二十年に一度の奇跡《創作大賞2025》
20年ぶりに新紙幣が発行された。お祝いムードの中、今日子の元に新札が巡ってきた。くれたのは密かに好意を寄せるバイト先の先輩年下男子の巽くん。思いがけず巡ってきたお札によって自分の欲しいものに気づいてしまう。いつも自信がなく恋にも臆病な今日子は、一歩踏み出してふたりの居場所を作りたいと願うけれど…。整っている巽くんとの距離はなかなか縮まらない。なんのはなしですかと戸惑い進む巽くんと今日子さんの物語。
第1話 北里さんと野口さん
薄い紙越しに彼を見つめている
見ていることに気づいているのかな
会ってみたいけど恥ずかしい
だから もう少し このままでいよう
2024年 7月
「今日子さん。新しいお札もう見ましたか。」
新札が発行されて1週間が過ぎた頃、バイト先の先輩である彼がフロアにくるなりこう言った。新しいお札とは二十年ぶりに発行された新紙幣のことで、一万円は渋沢栄一、五千円は津田梅子、千円は北里柴三郎とデザインも刷新され、銀行の窓口やATMには連日新札を求める人達の列ができている。
「巽さん 」
巽 一樹 さん、心の中では “たつみくん” と呼んでいる。
「私ですか。新札、まだ見てないです。」
その答えを聞いて巽くんは思ったとおりといわんばかりの顔をする。
「巡ってきたんで、後でみせます。」
「えっ、すごい!もう巡ってきたんですか。嬉しい、見たいです。」
新しいお札には3Ⅾのホログラムが施され、どの角度から見てもお札にデザインされた肖像画と目が合うんだと、同じくバイト先の降谷さんがさも見たかのように言っていたのを思いだす。その時、降谷さんの話を聴きながら、“目が合うってことは向こうも見てるってことだよね” “見つめ返してくれるんだったら·····” なんて考えて、降谷さんの横で楽しそうに話を受ける巽くんに意識だけを向けていた。今だって目が合わないことを確認したくはなくて、もし目が合ってしまったら合ってしまったでなんだか恥ずかしく思えて、巽くんに返事をしながらも俯いてしまう。
「じゃあ、あげますよ。」
頭に響く巽くんの言葉に驚いて顔を上げる。
" あ ・ げ ・ ま ・ す "
“お札を、くれる。”すごい破壊力だ。
物をプレゼントされるとか、ジュースをくれるとか、そんな経験は沢山でもないけどある。でも、何かの対価とかでもなくて、クラウドファンディングみたいに応援してますとかでもなくて。家族や親戚でも、お正月だから、とかお小遣いだからとか、たまにあったからとか理由があって。何か買いなさいとか、貯金しなさいとか目的があって。
お札をもらうってそんなとき。純粋にお金をもらったことなんて今までにあったっけ。
バイト先の先輩後輩で。年上だけど、後輩の私に。“あげます”ってどういうことだろう。
「新しいお札嬉しいです。けど、いいんですか。」
あのとき、そんなに欲しそうにみえたかなと恥ずかしさも混じり合い、半信半疑で巽くんの様子を伺う。
「いいですよ。この辺みんなに見せてから持っていきます。またあとで。」
そういって巽くんは、「見てよ新札!」とフロアに入ってきた他のメンバーに新しいお札を見せるなり、すぐに輪ができてもう盛り上がっている。そんな様子を横目にひとり更衣室に戻り、もう一度、巽くんの “あげます”という 言葉を頭の中に響かせる。
うん、やっぱり私の聞き間違いで、きっと交換ってことだよね。思い直して旧札ばかりが入った財布の中を確かめる。諭吉さん、樋口さん、野口さん、お札は全部揃っているけど相手は誰か聞くのを忘れていた。
“あげます” がほんとに “あげます” なら千円かな。
ー 新札ありがとうございますー
ー私は野口さんをお渡しすればいいですか ー
そうショートメッセージを送ったら
ーはい。それでお願いしますー
