見出し画像

めざせ!普門館!:1978年は、、、

Aloha!

いきなり拍子抜けですが、
はい、1978年の「めざせ!普門館!」シリーズはありません。
一回休みだったので。

1977年。母校、雪谷高校吹奏楽部と共に東京都高等学校吹奏楽コンクールに挑戦しました。結果は「銅賞」でした。
当然、普門館で行われる東京都大会へは出場できませんでした。
タイトルをご覧になって、ちゃんちゃらおかしいと思われる方もいらっしゃることと思います。

これはいってみれば、高校球児の目標はとにかく甲子園!と同じような感じのノリです。甲子園に行きたくない高校球児はいないでしょう。

多少、舞台の大小というか意味合いは違いますが、
当時の自分たちにとって、「普門館」は大きな目標であったことは確かでした。
当時は普門館は東京都大会と全国大会でしかそのステージにあがれませんでしたから。
その後、東京都の中学校の予選で使われるようになって少し寂しかったりしましたが(^0^;)

夢(目標)をもつことは大事だと思っています。たとえ夢で終わったとしても。
それだけ人生が豊かになると信じていますから。

さて、1977年のコンクール後のお話を少々。


実はその年の秋に私は十二指腸潰瘍を発症しました。大量下血して(@@;)
人生初でした。思えば、それからの人生で何度もおつきあいをすることになるのです。トホホ。

コンクールに出場に伴うもろもろによる、ストレスがたまっていたのでしょうか、、、
それは全くないとはいえませんが、実はもう一つ大きな要因があったように思っていて。
それはその年のNPBの日本シリーズのことです。
私の愛する読売ジャイアンツがセリーグ優勝を果たし日本シリーズに駒を進めました。対戦相手は、阪急ブレーブスでした。
軍配は4勝1敗でブレーブスにあがったのでした。それが悔しくて悔しくて、、、
そういえば、そのときの阪急の打者がバットのヘッドが太いタイプを使っていて、ヒットを量産していたことを覚えています。
今年、MLBで魚雷型バットが話題になっていますが、まるでそれの先取り?のような。
とにかくはらわたが煮えくり返る思いをしていたのは事実でしたね。
でも、それでは十二指腸潰瘍にはならないかな(^^ゞ


またどうでもいい話を書いてしまいました<(_ _)>

あ、少しまともな話を。

コンクールが9月に終わり、大田区吹奏楽祭に出演したときの話です。
普通は顧問の玉井先生が指揮をするはずなんですが、なぜかそのときは私が指揮をして、
「ディスコ・キッド」とF.マクベスの「聖火と祭り」をやったのです。

翌年1978年の新入部員から
「あの演奏を聴いて、雪谷高校の吹奏楽部に入部したいと思いました」と聞いたときに、すごく嬉しかった覚えがあります。

自分が現役のときには、中学生ばっかりの「大田区吹奏楽祭」に高校生の自分たちが出るのは乗り気ではなかったのですが、自分たちの演奏がだれかの心に届くことがあることがわかって嬉しかったですね。

でも、1978年はコンクールに出場しませんでした。
そのお話しは別の機会に。

それではまた。
Mahalo!

いいなと思ったら応援しよう!

Flute Papa この記事がお気に召しましたらサポート頂けますか? いただいたサポートはよりよい記事作成に役立てさせて頂きます( ̄^ ̄)ゞ