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【自己紹介】生きづらさから私を救ったのは、パニック障害でした。40代から自分らしく生きるまで

初めまして。禄花(ろっか)です🌸
私のnoteを見つけてくださり、本当にありがとうございます。

今、私は「親からもらった価値観や、これまでの経験から抱え込んだ思い込みを手放し、人生の後半を自分らしく、安心して楽しく生きたい」と願う40代・50代女性に向けて、カウンセリングやコーチングを通した心の伴走をしています。

私のnoteのヘッダーには私が実際に見た「雨上がりの虹」を描き、こんな言葉を添えました。

🌈『小さな気づきが、あなたの心に虹を架ける』🌈

私がなぜ、この言葉を届けたいのか。

それは、私自身が人生の半分以上を、激しい葛藤と息苦しさの中で生きてきたからです。

そんな私も、パニック障害が転機となって、自分の人生を見つめ直す機会をいただき、その暗闇から私を救い出してくれたのが、いつも見上げると空から応援してくれた「虹」、そして一つ一つの「気づき」でした。


1.「もっと頑張らなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」の裏にあったもの


かつての私は、常に「もっと頑張らなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」という見えない何かに追われていました。

「完璧な母親でいなきゃ」
「良い妻でいなきゃ」
「周りに迷惑をかけない、いい人でいなきゃ」

専業主婦となり、子育てに心血を注ぎ、家庭を守ってきた日々。

周囲の目には、仕事を頑張る夫がいて、子供達にも恵まれ、家族仲も良く、「すべてを持っている人」に映っていたかもしれません。

世間の基準からすれば、誰もがうらやむ「普通の幸せ」だったのでしょう。

ただ、私の心の内は全く別のところにありました。

自分の足で自立してバリバリ働いている女性がうらやましかった。
社会に居場所がある人がうらやましかった。

だから、専業主婦の私には「何もない」という焦燥感。

いつも満たされない思いでいっぱいで、常に強烈な劣等感を抱えていたのです。


振り返ると、子供の頃から私の根っこにあったのは「認められたい」という強い願いでした。

今でも忘れられないのが、4歳の時の光景。

普段は優しいものの、母はひとたび怒ると激情する気質でした。

ある日、父と母が激しい口論になり、母が財布を掴んで家を飛び出そうとしたのです。

「お母さんがいなくなっちゃう!」

私は泣き叫びながら、母の腕を必死に掴みました。

けれど母は、その私の小さな腕を力任せに振り払って、出て行ってしまったのです。

結果的には、近所へ買い物に行ってすぐに帰ってきたのですが、4歳の私の心に刻まれた、あまりにも強烈なトラウマ。

「お母さんを怒らせたら、私は捨てられてしまうかもしれない」

それからの私は、母の顔色をいつも伺い、母を怒らせないようにと必死で「母に認められるためのいい子」を演じるようになりました。

本当は無邪気で我の強いおてんば娘だった私が、だんだん「いい子でいること=生きる術」になっていったのです。

気性の激しい母とは、その後もうまく本音で意思疎通ができず、心の距離はどんどん深まるばかり。

そして、自分が母親になった時。

「私は、あの母のようには絶対にならない」
「子どもに私と同じ寂しい思いはさせない」

母を強烈な反面教師にして、いつの間にか「子育てはこうあらねばならない」と、必死に理想の母親像を創り上げようとしていたのでした。


2.体が教えてくれた限界のサイン


そんな私の生き方に、ある日突然訪れた「強制終了」。
パニック障害の発症です。

きっかけは、「母との永遠の別れ」でした。

気の強い母は、周囲がいくら説得しても聞き入れず、自宅で動けなくなるまで決して病院に行こうとはしませんでした。

やっと病院に行ったかと思えば、そこからわずか10日後の急逝。

コロナ禍というご時世もあり、付き添いも叶わず、ろくに言葉も交わせないままの別れ。

私はずっと、いつか母と分かり合える日が来ると信じていました。

