#536_読み切り_透明なわたあめ──深夜2時の香り
深夜2時、洗濯機が壊れた。終電で帰宅して絶望した朱音は疲れた身体でコインランドリーに行く。ふしぎな少女と出会う──(約4,500字です)
誰もが、明日は当たり前にやって来ると思う。
──今日と同じ朝日は、二度と来ないかもしれない。
土曜の朝、朱音はペリエにライムをひと絞りした。
酸味が喉を抜けるたび、あの夜の香りがふと蘇る。
──週末の深夜2時。終電で帰宅して、絶望した。
「こんな時に…」洗濯機が壊れた。
両手をついて、思わず声が漏れる。ため息と一緒に全ての運が逃げた。こんな時、SNSで呟いて不貞腐れて寝るのは別の日にしたい。明日は出張だ。
あと数時間後には、始発の新幹線の中。水曜日に洗濯をサボったツケがいま、この世の終わりほど渦巻いても、赤いランプだけが無慈悲に点滅を繰り返す。
朱音は必要な物だけを選んで、コインランドリーの引き戸をよろよろと開けた。皮肉なほど煌々と明るい店には大きなテーブルと、動いている洗濯機が一台。
スマホで調べた通り、空きもある。
店の隅に目をやると、銭湯の番台のようなカウンターがあり、大学生くらいの青年が無愛想に漫画を読んでいた。人がいることに思わずギョッとした。
朱音を一瞥すると、愛想なく漫画に目線を落とした。耳だけは店内に向いているように見えた。
デニムのエプロン──店員だろう。とはいえ2人きりには不安が広がる。カウンターの隅にあるサボテンと、アニメのフィギュアが、ふしぎな愛嬌を放っていた。
朱音は電子決済が使えず、小銭を切らせていることに気づいて、店の外にある自販機で飲み物を買った。
ふと隣に目を遣ると、隣は銭湯だと気づいた。店内に、特有の微かな湯気の香りと、湿気が漂う訳に納得した。
店に戻ると、カウンターに青年の姿は無かった。
乾燥機の熱気が、湿度の高い夜の空気をかき混ぜる。
──そこへ、ふしぎな女性が入ってきた。
腰までの長い髪は、わたあめみたいにふわふわの、大きなスパイラルのウェーブ。大きく胸元の開いた白のミニワンピースの裾が、乾燥機の温風に揺られる。洗いたての髪からフルーツの香りが漂う。
その透明感は、深夜にはあまりにも異質なものだった。
同性でも思わず守りたくなる。その透明感に目を奪われた──
こんな時間に洗濯……。人のことは言えなかった。
「お姉さん、空いたよ」
彼女は洗濯機の扉を開けると、唐突に話しかけてきた。知らない洗剤と、フルーツの香りに、朱音は心を見透かされたようにドキリとする。
「え?」
頭の中で彼女に見惚れていた朱音は、声が裏がえった恥ずかしさで、指先を口に当てて少し息を呑んだ。
「その量。そっちの洗濯機より安いし速く洗えるよ」
淡白で早口、素っ気ない。思ったよりも幼い声で、言ってることは優しい。ふしぎな少女だった。
10代なら、朱音より5歳は年下。どことなくこなれて大人びた姿に、朱音は急に恥ずかしくなる。
「あ、ありがとうございます」
「や、別に…」
大したことじゃない。目線を伏せたまつ毛の先に釘づけになる。
朱音はお礼を告げて、洗濯機を動かし始めた。
しばらくして、先に声をかけてきたのは彼女だった。
「仕事帰り?」
「はい。洗濯機が壊れちゃって」
「そうなんだ、大変だね」彼女はややぶっきらぼうに、少し緊張したような照れた顔を見せた。
「あたしはそこの店で働いてるの」
彼女が差したのは、ネオン街の方向だった。
「ああ、そうなんですね」
朱音は呼吸を合わせるように彼女の言葉を待った。
「さっきまでそこに、男の店員がいたでしょ?」
「あいつがいるから来れるようなものなんだけどね」
え…?と言いかけて、
「あたしたち時々、お客に追われたりするから…」
彼女は少しだけ人恋しそうに自分の話をした。
「ああ、それで…」
自分の知らない時間に働く人、知らない仕事に、朱音は自分の世間知らずが、少しだけ恥ずかしく思えた。
彼女が言うには、彼は隣の銭湯の息子で、昼間は学校。予約を入れると来てくれる、と幼馴染のように話した。サラ、と彼女は名乗った。
その時、彼がそっとカウンターに戻って来た。朱音は話を聞かれたかと、店の隅に目を遣ると、また無愛想にマンガを読み始めた。よく見るとページをめくる気配はなく、同じ所で止まっているようにも見えた。
「お姉さん、忙しいの?」
唐突に、サラが聞いてきた。
「疲れました!が、服を着て歩いてるみたいだから」
