見出し画像

信州マニア、松本市波田をあるく


 『熊出没 松本・波田で1頭捕獲』
 
 松本市波田地区の国道158号北側の住宅地などで31日、熊の目撃情報が相次いだ。市によると、午後3時45分ころ、熊1頭が捕獲された。(市民タイムス)

 というニュースを読んだのは、波田を歩いた数日後。やはり出るのか、とずしんと来た。

 まず、波田の説明から始めよう。

 松本市波田地区は、盆地がアルプスの山に尽きていく、その縁にある。松本からは国道158号線がつづいていて、そのままゆけば上高地であり、乗鞍であり、あゝ野麦峠である。

 「二時半にみんなが松本駅に来るまでのあいだ、わたし、波田を歩いてますね!」

 そう牧師一家に送ると、「へ?」という感じの返事が来た。牧師はGoogleマップで、わざわざ波田を検索したらしい。

 「波田のどこを見るんです?」

 そう、波田は観光地ではない。松本城もないし、開智学校もないし、しょうじきにいえば、なにもない。

 「彼が通った小学校とか、近所のスーパーとか、雰囲気とかを歩いてたしかめたいだけなんです。小説家っていうのは、そういうどうしようもない種族なの」

 「ああ」

 と牧師は納得してくれた。波田は遠いようでいて、アルピコ電鉄を使えば、片道三十分で松本駅から行き来できる。だいじょうぶ、約束の時間には間に合いますから。遭難もしないから、安心してくださいな。

 波田!

 松本駅からアルピコ電鉄で、波田をめざす。Suicaは使えないから、ちゃんと切符を買わなくてはならない。片道六百円弱なり。アルピコ、日本一高い地方鉄道とか呼ばれてたっけ。

 上高地線は二両編成。乗客の大半は、松本大学の生徒で、「北新・松本大学駅前」で降りる。一限目じゃないだろうなあ、だいぶゆっくりした通学だこと。

 学生たちの顔を眺めながら、なんで彼は近所の松本大学に行かなかったのかしら、というのを考える。

 「おめえは、松本大学でも行けばいいだに」とか、おじいちゃんに言われなかったかしら。

 同じことを、梓川高校の前を通りながら考える。「おめえは、梓川高校に行けばいいだに」。

 なぜ彼はわざわざ波田から松本商業に行き、東京の大学に行ったのだろう。

 それを思うのも、波田が遠いからで。松本まで通うのも苦労な気がする。車窓は、信州ののどかな水田風景。

 あれは下島の駅だったかな。「波田リトルリーグ全国大会出場!!」という横断幕がかかげられていた。あー、波田って、やっぱ野球強いんだ。去年、上高地のキャビンのTVで、波田のリトルリーグの試合観たもんなあ。島内かどこかの連合団に優勝してた。

 そっか、彼が松商に進学したのは、やっぱり野球枠だったのだな。

 「勇ぁ、梓川へ行きゃあいいだ」
 「でも、おじいさん。勇は松商の野球部から声がかかってるんですよ。あの松商ですよ、行かせてあげてくださいな」
 「んーなこと言ったって、さいきんの松商は甲子園で負けてばっかりだに」

 さて、妄想はさておき、現実のわたしは、波田駅で降りる。

 梓川の河岸段丘のはざまにある駅で、駅前にはデリシア。「デリデリ デリシア〜 だいすきデリシア〜」という洗脳ソングの流れるアルピコ系列のスーパー。

 緑色のかごを手に取って、まず気になるのは鮮魚コーナー。この山の中で、どんな魚を売ってくれるんだッ! ほおお、日本海側から来たらしい、みたこともないような魚の切り身が並んでる。塩マルイカはなし、っと。渚のツルヤでは鯉こく売ってたけど、デリシアは売ってないんだね。

 歩きながらでも食べられるものを買いたいのだけど、だいたい食べられるかしら。二日前、松本に着いたとき、わたしは無理を押して、本格的と名高い西堀にあるビリヤニの店にはいった。そこはそのままインドみたいな、おしゃれで、美味しい店だったけれど、ひとり旅に緊張した神経と胃に、ビリヤニは拷問でしかなかった。

 ひとり旅のアドバイス!
 1. 体調が悪いときに、無理してビリヤニを食べないこと!