と返ってきてやっぱり交換だったと恥ずかしくなる。
良かった、確認して。
それならば早くお返ししなくては、と財布の中から旧千円札を取り出してホールに戻ると、同じバイト仲間の真由が預かってるよと封筒を渡してくれた。
とても薄い紙の茶封筒。
グラシン紙のように輪郭がはっきり分かるわけではなく、絵や1000の文字がほんのり透ける程度の薄さ。
現金をそのまま受け渡すのではなく、また中のお札を出して確認するでもなく、ぱっと見ただけで、あっ、そうなんだと感じるぐらい。
現金の受け渡しという現実的で生々しさが漂う行為なのに、巽くんがくれたときの封筒が絶妙な薄さで、その気の利くところ、さり気なさに正直心を掴まれる。上司だったら、おっ出来るやつだな、と思うだろうし事実、職場では一目置かれてバイトをまとめるリーダーの役目を任されている。
いつも気の配り方が絶妙なんだよ、巽くんは。
もしかしたらなんて勘違いを恥ずかしく思う。
ええーっと、返すのに使う封筒は
確かこの辺りにいいのがあったはず
ここはお返しの封筒も同じぐらい薄いものをと、棚の中をゴソゴソと探す。よしっと業者からの伝票用封筒をみつけて財布から出してきた旧札を入れる。ほんのりいい感じに野口さんが透けてみえる。
「 お札、ありがとうございました 。」
自信たっぷりに渡した封筒を見て、巽くんは「コニシ商店」と軽く笑った。
部屋で薄い茶封筒に入ったままの北里さんを両手でもって眺めてみる。私が交換で渡したお札はどれだけの人を巡ったか分からないぐらい古いもので、封筒だって使いまわしだ。それに比べて巽くんがくれた封筒の中の北里さんは、きっとシワひとつなくピカピカしてるに違いない。
薄い紙の茶封筒にいれたまま、でも御札でも飾るかのように棚の上においてふんわり眺めては目をそらす。
休み明けのバイト先、すれ違い様に巽くんが言う。
「あっ、今日子さん、お札どうでした。」
「実は·····、もったいなくて·····まだちゃんと見てないんです。」
巽くんの顔を見ることができず俯いたまま答える。
せっかくの新札 "あげた"のに、あれから2日も経っているのに、感想ひとつなくて残念さが顔に滲み出ている気がした。
なんて気がきかなくてどんくさいのかな。
いつものことだけど、なんだか落ち込む。
薄い紙越しに彼を見つめる
目が合ったら 気づかれてしまうかも
新札が出回るまでは記念にしときましょう
巽くんはそういった
出回ってもきっとこの北里さんは使えない
たまにしか開かない手帳にふと短い文を書きこんでみる。なんだかポエムみたい。封筒のイラストを照れ隠しに添えて7月のページをそっと閉じた。
第2話 ふたりの梅子さん
新札発行から一か月が過ぎ、新千円札が普段の生活にお目見えすることが増えてきた。私のお財布の中にも野口さんに混じって真新しい北里さんが1枚入っている。けれど巽くんにもらった一番最初の北里さんは、封筒に入れたまま大切に飾っている。そんなある日、始業前に巽くんがやって来た。
「今日子さん。五千円の新札はもう見ましたか。」
そういえばまだ見てない。回りで見たという話も聞いてない。
「まだまだです。」
そう答えた先にいる巽くんはにんまりと口の端を上げ弾むような声で言う。
「今日巡ってきたんですよ。あとであげますね。」
「わぁ!ありがとうございます。」
巽くんにつられて即答する。
けど、良かったのかな。
初めての新札、偶然舞い込んできたら私はきっと珍しさで財布の中、使わずそのまま入れておくだろう。巽くんはこんなにすぐ手放していいのかな。
休憩の終わり際に巽くんが直接持ってきてくれた。
「はい、これ。もうそのまま渡しますね。今日もらったとこで新札じゃないですけど。うん、折れてない、キレイです。」