サラはふわりと笑う。自販機のビタミン系炭酸を開けて、ひと口だけ飲んだ。笑うたびに光の粒がこぼれるような、ふしぎな透明感だった。
これほど輝きのある人を、朱音は見たことがなかった。光と無垢を合わせると、サラのような人になる、そう思えてならなかった。
「へぇ、出張とかあるんだ。いいな、お土産ほしい」
サラにつられて朱音も、何がいい?と、他愛もない話をした。サラは慣れた手つきで、自分の洗濯物をもう一度乾燥機に入れた。
儚げに見えて自立した、年下なのに一回りは歳上のような、ふしぎな少女。
サラの使っていた乾燥機が終わる少し前に、朱音の洗濯機から終了のメロディが鳴る。サラが乾燥機を開けると、いつもとは違う柔軟剤の香りが店の中に広がる。まるで昼間のように時間の感覚が薄れていた。
2人が隣り合って、乾燥機の前ですれ違う時、サラが羽織っていたパーカーの袖がめくれた。腕にはいくつかの「筋」がついていた。古いものと、新しいもの。
朱音には見たことのない傷だった。
サラは少しだけバツ悪そうにイタズラっぽく言った。
「アイツ、イケメンだけど無愛想だよね」
サラの言い方が、彼の妹のような雰囲気で、朱音は思わず吹き出してしまった。「女2人だけのヒミツだね」共犯者のように、2人は目で合図して、微笑んだ。
青年は1ページだけ、ページをめくった。
朱音はごまかすように、サラに続いて乾燥機に洗濯物を入れた。
「アカネちゃん、またね」
サラは店を出る振り向きざまに、軽く手を振る。
朱音はおやすみなさいと手を振り、彼女を見送った。
店には青年と2人きり。
乾燥機の熱と店の冷房と、梅雨の湿った空気とが混ざり、穏やかな温かさを帯びていた。
──あの時間を永遠に閉じ込めておきたかった。
朱音は週末の出張を済ませ、週明けからはいつも通りに出勤した。今週は月曜から終電帰り。同僚のグチに少しだけつき合い、タクシーで帰宅した。
朱音はハッとして立ち止まった。
ラーメン店の角を曲がり、あと少しで自宅という場所。この時間にふさわしくない人混みと、1台の救急車、それにパトカーが来ていた。
「Keep out」黄色いテープと、救急車へ向かうブルーシートの生々しさに、朱音は一瞬、背筋が凍る。
見ないで通り過ぎよう、邪魔にならないように。
そんな朱音の背中に、突然、大声が夜気を劈いた。
「ほのかちゃん!!!」
スーツ姿の男性が、担架に向かって喉が千切れるように叫ぶ。
「ダメです! 離れてください」
と、同時に細身の男を、救急隊が力強く制し、男はよろめいた。
担架に向けて伸ばした左手に、真新しい銀の指輪が光る。
「ご家族の方ですか」
隊員は静かに凄みのある声で、声を震わす男を捉えた。
萎んだように、いいえ……。と、か細い声で答えた。
落胆の色が、少し離れた朱音にも伝わる。
朱音はこれ以上は居られないと、
離れようとしたときだった。
──担架から、白い腕が力なく溢れ落ちた。
「代われ!」間髪を入れず、隊員の抑圧した怒号が飛び、その場にいた誰もが、脊髄反射的に凍りついた。
他の隊員に目で合図し、
阿吽の呼吸で、その若い隊員との間に割り込んだ。
何事もないと、溢れた腕を持ち上げ、担架を支えた。
担架に収まっているのは女性だった。
朱音は、ハッとした──
どこかで見た腕の傷。
長い髪と、ゆるやかな栗色のスパイラル。
「あ、あの……!!」
言いかけて、朱音は思わず身を乗り出しすと、
救急隊が一瞬、朱音を見据えた。
首を小さく横に振り、俯くしかなかった。
──ほのかちゃん。
あの男性はそう呼んだ──お客、だろうか。
いや、朱音に名乗った方が店での名前かもしれない。
どちらでもいい。
確かではない。でももし、サラだとしたら……。
見覚えのある紫の小さな石のついたブレスレット。
あれはどうしたって記憶の中のサラそのものだ。
あの一瞬──。
赤黒く固まった一筋の線と、白い腕だけが目に焼きついて離れなかった。
──消防と警察の、無線の声が頭に鳴り響く。
朱音が帰宅すると、いつも以上に部屋の温度は冷たく、
白い壁も、木の床も、全てが血の気のない無機質な檻のように思えた。
お姉さん、空いたよ。
あたし、すぐそこで働いているの。
アイツ、イケメンだけど無愛想だよね。
銭湯の息子。大学生だって。
そんな話をした数日前が嘘のようだった。
彼女からは年上に見える彼を、兄のようにアイツと呼ぶイタズラっぽい笑顔を思い浮かべる。
朱音は時間を義務的に消化するように、
週末の洗濯物を整理し始めた。
──あれ、この服……?