 それでわたしは、二日間、浅間温泉のホテルにこもって、湯治をしていたのだった。それは、ほんとうに恩寵の時間だった。聖書を読み、温泉にはいる、その繰り返し。こんな贅沢な湯治があるかしら。母は若い頃、修道院の祈祷会に行くのが好きだったという。カトリックを破門されたわたしは、伊東園ホテルで同じことをしたのだった。


 神さまは、わたしの心の願いを叶えてくださる。たったひとりで湯治することは、何年にもわたって、わたしの夢だった。叶いそうもない夢。小さな子どもを育てる、比較的健康な主婦が、家族をほっぽって湯治に行けるものだか、考えてごらんなさいな。

 ふしぎな巡り合せで、二日間も、浅間温泉での自由時間を得た。なんども重ねるように、湯に入る。松本の街をみはるかす、伊東園ホテルの大浴場。二泊三日のあいだに、わたしは十回もお風呂にはいった。主と向き合い、湯治をするだけの時間。

 ちなみにね、伊東園ホテルはお安いんです。二泊朝食付きで、一万五千円でした。でも、わたしはあれ以上に贅沢な時間を知らない。身も心も、癒されてゆくようだった。

 そうそう、わたしはデリシアで買い物をしてたんでしたね。デリデリ、デリシアで。

 結局、携帯食のようなもの、エナジードリンクのゼリーと、玉子のランチパックを買う。それ、コンビニでもよくない?

 さっそく波田を歩き始める!

 波田駅を出ると、すぐ右手に、松本市立病院がある。段丘にまたがるように建った、大きな総合病院である。ぜったい彼はここで生まれたな。そういえば、松本市立病院がお産の取り扱いをやめる、というニュースがさいきん取りざたされたけど、あれはどうなったろう。

 なぜ、こんなところに、こんな大きな総合病院が存在するのか。それは、これが元は波田総合病院だったからである。

 波田町が松本市と合併したのは、つい最近、2010年のことである。そのことを頭にいれて、こののどかな駅前を歩いてみよう。

 総合病院のある通りは、郡道坂とよばれる、段丘面にまっすぐとおした広い坂道で、その脇には、あまりにも大きく立派なJA松本ハイランド波田支店の建物と、これまた立派すぎる松本市波田支所がある。

 (ちなみに写真は、松本市波田支所の駐車場の隅にある、大正時代の村役場です)

 そうなのだ、波田の町は、ひとが少ないのに、いびつなまでに建物が立派なのだ。そこがまち歩きマニアのツボをくすぐるのだ。

 なにが、波田の町をこうさせたのか?

 そういえば、彼はスイカ農家の次男坊である。シモッパラスイカといって、ここ波田で取れるスイカは名産品である。

 わたしは、きっとシモッパラスイカだと思った。スイカが、波田を栄えさせたのだと。スイカのおかげで、彼は次男なのに、東京の大学に行かせてもらえたんだ。仕送りもしてもらって。競馬ですっちゃったらしいけど。

 その郡道坂を下れば、国道158号線とのT字路で、波田小学校につきあたる。背の高い赤松の林がうつくしい、赤い屋根の波田小学校。坂を上って、松本市立病院をすこし越えたあと、道の脇にふしぎな水路をみつけた。

 こういうとき、わたしの勘がはたらくのだ。この道を辿ってみろって。水路にはとうとうと冷たい水が流れている。看板には、この二百メートル先に、東屋と水車があるという。波田堰というらしい。段丘を灌漑するために、先人たちが苦労してつくった水路だ。

 なんてしずかなところだろう。ただ新緑と、梓川から引いたのだろう透きとおった水の流れと。何百メートルも、いや、何キロも続いている散歩道。

 ここで、洗礼式ができるかもしれない。いや、彼は教会のお風呂で洗礼を受けたんだっけ。いまでは彼も、松本のお町にすんでいるけれど、ときどきは波田に帰ってくるんじゃないかしら。だって波田には、松本にはないような空気があるもの。この景色のなかに育ったら、東京には住めなかったかもしれない。それで松本に帰ってきたのかな。

 わたしは、ただ散歩していて、こんな景色をみつけちゃった。これだから、歩くのは楽しいんだ。わたしの散歩仲間が、つまり夫が、いっしょにいたらよかったな。わたしたちは、ただ町を歩くのが好き。そして町の構造や歴史について語りあうのが好き。子どもがもうすこし大きくなったら、また歩くことができるのにな。

 どこまでも続く水路沿いの小道。わたしは大判の地図を拡げる。これを先っぽまで辿ったら、上波田まで行けるかもしれない。ここで水路と道が交差しているふうにみえるもの。けれど、あまり人通りがないのだろう。だんだん小道は草に覆われていく。そして、わたしは思い出したのだ。

 熊!

