30万円を渡した瞬間、彼氏は窓を閉めて走り去った
「絶対、男に騙されてる」——見抜いても、止められなかった話
「あ~絶対、男に騙されてるわ~」
ベテランのスタッフが、受付用紙を持って事務所に戻ってくるなり、そう言った。
そして実際、その通りになった。一目で見抜いていたのに、僕たちは止めることができなかった。消費者金融の窓口で働いていた頃の話だ。
受付
ある日、おとなしそうで、そしてかなり抜けた感じの女の子(記憶ではショートカットで赤く染めていた)が奈良支店に来店した。
受付に立ったのは、僕と社内恋愛中の新山さんではなく、ベテランの東さん。
その女の子、名前は吉田さん(仮名)。
借入申込書を記入している間、彼女はずっと携帯で誰かとしゃべっていた。
「うん、うん、50万円で申込するよ、わかった、うん、うん」
東さんはとりあえず淡々と、素早く受付処理を済ませ、書類を持って事務所に入ってきた。
「あ~絶対、男に騙されてると思うわ~」
僕、他一同「ですよね~」
「貸したくないな~。とりあえずLE見るわ……あ~、貸せるわ……」
LE──レンダースエクスチェンジ。他社での借入や延滞の有無を照会できる、信用情報のようなものだ。内容まではもう覚えていないが、延滞などはなかったらしい。
つまり、貸せてしまう。
「店長~! ど~しよう」
「う~ん、親会社が代わってから、貸せるやつを断ったら始末書かかなあかんからな……」
それまでの融資判断は、法律や他社との取り決め、自社のガイドラインこそあるものの、その範囲内では基本的に支店の裁量に任されていたので、今回のようなケースは支店長次第では融資はお断りしていた。
ところが外資系の傘下に入ってから、与信的にはOKな顧客に貸さなかった場合、いちいち報告書を求められるようになっていた。
「う~ん……30万!」
「は~、気が進まんわ~」
30万円
美人だが、かなりぽっちゃりした東さんが、ドスンドスンと重い足取りで窓口へ向かう。僕も様子を見に、窓口から少し離れた席に座った。
「吉田さま、先ほどからお電話している人は、どなたですか?」
「あ~、彼氏です」
「そうですか。お金を借りてくるように指示とか、されてませんか? 失礼ですが、騙されてるとか、ないですか?」
東さんはヤンキーだが、筋の通った姐御肌の人だ。なんとか吉田さんに借り入れを思いとどまらせようと、やんわり説得する。
しかし──
「ほんと、大丈夫です。騙されたりとかじゃなくて、私が借りる必要があるんです」
仕方なく、東さんは手慣れた手つきで30万円を札勘──お札を数える──していく。
吉田さんはホクホク顔で店を出ていった。
そして、彼女は戻ってきた
どれくらい経っただろう。しばらくして、吉田さんがまた店にやってきた。
その顔に、もう笑顔はない。
「吉田さん、どうされました?」
「あの、あの……さっきの30万円なんですけど……車で待ってた彼氏に、渡したんです」
東さんは、もうすべてを察した顔をしていた。
「……逃げられたんですね」
「はい。そのまま窓を閉めて、車で……。電話しても、出てくれないんです……。キャンセル、できないですか?」
「無理です。申し訳ございません。30万円は、吉田さんの債務です」
東さんはきっぱりと断った。
その後、何度かやり取りはあったものの、吉田さんはあきらめて帰っていった。
対応後
「も~ホンマに! わかりやすすぎるから、あんだけ注意したのに、なんなんもう!」
東さんは怒っていた。
「まあ、だました方も、ごはんでも一緒に食べてから消えればいいのに。すごいスピード感でしたね」と僕。
「そやな。だいたい督促の電話のときに『実は騙された』とかはよく聞くけど、こんなすぐは、なかったな」と支店長。
督促のときに発覚するのが定番なのに、あの日は受付の、ほんの数十分後だった。
今はネットで借り入れができる時代だ。窓口で東さんのように「これは怪しい」と気づいてくれる人は、もういない。だから、騙されていることにすら気づけない人が、結構いるんじゃないかと想像する。
あの日の東さんの怒りは、たぶん、優しさだったのだと思う。
