#516|すごい本は「あとがき」もすごい【フリートーク】
このnoteは2022年11月1日配信のVoicyの音源「フォレスト出版チャンネル|知恵の木を植えるラジオ」の内容をもとに作成したものです。
「あとがき」は“読後感”を決める最重要パーツ
今井:フォレスト出版チャンネルのパーソナリティを務める、今井佐和です。本日は「書籍の“あとがき”について考えてみた」というテーマで編集部の森上さん、寺崎さんとフリートークでお話をしていきます。森上さん、寺崎さん、よろしくお願いいたします。
森上・寺崎:よろしくお願いします。
今井:以前、「まえがき」というテーマで収録したことがあるのですが、今回は「あとがき」ということで、何かエピソードはありますか?
寺崎:「あとがき」っておまけみたいに考えられがちなんですけど、「まえがき」編でもお話しましたが、「あとがき」から読む人って結構いるなと思っていて、僕もそうなんですけど、「あとがき」がいいと、面白い本かなと思ったりすることもあって。佐和ちゃんも「あとがき」派でしょ?
今井:まずタイトルを見てビビッときたら、前のほうとか、もくじを見て、最後に「あとがき」を読んで買うかどうかの最終ジャッジをするっていう感じですね。「あとがき」のほうがその本が表れる感じがしませんか?
寺崎:そうそう。そこが面白いですよね、「あとがき」って。森上さんは「あとがき」をつくるときに気にすることとかあります?
森上:どなたかが同じことをおっしゃっていて、かつてのこの業界のメンターにも言われたんですけど、やっぱり「あとがき」っていわゆる読後感を決める立ち位置なので、「この人のファンになりたい」と思わせる、というか。そのためにパーソナル情報を多く入れる。パーソナル情報というのは、「かつていくつもの失敗があった」とか、そういう情報ね。最後にファンになってもらうという意識を持ってつくってはいるかな。で、著者さんたちにも「あとがき」の書き方として、その旨を伝えているかな。
寺崎:そうだね。まさに俺も近くって、初めて書く著者の方に「“あとがき”はどう書けばいいですか?」って聞かれると、「読後感の醸成」と言っていて、要は著者のことを好きになってほしい、そういう文章を書いてくださいと。ビジネス書って著者自身が体験したことから編み出されたメソッドが中心になることが多いんですけど、そうするとやっぱり著者が偉そうな感じが意図しなくても、本編から滲み出ちゃうことがあると思うんですよ。で、これって別に著者が偉そうっていうわけではなくて、受け手の問題なんですけど、でも、どうしても体験の量、質で言えば、読み手が圧倒的に弱くて、著者が強いので、だから著者さんがステージから降りて語りかけてほしい。そう思うのが読者なので、いつもお願いしているのが、さっき森上さんも言っていた著者のパーソナルな人となりが伝わる内容であること。できればエピソード中心の失敗談とかも入れてほしい。最後に読者への心を込めたメッセージを入れてくれと、お願いしているんですけど。今、ちょうど11月の新刊の編集作業をしていて、『経営×人材の超プロが教える 人を選ぶ技術』っていう、著者の小野壮彦さんがはじめて書く本なんですけど、この方にこの間それを聞かれて、そう答えたんですよ。そうしたら、40分後くらいに「“あとがき”書きました」って、届いて、これがめちゃくちゃいい原稿で、ちょっと感動したっていうのが最近の事例でありました。

森上:なるほど。その指示がいい意味で刺さったんだね。「あとがき」がいい本だと、「また、この人の本が読みたいな」ってなるよね。特にビジネス書とかノンフィクションとかね。小説とかだと、第三者が書いた解説とかになっちゃうから。だから、逆に著者にはチャンスだなと思ってもらえたらうれしいよね。サービストラック。
「あとがき」のさまざまなパターンを分析
寺崎:優れた「あとがき」をいくつか挙げてみましたので、それをこれから佐和ちゃんに読んでもらおうかなと思うんですけど……。『カリスマ保育士てぃ先生の子育てで困ったら、これやってみ!』っていう本が、今、めっちゃ売れていて、これはダイヤモンド社さんから出ているんだけど、この「あとがき」が「共感寄り添い型あとがき」で、すごくいいんですよ。泣かせるんですよ。佐和ちゃん、お願いします。

今井:はい。読者を泣かせる「共感寄り添い型あとがき」です。
