる天然アスファルトが出土している。
中には、加工途中の原石も含まれており、現地で加工が行われていたこともわかっている。
最も遠いものは、500キロメートルも離れた土地から運ばれてきていた。
舟を使った、広域の交易ネットワークが、縄文時代にすでに存在していた。
■ 琥珀とアスファルト
——遠く離れた場所での、不思議な一致 ここで、一つ気になることがある。
天然アスファルトは、縄文時代には接着剤・補修材として使われ、漆と混ぜて黒色の顔料にもされ、埋葬の際の副葬品にもなった。早期の後半から使われ始め、中期後半から一般化し、北海道・東北地方・新潟県を中心に、1,148もの遺跡で出土が確認されている。
一方、紀元前2世紀のメソポタミアで作られた「バグダッド電池」と呼ばれる土器の壺にも、銅と鉄を絶縁するために、天然アスファルトが使われていた。 天然アスファルトが古代文明で大規模に使われ始めたのは、紀元前3800年頃。
チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明や、インダス川流域のインダス文明の遺跡で、建材や防水材として使われていた。
地球の、遠く離れた二つの場所。メソポタミアでは紀元前3800年頃から。日本では縄文時代の早期後半から——年代としては、日本の方がむしろ古い段階で、アスファルトという同じ素材を使いこなしていたことになる。
直接の関連があったという証拠はない。でも、同じ素材を、同じように扱う知恵が、地球の離れた場所で、それぞれ独自に育っていた。
■ 隕鉄
——人類が最初に出会った「鉄」 もう一つ、興味深い事実がある。
人類が最初に手にした鉄は、地球の鉱石から作られたものではなかった。
「隕鉄」——隕石に含まれる、鉄とニッケルの合金だった。
エジプトでは、約5000年前の鉄製のビーズが、隕鉄を叩いて作られていたことが、2013年の査読付き学術論文で科学的に確認されている。
古代エジプト語では「天よりの黒い銅」、シュメール語では「天の金属」と呼ばれていた。
シュメールのウルの遺跡から発見された紀元前3000年頃の鉄片も、隕鉄だったことがわかっている。
そして——日本の縄文時代にも、隕鉄を利用した事例がある。
ただし、それは道具として使われたのではなかった。磨いて、飾り物にしていた。
なぜ、道具ではなく、飾りだったのか。
隕鉄は、鉄とニッケルの合金だ。鉄に磁石を近づけると、磁極が整列して磁石になる。この性質は、ニッケルにも見られる。
つまり隕鉄は、地球上の普通の石とは違い、磁石に明確に反応する。
切ってみると、地球の鉄にはない、特殊な縞模様が現れることもある。空から降ってくるのを、実際に目撃した人もいたかもしれない。
普通の石とは違う。磁石に引き寄せられる。空から来た。
縄文人は、それを「特別なもの」だと、経験的に、正確に見抜いていたのではないだろうか。
そして——その特別な金属を、彼らは武器にはしなかった。
■ 1500年間、争った形跡がない
三内丸山遺跡が営まれていたのは、約1500年間。
その間、大規模な戦いがあったことを示す証拠は、見つかっていない。 見つかっているのは、武器ではなく、交易品だ。遠く離れた土地から運ばれてきた、ヒスイ、黒曜石、琥珀、アスファルト。奪うのではなく、交換することで、必要なものを手に入れていた社会の姿だ。
特別な金属を手にしても、それを鉄の弾丸にはしなかった。そっと磨いて、身につけるものにした。
1500年。
奪う武器ではなく、分かち合う交易を選んだ社会が、それだけの時間、続いていた。 これ以上の証拠はない。
■ 何千年も昔が、今より劣っていたとは限らない
現代文明は、地球を壊すという選択をした時点で、後退のベクトルに方向転換してしまったのかもしれない。
そのツケが、環境問題に、人口問題に、エネルギー問題に、食糧問題に、姿を変えている。
足りないから、足す。
また足りないから、手に入れる。
また足りないから、奪う。
そうやって積み上げてきた文明が、今ここにある。
でも——引く。という発想だったら?
在るから、引く。
足りているから、引く。
奪うのではなく、分かち合う。
増やすのではなく、手放す。
そうすることで、バランスの取れる世界になるかもしれない。
有り余ったものを手放し、本当に必要な分だけだけでよい。
三内丸山の集落は、1500年続いた。その間、争った形跡が見つかっていない。
古代人は、磁性を帯びた特別な金属を見つけても、それを鉄の弾丸にはしなかった。
そっと磨き、自分を美しく飾った。
そして、大切な人へのプレゼントとした。
決して命を奪う鉄の玉にはしなかった。
同じ時代——縄文の人々は、硬く、加工の難しい翡翠を、何日もかけて磨き上げ、丸い穴を開け、紐を通した。
「勾玉」と呼ばれるその石は、のちに鏡・剣とともに「三種の神器」の一つとなる。
武器ではなく、祈りの形として、今も受け継がれている。
古代人の方が、私たちより、バランスの取り方を知っていたのかもしれない。
そして、思い出して欲しい。
その英知は、今も私たちの記憶の中に残されている。
見る角度を変えると、見える景色が変わる。
--- FRACTAL GREEN
https://fractal-green-project.jp/
縄文時代——世界が知らない、もう一つの「古代文明」