朱音は自分の物ではない服が紛れていることに気づいた。
サラのものだと直感した。
あの時着ていたものと同じパーカー。
返さなくちゃ!
朱音は立ち上がろうと、膝を立てた。
でも、誰に……?
朱音は彼女の連絡先を知らない。
それじゃ……
──あの店しかない。
そこには、あの青年が無愛想な顔で座っていた。
朱音に一瞥すると、
何か言いかけてマンガに目線を落とす。
あの、これ……言いかけて、彼はふしぎな洞察力で察したのか、言葉を置かずにマンガをよむ指先だけが止まった。
「乾燥機に入っていたみたいで…」
朱音が告げると、短く言って片手でカウンターを指した。
「そこに置いておいてもらえますか」
目線が合わないまま、言葉だけが落ちてきた。
「…話したりするからだ」青年は少し間を置いて淡々と言い放つ。
マンガを閉じる音に力が入った。
「仲良くしたりするから」朱音と目線を合わせず独り言のように呟く。
「え……?」
朱音は何が起きたか、分からなかった。
「……前にもあったんだ。あの女……」
青年はマンガを置き、目を横に伏せて、話し始めた。
「見てた…んですか?」
「…ああ」
青年はつとめて冷淡に答えた。
「あの男は客…ここで通話しているのを見たことがある」
朱音を見透かすように、彼はつけ加えた。
俺の管理下にないことなんでね──
そう言い放つ声色はどこか怯え、淋しげだった。
落胆とため息と、虚無感が入り交じった声で、感情もなく、そう告げた。
「あんたが気にしてもしょうがない」
朱音は口を結んで、片手をきゅっと握りしめた。
「…それ、どうするの?」青年は朱音のパーカーを目で指した。
「え?」
「忘れものなら預かるよ」
「あんたが持ってても仕方のないものならね」
青年はひときわ抑揚のない声で、
冷たい横目で、伏し目がちに朱音をみて呟く。
朱音は咄嗟に、大丈夫です。とおじぎをして店を出た。
雨の中を速歩きで、まっすぐに歩いた。
どこへ、と言うわけでもなく、歩いた先の小さな鳥居を潜り、小さな神社の前にいた。
朱音は商店街の白い街灯を背に、スポットライトを浴びたコンクリートの参道をゆっくりと歩き、賽銭箱の前に立った。
──サラ、また会おう。元気で戻って来てね。
そうしたら、今度は「アイツ」を笑わせようね。
ジンライムのような透明感と、細くて華奢な姿で、
わたあめみたいな髪、夏のワンピースで。
手を合わせる朱音をみているかのように、
ほんの一滴、雨が朱音の頬に落ちた。
搾りたてのライムの香りがふっと立ちのぼり、
胸の奥で、あの夜の透明が静かに揺れた。
サラが、どこかで笑っているといいと思った──
<了, かきおろし 約 4,500 字,3時間>
最終更新 2026/02/21
2026/03/25
▲こちらの作品からの着想でした。
「描写」をしたくて、なんとなく書きました。
推敲でこねくり回すと作品を出せない、文がおかしくなると思い、このまま置かせていただきました。
お読みいただいて、ありがとうございます😊
モノローグ・関連作品はこちらです
夜、昼、朝、光、夜、(本稿)
140字の作品を書き続けていた延長シリーズです。
今夜はどうぞ、温かい夜をお過ごしくださいね🌙
↓昔の作品はこちらです。

どうぞご安全に。よい週末をお過ごしください🍀
▶ほかの記事をお探しですか?(記事検索)
すべての記事:人気、急上昇、新着、定番など
いいなと思ったら応援しよう!
スキ、コメントが1番うれしいです。私の記事を元にあなたの記事を書いてもらうのも大歓迎!心が動く言葉はありましたか?ご感想お待ちしています😊