本書を手にしていただき、ありがとうございました。最後に、皆さんにどうしてもお伝えしたいことがあります。それは、「愛情不足の親なんかいない!」っていうことです。もちろんニュースで話題になるような極端な例をのぞきますが、愛情不足の親なんか、絶っっ対に!!!!いないんです。なぜそれを言いたいかというと、お友だちにかみついちゃったとか、いわゆる問題行動と呼ばれる行為をお子さんがしてしまうときがありますよね?そんなとき、まわりから「それは愛情不足が原因だよ」と言われたり、もしくは、子育て本を読んで、「私、愛情不足だったかも」と思って、悩んでしまったりする方がいます。でも僕は、「そんなわけないでしょ!」ってことを強く言いたいんです。だって皆さん、一生懸命やってるじゃないですか。家事もあったり仕事もあったり、そのほかにもいろんなことがあるなかで、ご自身のしたいことも我慢しながら、子育てされていますよね。その状況を「愛情不足」なんて言われたって、じゃあそれ以上どうすればいいの?「やりたいことぜーんぶやめて、子どもに24時間365日つきっきりでいるしかないんですか?」ってことになっちゃうじゃないですか。あなたがどんな思いで毎日生活して、子育てしてるのかをなーんにも知らない人に「愛情不足」なんて言われたとしても、そんなのまったく気にする必要がないんですよ。
こちらは『カリスマ保育士てぃ先生の子育てで困ったら、これやってみ!』の「あとがき」でした。
寺崎:ありがとうございます。これは子育て中のパパ、ママだったら、すごく刺さる「あとがき」なんじゃないかと。これは書き出しで、この後にまだ文章は続くんですけど、書き出しとしては秀逸だなと思った「あとがき」でした。
森上:本当にそうだね。これはまさに完全に寄り添った感じだよね。あと、今聞いていて思ったのが、例えば本文に15個のメソッドを入れて、「あとがき」に16個目を持っていくっていうのもたまに見かけるし、やったこともあるんだけど、特別ボーナスみたいな感じで、最後に言いたいことということで。それを思い出しました。寄り添い型とはちょっと違うけど。
寺崎:なるほど。そう。今のは共感型なんだけど、健康本でよくある「あとがき」のパターンが、「俺がエビデンスだ!型」で、この次にご紹介するのが、医師・西脇俊二さんが書かれたワニブックスさんから出ている『断糖のすすめ』という本の「あとがき」なんですけど。
この本は「高血圧、糖尿病が99%治る新・食習慣」というサブタイトルにあるように、糖質を完全に断ち切ることであらゆる不調を改善するという健康実用書なんですけど、こういったジャンルで大事なのが、エビデンスなんですけど、それが「おわりに」でガツンと書かれている「あとがき」ですね。佐和ちゃん、お願いします。

今井:それでは、「俺がエビデンスだ!型」の「あとがき」をご紹介いたします。
今年で、私は53歳になります。祐天寺にあるクリニックで多くの患者さんを治療させていただき、週2回ほど、地方の病院に診療に向かいます。また、テレビドラマの監修や収録、講演会、新聞や雑誌の取材など、おかげさまで多忙な毎日を送っていますが、ここ数年は「疲れが溜まってどうしようものない」という事態に陥ったことがありません。風邪をひくこともほとんどなく、体調が悪くなるということさえあまりないような気がします。おまけに、代替医療をはじめとするさまざまな物事への興味は尽きることなく、探求への意欲や集中力も若い頃のままです。肉体的にも精神的にも充実した毎日を送ることができていて、このままいけば、本当に200歳まで生きられるのではないかと思っているほどです。今、このような人生を送ることができているのは、やはり断糖のおかげです。食べ方を変えるだけでこれほどまでに元気になれるのです。私自身の体と心で実感した事実ですから、暖糖という食事の在り方を、自信をもっておすすめすることができます。
『断糖のすすめ』の「あとがき」でした。
寺崎:ありがとうございます。これは実際に僕も本を読んで、この「あとがき」まで読んで、本当にこの「断糖」を実践しましたよ、3日間。完全断糖!
今井:いかがでしたか?
寺崎:ポテトチップスが大好きだったんですけど、一切食べなくても平気になりました。ほとんど今は食べていないです。もう何年も。
今井:その3日間だけで!?
寺崎:そう。3日間だけでかなり変わりますね。たぶん、脳が変わるんじゃないかな。わかんないけど(笑)。
森上:「俺がエビデンスだ!型」って、これを「まえがき」に持っていくこともあるよね。この要素をあえて。
寺崎:あるある。「まえがき」からガツンとね。
森上:そう。いわゆる著者の権威性っていうのを最初からガツンと見せたい。そのときに自分だけじゃなくて、例えばこの方なら「クリニックに来られた患者さんたちも皆さん、そうなっています」みたいな感じで、「まえがき」に持っていく。こういうネタの場合はそう使う場合もあるね。
寺崎:確かに、確かに。
今井:こういうネタを「まえがき」で使う場合と「あとがき」で使う場合の違いというか、効果って何かあったりするんですか?
