「正しさが通じない世界で、まだ何かを学べる気がする」──
たとえば今日も、
言葉を整えて差し出したのに、
相手は笑って、うなずいて、それっきりだった。
私はまた、「それが正しかったかどうか」ではなく、
「伝わったかどうか」「否定されたかどうか」を
一人で反芻していた。
言葉が遠くへ投げられて、
そのまま帰ってこない世界に生きている。
でも、どこかでまだ思っている。
「それでも、この違和感の中で、
なにかに触れている気がする」
「ここに立っていることそのものが、
何かの答えかもしれない」
私が探しているのは、
わかってもらうことよりも、
「この感覚を持っている自分が、間違っていないと感じられる場所」
なのかもしれない。
誰かが頷かなくても、
誰かが反応しなくても、
それでも感じ取ったことが、
私の中で震えている。
それが学びなのか、ただの執着なのか、わからない。
でも、わからないままでいたいと思う。
言葉にならないまま、
世界と、少しだけ関わっていたい。
