ヨタヨタ、よたろう
米津玄師は食わず嫌いでした。
音楽聴く余裕がなかったときに、メジャーになったので、よくわかんないままだったのです。
イイのは知ってるけど、アルバムを通しではきいてなかった。
最近、CDレンタル可能なゲオに行ったら、ランキング棚に米津玄師のアルバムがあったので借りました。
あ、きいたことある、っていう曲ばかり。
死神だー フルで初めて聞いた。
落語きいてるみたい、こういう表現してくれるアーティストを応援したいー
米津玄師、好きです、今までアルバムきかなくてごめんなさい
↓この動画はリアルタイムで何回もみてた。
歌とリズムと踊りと台詞なしの演技、同じ人が複数人格を演じてる、しかもコンパクトな型でプレゼンテーション。現代総合芸術。
いま、あかね噺(週刊漫画のほう)がちょうど死神やってるよね。
死生観が~というなら、もっと主人公の内面や過去を掘り下げてもいい気もするけど、令和はドライなんだね。想いや内面がどうであれ、表に現れた芸がすべて、という冷めてる(醒めてる?)哲学が真ん中を貫いてる。
アイディアや想いは、形にしなきゃ、伝わらない。
形にする過程で、なにかを削らなきゃいけないけど、その訓練で研ぎ澄まされていく。
背中をみて学べ
体験型イベント
読解や判断は相手に委ねる時代
仲間、絆、という熱い『想い』の表現に食傷ぎみだったところに、このクールさが心地いい。BGMにできる。技術がないとできない。(あかねがよくやる技 笑)
最近紳士と会話して、こういうプロになりたい、と感銘をうけた。
紳士的であるには、ドライである必要がある、と考えている。ドライは、諦めもある。人はわかりあえないので、数字で事実を述べる、解釈や判断は相手に委ねる。わかってもらおうと説明しない諦観。
ベースに諦観がある人は、衣食住や愛情に恵まれた環境で育ったからかもしれない。世代や個人差があると思うけど。哲学を体系化する人は、時間と衣食住が十分に確保されてる。毎日の生活が安定してない人は悩む暇がない。
米津玄師って落語好きなんだってね。
そうだよね、カップリング曲で死神をつくっちゃうんだもんね。インスピレーションの鬼だな。令和の与太郎は、かなりドライだ。自分を客観的にみて、なりたい自分を演じられる。自分を空にできる。
いいなと思う音楽は、ベースとドラムがかっこいい。(米津玄師の声はベースっぽい)
落語には、与太郎とか若旦那とかでてくる。型どおりのキャラだけど、話の解像度が上がる。
この頃の米津玄師は、与太郎ぽい主人公を演じてると思うんだけど、ヨタヨタ、ヨタヨタ歩いている。ヨタさん。ヨタヨタの語源か?ああヨタの字が崩壊して見えてきた、やめよう。
(フラミンゴは、フラフラって言ってたけど)
彼は、もう成人といってもいい年齢に達しています。それにもかかわらず、頼りなく、世間一般の常識には無頓着で注意力も散漫なので失敗ばかりしています。それどころか、失敗しても気にすることなく、同じ失敗を何度も繰り返します。定職に就いていない、という設定も多くあります。もしかすると、せわしない現代であれば、与太郎は生きづらさを感じるかもしれません。でも、落語の世界ではいきいきと、ひょうひょうと生きています。
いい加減にヨタヨタはやめて、紳士的な大人になろうと思った、という蛇行日記。