森上:例えば、「まえがき」で使う場合っていうのは先ほども言った通り、この本を読む上での著者の権威性っていうのを最初からちゃんとつけたいっていう場合。その要素がないかたちで「まえがき」がもう成立しているなら、それを「あとがき」に使う場合があります。この本の「まえがき」は読んでないからわからないけどね。寺崎さんはどうですか?
寺崎:そうですね。迷うところですね。いわゆるキラーコンテンツ的なところを「まえがき」に入れるか、「あとがき」に入れるか。どっちがいいのかは、人とかテーマによるのかなっていう気はしますね。
今井:個人的には最後に「俺がエビデンスだ!型」があると、行動の後押しをしてもらえるような感じがしますね。
寺崎:そうですよね。最後に読んだ後にね。「ここまで言うならやってみようか」みたいな気持ちになるよね。
森上:なるほどね。それもあるよね。
寺崎:そして、最後にご紹介するのは、これがまた面白くて、「またふたたび考えさせられる型」って呼んでいるんですけど、これは脳科学者の中野信子さんと国際政治学者の三浦瑠璃さんが対談した、新潮新書の『不倫と正義』の「あとがき」の書き出しなんですけど……。では、これもお願いします。

今井:はい。では、「またふたたび考えさせられる型」の「あとがき」です。
不倫はよくないものである。そうに決まっている。しかし、世の中からなくならない。ならばこそこそとやっていればいい。放っておくがいい。それなのに、なぜいい大人が2人して1冊かけて「不倫と正義」について語ったのかというと、それは不倫が愛と関わっているからである。不倫はままならぬ私たちの人生から生まれてくる。思いのままにならぬ人生の喜びも悲しみも、欲望も嫉妬も、期待も落胆も、1人で引き受けられぬときに人は不倫に走るものらしい。自分という存在を再確認するための不倫もあれば、イマココから脱出するための不倫もあるだろう。つれあいが自分を顧みないことへの不満もあるかもしれない。時に他者に自分の姿を見出し、これこそが恋愛であると考える不倫もあろう。もちろん、不倫は「倫」に反するものである以上、それが世間に歓迎されることはない。しかし、不倫と愛にはそれほど大きな違いがあるだろうか。愛とは優れて神聖なもので、不倫とはその脇に咲くあだ花にすぎないのだろうか。
『不倫と正義』からでした。
寺崎:ありがとうございます。これは三浦瑠璃さんが書いているんですけど、この「不倫と愛」を語る、畳み掛け感がすごくて、この後5ページにわたって、本編で散々対談した不倫というテーマについて、愛という観点から見た論語がまた繰り広げられているんですよ。だから、実際に対談を読んで、「なるほど」「そうかもしれないな」といろいろと考えた後にまた「あとがき」でさらに考えさせられるっていう、この最後の行まで、完全に読み終えるまで、読者の思考をストップさせないっていうね。「またふたたび考えさせられる型」の「あとがき」として、ご紹介しました。
今井:これも先ほど、森上さんがおっしゃられていたボーナストラックのような、小説のような、壮大な「あとがき」ですよね。
寺崎:そうですよね。「あとがき」だけでも、楽しめるっていうかね。すごく内容の濃い「あとがき」です。
森上:この本で結論が導き出されているのか、どうなのかっていうところにもかかわってくるけど、これはあえて結論をこの著者2人が出さずに、考えだけをぶつけ合って、それを読んで「読者のあなたはどう思う?」っていう感じの問題提起、いわゆる考えさせる、思考の継続というか、そういうニュアンスに見えるよね、この「あとがき」は。
寺崎:そうだろうね。読者に問いかけているよね。
森上:うん。で、「このテーマを皆さん、いろいろと考えてみませんか?」的な感じ、そういったタイプのものっていうのはテーマが壮大であればあるほど、よく見かける「あとがき」の1つのパターンだよね。
寺崎:そうですね。というわけで優れた「あとがき」3選でした。
今井:はい。ということで、本日は「書籍の”あとがき”について考えてみた」をテーマにお送りいたしました。森上さん、寺崎さん、ありがとうございました。
森上・寺崎:ありがとうございました。
(書き起こし:フォレスト出版本部・冨田弘子)