なんでもコンビニでお釣りで貰って、うおーっ、と嬉しくなったんだとか。手渡してもらった新しい五千円札は降谷さんの言ってたとおりで、梅子さんの肖像が入ったホログラムがいろいろ角度を変えてみてもこっちを見ている、手毬もキラキラと光っててキレイ。上に持ち上げて透かしてみながらそんな感動を伝える。
「巽さんはしっかり見ましたか。私が頂いてほんとにいいんでしょうか。」
「大丈夫ですよ。新札にはそんなに興味ないですし。これから出回ってきたときにまた見ます。」
「だからこれは今日子さんにあげますね。」
また、あ·げ·ま·す 、だ。
家でまだ封筒に入ったままの北里さんを思い出す。あのとき、どうして本当にくれると勘違いしてしまったのだろう。新札を譲ってくれることにお礼を言って「あとで交換でお返しします。」と付け加える。
「いつでもいいです。」
その返事を聞いて、今日は一万円をお財布に入れてきていて、崩さないと交換するお札がないことに気がついた。巽くんの言葉に甘えて後日とさせてもらうことにする。
帰り道、買い物で寄った先のセルフレジに一万円札をゆっくりと投入する。
『どうかキレイな五千円が 出てきますように』
願いが通じたのか、機械からシュッと出てきた五千円はシワひとつないキレイな梅子さんだった。
今、手元には二枚の新五千円札、二人の梅子さん。
巽くんの梅子さんと
わたしの梅子さん
同じ日の梅子さん だけど違う梅子さん
両方AAから始まる番号、ピカピカの第一刷目。将来価値があがるかも知れないから手元に置いてた方がいいんだと降谷さんは言っていた。それにゾロ目みたいで運だっていい気がする。こんな幸運独り占めは出来ない。AAがふたつ並んだキレイな梅子さんの1枚は巽くんが持っていて欲しい。
でも、どっちを。
これが本のようにれっきとした所有物なら、別ルートで手に入りましたと頂いたものをそのまま返すのが当然の流れというものだけど、お札って誰のものってわけではないわけで。このお札に関しては『今日子さんにあげます』と私のものになったお札なわけで。それをそのまま返すのはせっかくの好意を無にするよう。
巽くんに新札の五千円を譲ってもらって代わりの五千円を渡そうと思ったら私の元にも新札が巡ってきた。お札だけを渡してしまったら、きっとそのまま返されたと思われる。『私も手に入りましたので』と言ってしまうと、渡さなくてもよかったかなとガッカリするかも知れないし。
ここはやっぱり交換がいい。
ゴソゴソと封筒の入った引き出しの中を探してみる。
うん、これがいい。中身が透けて見えない厚い紙の封筒を取り出した。それに厚いクラフト紙でできたメッセージカードをつけよう。サッパリしてて分量もちょうどよく、メモして渡せば誤解もきっとないだろう。
┌ ┐
巽さん
金曜日、帰りに買い物したら
おつりで私のとこにも巡ってきました。
梅子さん 交換でお返しします。
└ ┘
メッセージ、あっさりしすぎてるかな。
よしっ、と梅子さんのイラストを描き、それに『ありがとうございます。』と吹き出しをつける。
ついでに『似てませんねぇ』と書いて、まる『よ』とサインを入れる。
横手 今日子
苗字のまる『よ』
分厚い封筒に入れたら恥ずかしくもない。
イタズラを仕込んだようでワクワクする。そんな気持ちも悟られないよう、あっさりさりげなく手渡した。
「あっ、今日子さん」
次の日、巽くんがすれ違いざまにいう。
「お手紙もありがとうございます。」
お手紙だなんて…
落書き付きのメモにも丁寧にお礼を言ってくれる。
「ありがとうはこちらの方ですよ。」
そう言って軽く頭を下げる。メモは我ながら子どもみたいと可笑しくなって俯いたまま頬がゆるむ。
「良かったら、LINE交換しましょう」
ええーと、
交換ね、交換。.… こ · う · か · ん !?