しかし、最後のチャンスで母からかけられた言葉は
「早く帰れ、バイバイ」という突き放すような一言。

母の本心でないことは、頭では理解していても、その言葉は私の心に深い深い影を落としました。

「あなたにとって、私という存在はなんだったの?」
「私は、愛してもらえていなかったんだ…。」

そんな底知れぬ寂しさを抱えたまま迎えた葬儀。

私は涙を流すこともできず、ただただ凍り付いた心だけがそこにありました。


すべてを終え、ようやく落ち着いたころから、私に起き始めた異変…。

全く食欲がなくなり、突然の身体の変調に「ヤバイ!このままでは次は私だ!」と、命の危険を感じるほどでした。

猛烈な恐怖に襲われ、手を震わせ、冷や汗をかきながら内科に駆け込むも、検査結果は異状なし。

急なストレスによる一時的なものだと告げられます。

それでも、激しい動悸や息苦しさという体の症状は治まりません。

恐怖で夜も眠れず、テレビのニュースを見るたびに、お腹の底から得体のしれないゾワゾワが湧き上がり、じっとしていることさえできなくなっていきました。

心療内科でパニック障害と診断されるまでに要したのは、半年という月日。

その間にパートも辞め、社会からも断絶。

家では横になってばかりで、外にも行けず。

幸い、子供達もそれぞれ大きくなり、私の力がなくてもなんとかやっていける現実。

これが、さらに私の心に、社会にも家庭にも、私の心の居場所がなくなった感覚をより一層強くさせました。

「これから私は、何のために生きていけばいいのだろう」

そんな深い虚無感と疎外感、そして無価値観という絶望の淵に私はいました。


ただ、今だからこそわかります。

あのパニック症状は、私の身体と心が発した最後のSOS。

「もうこれ以上、他人に合わせて自分を偽って生きるのは無理だよ!」

「母への恐怖や寂しさから自分を守るために、もう戦わなくていいんだよ!」

そう命がけで叫んでいてくれたのだと。


3.「母の呪縛」から自由になり、自分を許した日

病気になって初めて、私は自分の「内側」と向き合わなければならなくなりました。

どれだけ多くの病院を頼っても、心療内科で薬をもらっても、体の症状を抑えることは出来ても、私の孤独な心を救ってくれる人はいなかったのです。

「私を救えるのは私しかいない!」

そこから私は、本当の自分を取り戻すための一歩を踏み出します。

そこでまず気がついたのは、私の心を縛り付けていたものの正体。

私は母を反面教師にし、「あんな風にならないように」と必死に生きてきたつもりでした。

しかし実際は、「母のようにならないように頑張ること」に囚われるあまり、結局は母の価値観という枠の中で、ずっとビクビクしながら生きてきたのです。

パニックになったのは、ずっとずっと「母のせい」。

そう思っていました。

でも本当は違います。

母のようになりたくない一心で、私が私を厳しくルールでがんじがらめに縛り付け、自分に鞭を打って痛めつけていただけ。

「私は20年もの間、自分にこんな仕打ちをしていたのか!」

その事実に気づいた時の衝撃!!!

自分になんて申し訳ないことをしたんだという深い懺悔の気持ちがこみ上げ、その場に崩れ落ちるように涙が溢れて止まりませんでした。

そこからは、

「私はもう十分頑張ってきた」
「誰かに認められなくても、私が私を認めてあげる」
「誰かに愛されなくても、私が私を愛してあげる」

そうやって、ずっと必死に頑張って生きてきた自分を許し、今の自分にマルをあげられるようになった時、私の世界は不安だらけの恐怖に満ちた戦場から、優しく安心して自分を出せる場所へと変わっていったのです。

そして、同じように悩む女性のサポートに生きがいを感じ、本来の自分の姿で生きられるようになった今。

それを体験し気づかせてくれた過去の出来事にも、そして母にも、感謝の気持ちが持てるようになりました。

私の心は今、とても満たされています。


4.たくさんの女性たちとの出会いが教えてくれたこと


自分自身が暗闇から抜け出し、タロット、算命学、陰陽五行、心理学、コーチング、レイキヒーリングと様々な側面から人生や心の仕組みを学ぶ中で、私は多くの女性たちの悩みを聴かせていただくようになりました。

