人は「忘れる」のではない。ただ、小さく折りたたんで仕舞っているだけだ。
自分を探る旅の終着点で
「自分とは何者か」を知りたくて、過去を遡ったことがあります。 幼い頃の景色、誰かに言われた言葉、あの時の感情……。 自分の歴史をこと細かく紐解いていけば、今の自分を救うヒントが見つかるはずだと信じていました。
けれど、歴史を紐解きすぎた結果、待っていたのは解放ではなく、今の自分を締め付ける苦しさでした。
記憶の「折りたたみ」という自浄作用
世の中ではよく「人は忘れる生き物だ」と言われます。 でも、本当はそうではないのかもしれないと感じるのです。
消えてなくなるのではなく、私たちは記憶を**「小さく折りたたんでいる」**だけではないでしょうか? ハンカチを丁寧に畳んで引き出しの隅に置くように、私たちはあの日々の断片を、心の奥深くにそっと仕舞い込んでいます。
それは、良い記憶も、悪い記憶も。
悪い記憶が奥底に沈む理由
特に、自分を傷つけた記憶や、消し去りたい後悔は、なおのこと分厚く、何度も折りたたまれて、指が届かないほどの深淵へと沈められます。
「思い出さないようにしている」 それは逃げではなく、心が壊れないようにするための、精一杯の防衛本能なのだと思います。
無理に広げれば、せっかく折りたたんで落ち着かせていた痛みが、再び鮮やかな熱を持って蘇ってしまう。紐解くことが、必ずしも癒やしになるとは限らないのです。
仕舞い直すという選択
もし今、過去を掘り起こして苦しんでいるのなら、どうか自分を責めないでください。
すべてを直視し、すべてを克服する必要なんてありません。 開けてしまった記憶の箱を、もう一度そっと閉じて、心の奥底に仕舞い直してもいい。
「忘れる」ことができなくても、「今は思い出さない場所へ置いておく」ことはできます。 そうして折りたたまれた記憶の積み重ねが、今のあなたという人間を形作っているのだから。
今日はただ、奥底に眠る記憶たちをそのままにして、今の空気を吸って生きていく。 それで十分なのだと、私は思います。