 波田だもの、上高地と地続きだもの。熊もいるかもしれない。熊鈴は持ってこなかった。だって、浅間温泉とクラフトフェアにきた旅だもの。ひとりだし、五月だし、うん、これ以上この道を辿るのはやめよう。

 それからわたしは、郡道坂まで戻って、梓川を見に行くことにした。河岸段丘の町! 

 梓川まではたどり着かなかった。けれどまた大きな水路があって、怒濤のように水が叩きつけられ、渦を巻き、そして跳び上がっていた。これはまさに梓川からひいてきた水だ。おんなじ色をしているもの。波田は、坂道の町で、そして水路の町なのだなあ。

 帰り際に、わたしは立派な波田文化センターのなかの、松本市立波田図書館に寄った。読みたい本があったのだ。それは「大いなる波田」といって、2010年に波田が松本市と合併するときに、記念につくられた本だった。

 いや、図書館も立派ですよ…… ちらと文学のコーナーを覗いたけど、選書に教養があるね。

 「大いなる波田」によると、この文化センターもJAも総合病院も元町役場の建物も、ぜーんぶバブルの頃に建てたのですって。ハコモノ好きな町長さんがいたのかもしれない。それにしても豪勢だ。

 けれど平成の不況で、だんだん財政は傾いてゆき、ついには松本市と合併することに…… はあ、そういうことだったのね。で、シモッパラスイカ景気というのは存在したのかしら? それはわからなかった。

 それにしても、彼の生まれた町と時代とが、なんだかわかるような気がした。彼は平成元年生まれである。彼が生まれた前後、波田の町は建築ラッシュだった。総合病院ができ、JAができ、町役場を建て替えて、プールも、文化ホールも作っちゃった。

 けれど、彼が東京の大学に通っているあいだに、波田町は消えてしまった。彼が21才のときだった。それで、彼は地元に帰ることを決めたのかもしれない。地元のバス会社に就職することにして(いまさらなぜ名前をふせるのか)。まあ、波田の実家からだと通勤しづらいから、すぐ城下町に引っ越してしまったのだろうけど。

 そういう、想像と現実と歴史と地理とが混じりあったような、波田散歩を終えて、わたしは松本駅に戻った。

 改札のまえで、松本市の広報誌を読みながら待っていると、牧師の家族がやってきた。わたしがひとりで立っているのをみて、(遊び仲間である、わたしの息子がいるのを期待していたらしい)、牧師の娘は、がっかりした顔をした。

 「これはシスターフサエの、ひとり時間なんだから」

 牧師夫人がそうなだめた。わたしのひとり時間は、そのとき終わったけれど、それは嬉しい終わりだった。わたしはにぎやかなフィリピン人の家庭に紛れこんだ。

 それから、牧師が松本駅のピアノで、賛美歌を弾いてくれた。それはわたしにとって、小説と現実がひとつに混じりあったような瞬間だった。それは、「そこには、インマヌエルから流れでた、血潮にあふれた泉がある……」という歌詞の古い賛美歌で、なぜだか波田を歩きながら、わたしの頭にながれていた歌だった。
 
 "There is a fountain filled with blood
  Drawn from Immanuel’s veins;
And sinners, plunged beneath that flood,
  Lose all their guilty stains……"

 湧き水の町と、キリストの血潮と。そして、わたしたちは、おきまりの松本城を見に行ったり、夕ぐれの女鳥羽川で月見をしたり、ファミレスで二歳児の二歳児たる行動に目を剥いたりした。

 ふしぎな、でも恩寵にみちた旅だった。五日間も子どもを預かっていてくださった義母上には、感謝しかございませぬ。 

 

いいなと思ったら応援しよう!