落ちつけ今日子。落ちつくのよと、口元は一気に緊張する。
シフト調整はショートメッセージのやり取りだけど、こういうやり取りはLINEの方がいいのかも。巽くんは律儀だからへんに手書きのもの渡して気を使わせてしまったように思うけど、LINEを交換できるのはうれしい。
一呼吸おいて「いいですよ。」と顔を上げて答えると、巽くんは「じゃあ、あとで!」と言ってホールに向かった。
「今ですよ。」
他のバイトメンバーが交替で少なくなったその隙に、巽くんがスマホを持って来てくれた。早くしなくちゃと焦る私はスマホを手にまごついてしまう。
「ここの、このマークからQRコード読み取って、あとは" あ "でもいいから送って下さい。」
教えてくれた通りに操作して、慌てて " よ " と送る。
横手の 『よ』
交換 交換 交換しただけ
交換して何日も経つのに
トークルームに『 よ 』 だけが浮いてる
交換ならフィフティ フィフティ
なのに巽くんの水槽の中
ポチャンと入ってしまったよう
入った拍子に泡ひとつだけ
もう泳ぎ方も忘れてしまって
いまにも消えてしまいそう
一向に新着の入らないトークルームを覗きにくるのはこれで何度目なんだろう。なんだか可笑しくなってきた。こんな状況面白すぎる。そうだ、と思いたって巽くんに一文字ずつメッセージを送っていく。
『 ろ 』
『 し 』
『 く 』
トークルームに、縦に
よ
ろ
し
く
と並んだ。
よし、完成。ミッションコンプリート。
ああ、スッキリした。やっぱり水槽のようで意識しちゃうけど気にしない。
私はこんな魚です、そんな気持ちを込めてみた。
第3話 水槽の中で
ぽちゃっ と入った水槽の中
すすっーとひとりでひと泳ぎ
ああ、気持ちいい
横手の“よ” から縦に “よ·ろ·し·く“と並んだトーク画面を見て、よしよし、フフフッ、とくすぐったい気持ちが込み上げる。巽くんからメッセージが来ることへの期待から一転、お願いだからメッセージ来ないでよね、そんな思いで打ち込んだ。
やった。巽くんからトークされずに完成、完成。
ひと呼吸してから次を打ち込む。
ー
トークルームに”よ"だけの状態が
面白くてふざけてしまいました
おともだち 考え直すなら今ですよ
今日も おつかれ様でした
おやすみなさい
ー
トークに 午後 10時29分 と表示される。
夜のLINE、時間ギリギリ セーフかな。
画面にもう一度目を向けたそのときだった。
ピッコン
わ わ わ っ。どうしよう。巽くんから返信来ちゃった。
tatsumi
ー
お疲れ様です
お返事しなくて申し訳なかったです
シフト休みか休前日が良いかと思いまして ;
今後ともよろしくお願いします
ー
ー
全然、
よろしく 思いついてしまって
遅い時間にゴメンなさい
個人的にとても楽しかったです
精神年齢低いのバレました
フランクにどうぞ( .ˬ.)"
ー
tatsumi
ー
ありがとです
またバイトの愚痴とか いい合いましょう
よろしく、来た瞬間は…
彼女放ったらかしにしたみたいで焦りました^^;
ー
"彼女さん”怒らせちゃったりすることあるのかな。
あ、そもそもこの時間帯、彼女さんとのLINEタイムなんだろうか。交換しただけなんだからと自分に言い聞かせながらも少し期待して次を打ち込む。
ー
”く"のあとに"❤”をつけたら
怖くなかったでしょうか
それもある意味 こわいですね
ありがとうございます
改めてよろしくお願いします
ー
tatsumi
ー
︎"❤”ありがとうございます
嬉しいですよ
いつでも気軽にLINE下さい
ではおやすみなさいzzz….
