“本気”の大人が、呪いを解く。
“親”って名乗らず 親している人がいた
「あの子、カタカナ書けへんかったから、“カ”からやったわ」
と言って笑う住職さん、たぶん今まで出会った誰よりも “親” やった。
この話を聞いたのは、喫茶店のテーブル越し。
フローズンカフェ片手に語られるエピソードなのに(意外と甘党)、中身はまるでドキュメンタリー。
家に帰れない子どもを預かって、寝食をともにしながら育ててきた住職さんとの会話だった。
「親があかんかったら、寺が親になるだけ。飯食わして、働かせて、学校行かせて。あかんことしたら本気でしかる。」
いたって普通のテンションで淡々と話すから、最初はピンと来なかった。
でも話のひとつひとつがジワジワきて、最後には胃がずっしり。あ、もちろんいい意味で。
他にこんな話も。
「『クリスマスは毎年おもちゃのチラシ見て、もらった気になってた』って言ってた子もいたわ」
サンタを信じる信じないじゃなくて、諦めてた。
“欲しい”って願ったって届かないものは、届かない。
だから最初から “願わない” って決めたんだと思う。
そうやって、願う力が削がれていく。
これは “本人の努力不足” とかそんなんじゃなくて
そういう“環境”で生きてきた、というだけの話。
願うことを 教わらなかった子どもたち
たとえば、こんなふうに。
・ 自分が家事をしてるから寝不足。朝は親も起きないし、ごはんなし。給食だけが、ちゃんとしたごはん。
・ 制服のシャツはヨレヨレ。体操服には名前がなくて、毎回先生に呼び止められる。忘れてたわけじゃない。ただ、準備してくれる人がいなかっただけ。
・ 学校で「家族に聞いてきてね」と言われても、聞ける相手がそもそもいない。
・ 夜は “静か” じゃない。怒鳴り声が響くか、テレビの音がずっと流れてるか、何も聞こえない “無音” の重たさか。
・ 学校もきついけど、家はもっとしんどい。逃げ場なんてどこにもない。
そんな状況で「希望を持って」と言われても、いや無理やろってなるよね。
そのまま大人になれば、今度はその子が “親” になる。
「教えてもらってない」まま、今度は教える立場に回る。
これが、貧困の連鎖へと繋がっていく。
そして連鎖って「はい今日から終わり〜!」って切れるものでもない。
でも、ちょっとずつ “挟み込む人” がいれば、歯車をゆっくりゆっくり止めることはできるんじゃないかとも思う。
夢を見るには 土壌がいる
1. 願う力は「環境」で育つ
欲しいもの、やりたいことを想像する、って意外と“経験”が必要。
2. “できない子” は “育てられなかった子” かもしれない
教えてもらってないだけで、根っこには好奇心も素直さもある。
3.関わってくれる大人が、その子の“声”になる
自分を認めてくれる大人が一人いるだけで、世界の見え方が変わる。
だからこそ、見て見ぬふりをしない大人が、どこかに必要。
「本気の関わり」は派手じゃない。ただ、確かにその子の見える世界をちょっと変える力がある。
本気って、めっちゃ地味。でもめっちゃ強い。
私たち大人って「将来の夢は?」とかつい聞きがちやけど、 そもそも「願ってええんやで」って言ってあげられる空気、つくれてるんかなって思う。
今回出会った住職さんは、まさにそういう存在。
特別なことはしてない。 ごはん作って、字を教えて、働く場をつくって、叱るときはちゃんと叱る。 それだけ。
でも、それがいちばんすごい。
“子どもは希望” ってよく言うけど、 じゃあ “その子に希望を見せる大人” はどこにおんねん、って話で。
一度かかった呪いは、一気には解けない。
でも人との出会いで、環境で、経験で、
ゆっくり、確実に解けていく。
“どうせ無理” って言わせない社会は、 おしゃれなキャッチコピーなんかじゃなく、地道な実践でつくるしかない。
私は少なくとも、「見て見ぬふりだけはしない」って決めた。
うん、腹くくった。まだぷにぷにのお腹やけど、それでも。
本気の大人が、呪いを解く。
そんな大人に出会えたからこそ、 この話を、ちゃんと残しておきたかった。
―あ、ちなみにこの話を聞いた住職さんは、私の兄の昔からの友人だ。
素敵な出会いをありがとね、兄ちゃん。
*・・・*・・・*・・・*・・・*
最後まで読んでくださってありがとうございます。スキやフォロー、そしてコメントであなたの想いや考えを聞かせてくださったらとってもうれしいです!
いいなと思ったら応援しよう!
わーい!PCとうんうん向き合うカフェタイムのミルクレープ代にさせてもらいます✨しごとがんばれるー!