#668_記憶の引き出しと、古い言葉_エッセイ
子どもの頃に、写真の向こうの「あの人」と目が合った。明治の終わりに生まれ、終戦の頃には30歳を少し過ぎた、口数の少ないあの人──
彼のことを現代の人に届けるには、気の遠くなるような歴史の文脈の説明が要る──たった1日前のことでも、生まれる前のことは想像が及ばないと、セピア色の古い写真が今も、遠い時間の流れを伝えてくる。
時々、呼び戻されるように、その人を思い返すことがあります。
私たちの日常は、確かに「あの人」の生きた時間と、細い糸一本で地続きにつながっています。
わたしの知るその人の姿は、中肉中背、70代の男性、頭髪は薄い、寝巻き姿。タバコをふかして、寛いでテレビを観ているカラー写真。在りし日の面影は、この一枚だけです。
周囲の大人たちが語るその人は、どこか世間との折り合いをつけるのが不器用で、気難しい人のようにも聞こえました。
あるところで耳にした言葉に、20歳の子どもに、こんなにも何でもある時代、こんなに便利で、なにが不満なの?という意見があり、あとになって、それを言われても戸惑うだけだろうと、思い返しました。
現代の私たちが抱える不安は、生活に困るような物や知識の不足ではなく、自分を活かせる場所、自分のこと、未来の見通し、その人ならではの知恵を得るための導き手の不足、飢餓感。転換点なのだと感じます。
わたしが 10代から社会人にかけて考えていたのは、ある子どもが学生から社会人へ架かる橋を渡る前、その溝がどれほど深く、その人は渡り切れるのか、現在地すら見えない人の、自立だけは代わることはできない。その人の代わりに生きることはできないことを、どう捉え、前を向いてもらうかでした。
今も、その当時も、誰もが立ち止まって、じっくりと本質に触れる時間を持てない厳しさは変わらず、実体験として知る機会が限られているからこそ、みんな「概要」だけで通り過ぎていかざるを得ないのが苦しい、今はその状況に拍車がかかっているといえそうです。
実体験がない以上、肌感覚としてリアルに想像するのは限界があり、そこにある種の断絶があるのは仕方のないことなのかもしれません。
彼の時代の話は、ただ歴史が持っていた構造を、静かに見つめるための描写として、言葉の温度を整えていくことが大切で、描き方を問われます。
歴史の複雑さや、その人やわたしの立場も視野に入れながら、それでもなお今の時代の人たちに大切な本質を伝えていくとしたら、どのような言葉のさじ加減がしっくりくるのかと思えば、なかなか筆が進みません。
誰かを正そうとしたり、強い姿勢で何かを主張したりしたいわけではなく、ただ、そこにあった事実や良いものの価値を、今の時代にそっと置いておきたい。
「分からない」という地平に一緒に立ってみる。
言葉も歴史も、誰かを責めるための武器にするのではなく、こういう空気があったんだよと、静かに語りかけるようなアプローチです。
日々の暮らしが営まれるキッチン、家族から受け取ったバトンのような、小さな、人の手の温度から地続きのものとして語っていく。
誰かを敵に回すこともなく、毅然とする必要もなく、ただ「かつてここに、こんな体温を持った人たちが生きていた」という事実を、そっと手渡すような優しい言葉で。
それなら、今のわたしにとって無理のないさじ加減になるような気がします。
強く伝えるほかに、そっと置いておく──
<了, 約 1,300 字>
この記事を書く端緒の、ニュース記事です。
noteで表現をしようと思えた、大切なきっかけです。
リンク: 東洋経済 辰濃 哲郎 : ノンフィクション作家
沖縄の彼女が波風立てても世に伝えたいこと
分断の歴史、葛藤の島でもがく若者たち(1)
この記事に当たる前に起きたターニングポイントで、彼女を理解することこそが当時、次の目的が生まれた瞬間でした。アンサーを書きたいな、書けたらいいな、そうした思いがあります。

絵と文を合わせる難しさがあります
あとがき
こんばんは、久藤あかりです。
本日は沖縄における『慰霊の日』でした。
このnoteを始める前からずっと、この人のことを書きたいと思っていて、まだ形にするのは難しく……書き方に戸惑います。このような言い方で、ごめんなさい。
今回もまとめきれず、投稿後すぐに、そして朝に、記事を手直ししました。深夜にも関わらず、30名もの方がスキをつけてくださり、本当にありがとうございます。驚きました😂
この文は、ほっこりしません(笑)
それでは、また明日お目にかかりましょう👏

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