追悼・久米宏さんの技術
アナウンサーの久米宏さんが亡くなってしばらく経つ(2026年1月)。
久米さんの印象は非常によく、とにかく聞きやすいアナウンサーであった。日本のマスコミにありがちな左翼言論人であるような雰囲気が希薄で、今の報道ステーション担当である大越キャスターなどは高市首相や自民党に対し露骨に嫌悪感を態度に出すが、久米さんはそのようなことはなかった。
よく聞くと実際には久米さんはユーモアと皮肉を織り交ぜつつ自分の意見を話しているのだが、攻撃的にならないのである。
久米さんは81歳で亡くなったが、この世代の人(戦後復興世代)には余裕があって、度量が大きい人が多かった。左翼偏向番組として悪評が高いTBSの「サンデーモーニング」でも、関口宏さんは決して攻撃的にならず「どうなんでしょうねえ~」といった感じで穏やかに構えていることが多かった。人の意見を遮ってムキになって自分の意見を怒鳴り散らす、田原総一朗さんの方がむしろ例外的な存在であった。また有名なみのもんたさんは久米さんの同期だが、みのさんが脂ぎった嫌らしいオヤジのような雰囲気があったのに対し、久米さんは終始スマートであった。
さて最近、昔録音したラジオ番組「伊集院光 日曜日の秘密基地」を聴いていたら、久米さんがゲストの回であった。
久米さんはアナウンサーの在り方や数々の名人芸について話をされていた。
その内容は久米さんが単に「意見を言うアナウンサー」ではなくむしろ卓越した「プロフェッショナルであり職人」であったことを示していた。
(1)ニュースのアナウンサーは無表情であるべきだ
ニュース番組でニュースを伝えるとき、アナウンサーは無表情であるべきだ。余計なニュアンスを入れてはいけない。ただ、無表情は「ぶっきらぼうな顔」ではない。テレビを見ている視聴者が「この人は無表情だ」と思ってくれるような表情である、ということ。それは「やや明るさがあって、ムスっとしてなくて、スッと自然にそこにいるような感じ」である。自分でコントロールして練習が必要である。「相棒」だった渡辺真理さんや小宮悦子さんなどはちゃんとそれをやっていた。
(2)時間の調整方法
当然、リアルタイムでニュースを読む以上、時間が押して早く喋らなければならないケースは多い。その場合「早く読むけど早く読んでいるように見せない」技術が必要である。久米さんはこれを「ザ・ベストテン」で司会をやっていたとき、指揮者が生放送に合わせて生演奏の曲の時間を調整するのを見て、この技法を学んだという。「ザ・ベストテン」というのは当時人気の歌番組で、毎週ランキング形式でその曲と歌手が下位から順に歌っていく形式をとっていた。久米さんはユーモアを交えながら「非常に不幸な構成なんですけど、第1位の曲が最後になるんですね。なので時間が足りなくなることが多いが、1位を飛ばすわけにはいかない。そこで指揮者の先生にお願いすると、上手い具合にところどころ摘まんでくれる。大事な部分はスピードを早めないこと、そして最後の5秒を早めないことで急いだ感じを視聴者に与えないことができる。だからアナウンサーも最後の方をゆっくり読むことで『慌てて読んでたな』という印象にならないように読むことができる」と話されていた。
(3)相手の呼吸を読む
政治家のような人がゲストに来た場合、とにかく相手は喋るのをやめないので、相手が息を吸った瞬間に質問をするのである(伊集院さんは「剣豪ですね」と評していた)。
逆に、子供と話す場合や、中継先のレポーターが慌てている場合には、相手が息を吸う瞬間に相槌を打ってあげることで、気持ちよく話をさせることができる。
(4)原稿は短くすると読む時間は長くなる
意外なことに、「~です。」「~です。」という短文の文章だと全体量が増えて長くなってしまう。間に「さて」とか「で」とった言葉が入るためで、「~で、~で、」と繋いでいく方が読む時間は短くなる。
(5)若いから頭が柔らかい、ということはない
久米さんが何年も担当をしていると「ニュースステーションを見て育った」世代が入社してきた。そんな世代ほど「ニュースステーションはこうなんですよ!だってずっと見てきたんだもん」という思い込みが激しい。逆に久米さんはニュースステーションを始める前からアナウンサーの仕事をしていたわけで、ニュースステーションが存在しない時代を知っているから、色々な可能性を考えられる。若いから頭が柔らかい、というのは違う。
(6)暇ネタ
どうでもいいニュースを暇ネタと言うが、例えば「〇〇でアジサイが満開です、お出かけになっていかがでしょうか」と言ったりする。前半はともかく後半の「行くかどうか」を決めるのは視聴者だから、そんなこと言わなくていい。
久米さんは「ニュースでキャスターが意見を言う」ことの嚆矢とされることが多いが、ご本人の話を聞いていると徹底的に「感情を交えす、中立・公正であろうとした」ことが伺えて興味深い内容であった。時折ユーモアを交えながら「僕ほど公正にニュースを伝えた人間はいない」と言っていたところに、久米さんの矜持を見た気がした。
おそらく思想的にはリベラル寄りだったと思うが、全くそのような雰囲気を感じさせなかった。相手を決して否定せず、ユーモアに包んで話すので全体が柔らかく度量が大きい印象を与えた。皮肉なもので、今のリベラル・左翼言論人はこの姿勢を完全に失ってしまっている。
改めて思うが、やはりどこまでも上品なのである。
こういう格好いい大人が、また一人いなくなってしまった。
