小さな世界での絶望と希望(とちょっぴり講座案内)
冬の帰り道、真っ二つの版画と、もやもやのかたまり
無心で彫っていた。
図工の時間が好きだった。
たしか小4の冬、版画のテーマは「地元の神社」。
みんながサクッと仕上げる中、ひとり「手水舎の龍の精度」にこだわり続け、彫刻刀を握りしめていた。
完成まであと3ミリ。
続きは放課後にしようと、ロッカーに片づけた。
次の休み時間、ロッカー付近でふざけまくる男子たち。
その流れ弾に、あたった。私の版画が。
なだれ込んでいく男子の背中が横目に見えた、その直後。
バキィッ
……怪我がなかったのは救いだったけど、版画はバッキリ真っ二つ。
龍の顔も、華麗なるセンターカット。
「やっちまったな」って言わんばかりの絶妙な表情の龍と、目が合った。
その場で男子たちは謝ってくれたし、先生も新しい板をくれた。
形式的には「ちゃんと終わった」出来事。
だけど、私の心が全然追いついてなかった。
自分でもよくわかんない。
でも、胸の奥にズシンと重たく残る“なにか”があったのを、確かに覚えてる。
気づいてなかった気持ちを、先にわかってもらえた経験
真っ二つになった版画をランドセルに突っ込んで、
何も言えないまま家に帰った。

玄関で「おかえり〜」と迎えてくれた母に、
ボロボロになった版画を見せた瞬間。
言葉より先に、涙が出た。
もうほら、あれ。一回出たら何故かぜんぜん止まらんやつ。
母は、何も言わず横にいてくれた。
私のまとまらない支離滅裂な説明を、とにかくゆっくり、うんうん聞きながら。
そして話し終わった私の頭をなでて、ひとこと。
「そっかぁ、のぞみは一生懸命つくった版画が壊れちゃって、悲しかったんやね。だって、すごくがんばってたもんね。」
ストン。
その瞬間、なんか、しっくり腑に落ちた。
あの一言で、私ははじめて“自分の気持ち”を理解できたんだと思う。
あ、私、がんばってたんや。
で、それが壊れて悲しかったんや、って。
子どもって、案外「話せない」んじゃなくて「言葉になってない」だけかも
子どものころって、「悲しい」「くやしい」「むなしい」みたいな感情の細かいニュアンスなんて、なかなか言葉にならない。
「なんかイヤ」しか出てこない。
だからこそ、誰かがその“もやもや”に耳を傾けて、
そっと言葉をあててくれるって、それだけで助かる。
落としどころができる。
ようやく「気持ちが落ちつく」って、そういうことなのかもしれない。
思えば、私はあの日から「聴いてくれる人」の存在を信じてる。
いや、信じたいと思ったのかもしれない。
大人になってからは「のんちゃんだから話せたわ」って言ってもらえることが増えてきた。
別にすごいアドバイスができるわけじゃない。
むしろ、何が正解かなんて全然わからん。
でもその人のこと、想いや考えをもっと知りたいなって。
ただ、それだけ。
それでも、話してくれた人の顔が、ふっとやわらかくなる瞬間がある。
そんなとき、私は「ああ、この場に一緒にいれてよかったな」って、ほわっと思う。
「ちゃんと聴いてもらえた」って経験。
それは大げさに言えば誰かの人生を変えることもあるし、
あるいは、ただの“その場の湯たんぽ”かもしれない。
でも、寒い日に湯たんぽがあるだけで、ぜんぜんちがうように。
「話せた」って思える時間は、それだけであったかい。よね。
そんな「聴けるオトナ」を育む講座がはじまります
私が最近関わっている団体のひとつにmimamo(ミマモ)がある。
ざっくり言うと、「子どもがちょっと話してみたくなる、安心できるオトナ」と出会える場をオンラインでつくってる、そんな団体。
先生でも親でもない、友達でもない、
“ちょっとナナメの関係”のヒトが、子どもの話にただ耳を傾ける——
それだけで、子どもの心にそっとあったかい火が灯ることも、ある。
そのmimamoで、6月から「子どもの話を安心して聴ける大人」を増やす講座がはじまります。
オンライン全3回+対話会つき。
未経験でも、もちろんだいじょうぶ。
ただ“聴く力を養う”だけじゃなくて、自分のことを見つめなおしたり、メンタルケアの時間もあったり、もう内容が大充実のギュムギュムのおしくらまんじゅう状態。
私も講師としてちょこっと登場🌱(あと、ナビゲーター的にもぬるっと出てます)
「わたしも“聴けるヒト”になりたいな」
「子どもたちの想いをちゃんと聴いてみたい」
「春だし、あったかくなったし、なんか新しいこと始めたいぞ〜!」
……そんなあなたの“ちいさな想い”を、そっと動かすきっかけになれたら、うれしいです。
▶ mimamoについての記事はこちら~
どんな団体なの?って方に、これを読んだらあなたもmimamoマスター📗
▶ 対話講座の詳細はこちら~
「安心して話せる大人」ってどう育てるの?を、ぎゅっと詰め込んだ3回講座です🐣
子どもの頃、泣くことも話すこともできなかった自分が、
いまは“聴く側”になってるって、なんだかふしぎ。
でも、もしかすると——
あの日の版画事件は、「誰かの話をちゃんと聴くこと」の、私なりの原点だったのかもなあ。なんて。
母の日に、母への感謝も一緒にちょっぴり思い出してみましたとさ。
とんちん。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます🌱
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わーい!PCとうんうん向き合うカフェタイムのミルクレープ代にさせてもらいます✨しごとがんばれるー!