ー
最後は スタンプ 送りあって” どもども ”とご挨拶。
ちょっと 水槽の中 ひと泳ぎ。
ちょっと ドキドキ 楽しかった。
他の水槽にはどんなお魚さんたちがいるんだろう。
彼女さんはきっときらきらキレイなんだろう。気になるような 気もするけど気にしない。私だっていつもは自分からLINEしない方だしエサをじっと待ってるなんて侘しくてイヤだ。なるべく水槽の中にいること忘れていよう。
このトークルーム、巽くんにはたくさんある中のひとつだとしても、私にとって特別な場所になればいい。でも、そんな気持ちはまだまっすぐ見つめることなんてできない。
交換 交換 交換しただけ
から ..…1歩進んで..…
ラインのお友だち 増えました
そのくらいの軽い気持ちで
すすっーと泳ぐ
その方がきっと面白い
翌朝、目覚めてからもすすっーと泳いで気持ちいい、そんな心地よさだけ残ってる。あれは夢だったんだろうか。昨夜はトーク出来て楽しかった。
更衣室の鏡で浮き立つ気持ちと弛むほっぺを整えてからホールに向うと、いつもと変わらない日常が目に入ってくる。巽くんはいつだってみんなの中心、遠い存在に感じる。
そうだった。
私はいつもひとり、みんなと混じりあえずにいた。
物心ついた頃からずっとそう。空気というか、濃度というか、透明の分厚いガラスに隔てられ本当には誰とも混じりあえずに今まできた。
就職だって一度したけど、やっぱり違和感しかなくてやめてしまった。何もしないと本当にひとりぼっちの気がして、ここは1年経ってやっとみつけたバイトだ。
派遣でもなくアルバイト、主婦のパートさんに混ざって日中のシフトに入っていたけど、そこでもひとり。
やっぱり日中は何かひとりでもできること、自分の居場所を見つけたいと夜のシフトにかえてもらった。
巽くんは学生で昼間は学校に通いながら、やりたいことを叶えていくために夜バイトしている。きっと昼間も人気者なんだろう。時折、学校の友だちがきたと接客時に賑わっている光景も目にする。
新しく夜のシフトに入った私のような地味なタイプでも馴染めるよう気をかけてくれるようなひと、人気がないわけがない。
「ありがとうございました。」
声のする方をパッとみると、いつもスッと伸びた背筋を腰から曲げて笑顔をゆっくり上げてみせる巽くんが目に入った。
凛とした佇まい、いつもおサムライさんのようだと思う。上下関係もしっかりしてるのに格上のような存在感で頼りにされる。時には厳しく注意する役割もしっかり果たすのだけど、指導するところと相手の裁量に任すところの切り分けがまた絶妙で、いつもふんわりとした間合いの中、収まるとこに収まっていく。
私の中では、自信がなくてつい丸くなる背中をシャキッと伸ばしたくなる、いつも勇気をくれるひとだ。水槽の中 一緒に泳いで楽しかったのは私だけがみた夢だったのかもしれないと思いながらちらりとだけ見た。
おサムライさんからLINEはこない
ワタシだってLINEをしない
上手く泳げないのは今までどおり
溺れないように日常を送る
それだけ それだけ それだけのこと
あれは真夏の夜の夢、秋の入り口はもうすぐそこだ。
第4話 囲む会
一週間、二週間経ち、一か月、二ヶ月と変わらない日々が過ぎていく。やっぱりメッセージのやり取りなんかなくて、その状態を当たり前と受け入れることができた頃、ピッコン とLINEに通知がきた。
tatsumi
ー
ああ、しまった
先に連絡してからグループ
お誘いした方が良かったですね ;
ー
ん、なになに。グループってなんのこと。通知をみると夜のシフトメンバー全員のLINEグループに招待されていた。私だけじゃない、みんな巽くんの水槽の中だったことを知って友だちになった気になっていたことが恥ずかしくなる。