そこで驚いたのは、私の元に相談に訪れる彼女たちの表面的な悩みはバラバラなのに、根っこにある叫びは、全員私と同じだったということです。

・学校で問題を起こす息子を前に、自分が母親失格だと責められているようで辛かったお母さん。

・学歴への劣等感や、職場での繰り返す人間関係のトラブルで、自分に自信がなくなってしまった女性。

・家族の為に尽くしすぎて、自分のやりたいことがわからなくなったお母さん。

・夫の言動が怖くて自分の本音を言えず、理解し合えないと苦しんでいた女性。

みんな、心の奥では「認められたい」「愛されたい」と願い、「ちゃんとしなきゃ」「こうあるべき」と自分を縛り、うまくいかないことがあると、過去の傷を目の前の現実に投影して苦しんでいました。

でも、セッションを重ね、彼女たちが「私はダメじゃなかったんだ」「私は私でいいんだ」と気づき、それまで抱えていた呪縛を脱ぎ捨てた瞬間、信じられないような奇跡が次々と起きていきました。

荒れていた子供が授業中に手を挙げて発表するようになり、職場に行く心が軽くなり、自分のやるべきことが明確になり、お互いの気持ちを理解しあえるようになる………。

何よりも、彼女たちの顔に本来のかわいらしいキラキラした笑顔が戻っていく。🌟

その内側からパッと輝きが増すその瞬間が本当に幸せで、生きている実感が味わえる私の宝物の時間です。🎁

そして、その一瞬の変化を見届けるたびに、私は確信します。

「誰かの正解ではなく、自分の内側に『私は私のままでいい』という安心の基地ができた時、外側に見える現実は一瞬で優しいものに変わるのだ」と。


とある相談者の女性からかけられた言葉。
「私の先を経験してくれてありがとう」

彼女たちのおかげで、虚無感や疎外感、無価値観を抱えていた私のあの過去の傷も癒されています。

私の元に来てくれるあなたは、過去の私。
あなたと私は、一心同体です。


5.人生後半、安心できる居場所を見つけて自分らしく生きよう


40代、50代。

私たちはこれまで、母親として、妻として、社会人として、本当に十分すぎるほど頑張ってきました。

もう誰かの作った「正解」や、過去の記憶に合わせて自分をすり減らす生き方は、終わりにしませんか?

失敗してもいい。
不器用でもいい。
それがあなた。
それがあなたらしさ。

真っ直ぐ進めなくてもいい。
遠回りしてもいい。
どんな自分もオールOK!

これからは、自分で自分を世界一の味方にして、安心できる居場所で自分らしく生きて行きましょう。

このnoteでは、私のこれまでの経験と、たくさんの愛おしい相談者さんたちから教えてもらった「人生の後半を豊かに軽やかに楽しく生きるための、心の気づき」を、私の等身大の言葉で一つずつ分かち合っていきたいと思います。

もし、記事を読んで「あ、私のことかもしれない」と胸がザワザワしたり、少しでもホッとしたりする部分があれば、ぜひスキやコメントで教えていただけたら嬉しいです。

まだまだ私も成長の途中。

これまでは「認められたくて」必死になっていた私を手放して、私が本来の自分を取り戻していく過程そのものが、誰かを導く光になりますように。

そう思って日々、自分と向き合っています。

一緒に本来の自分の輝きを取り戻し、ここからの人生を豊かで楽しいものにしていきましょう。

🌈今が雨模様でも、あなたの心に美しい虹が架かるその日まで。🌈

かつて私が暗闇を彷徨っていた時に、そっと空に架かって勇気づけてくれたあの虹のように。

私はここで、いつでもあなたに寄り添って伴走しています。

あなたとのご縁に心から感謝いたします。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


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