tatsumi
ー
降谷さんが就職のため今月いっぱいとなりました。
送別と今後の結束のため有志で食事にいきませんか。
お店の候補送ります。
厳選な結果で持って決めたいので、ひとり2つ
希望を個別のLINEでお知らせ下さい。
よろしくお願いします。
ー
そのトークに続いてグルメサイトのお店情報が送られてくる。
1、2、3
・・・4、5、6
・・・・・・・7、8
8店舗、ただ丸投げじゃないことは見れば分かる。
焼き鳥店だけでも、駅1つ前、駅ひとつ先、庶民的なチェーン店から創作居酒屋まで揃っている。その他にもイタリアンに欧風料理に和食店。巽くんはお酒飲めないって言ってたから、良かったお店じゃなく良さそうなお店を一生懸命選んだんだろうけど、それを感じさせないスマートな気配りにはいつも感心してしまう。
グループのトークルームに、皆さんはじめましてのご挨拶を送って、巽くんとの個別のトークルームには2度目ましての挨拶をする。
ー
魅力的なお店ばかり
たくさん候補ありがとうございます!
第一希望 8 第二希望 2 です
同率ならリーズナブルな方が希望です
よろしくお願いします
ー
なんかちょっと楽しい。どこのお店になるんだろう。締切後、集計結果がグループルームに上がる。
tatsumi
ー
集計結果です
1位 候補8 7票
2位 候補2 6票
3位 候補5 3票
4位 候補 7・4 2票
最終投票 8 と 2 どちらかを
また個別にお知らせ下さい。
よろしくお願いします!
ー
おおっ、第一希望、第二希望
ドンピシャで嬉しい。
ムフフの気分でまたふざけてしまいたくなる。
ー
8 でお願いします!
初めから決めてました( ˶ˊᵕˋ)/❀
ー
tatsumi
ー
受け付けました!
告白みたいに言って頂きありがとうございます。
ー
そのあとはまたグループルームで結果発表される。
候補8の炉端焼き店『Rogiura』に決定した。
次の日、巽くんが案内を一人ずつ配っていく。
┌ ┐
降谷さんを囲む会
-ずっと囲っていたかった!-
10月31日木曜 18時30分~
場所「Rojiura」QRコード参照
会費 5500円( 当日 )
ハロウィンコスプレ参加 大歓迎(ウソです)
└ ┘
「コスプレって。しかもウソって。」
思わず笑ってしまう。
「コスプレはするよりみたい願望あります。でもコスプレ縛りにするとキャンセル多くなりそうだから。」
「でもここの制服、今日子さん似合ってますよ。」
時々、巽くんはドキッとするようなことを真顔でいう。その度に私はぎこちなくいつも俯いてしまう。
「…ありがとうございます。スカート苦手なのでここの制服パンツなの、嬉しいです。」
「パンツ姿、似合ってます。じゃあ月末に。」
火照る顔を隠すようにして案内を二度見三度見する。
「あっ、今度の送別会?」
不意に声をかけられて上ずった声で答える。
「真由。そっ、そういえば真由は案内のライングループ入ってなかったね。月末はどんな感じ?」
「ワルいけど、私はパス。学生といっても私は服飾デザインの方だし今度の課題提出に賭けてるから。ここのお店、学生もOLも来るからファッション観察には持ってこい。制服もかわいいしね。」
とニヤリと笑う。
さっきのやり取り聞いてたかな。
ほんと、巽くんは女の子の扱い慣れてそうでいつもドキマギして困ってしまう。そんな様子は気にも止めず真由は続ける。
「今日子も断るタイプだと思ってたから行くの意外。彼の誘いだから?」
「違う、違う。降谷さんだから。」
降谷さんは昼のシフトだったとき、バイト終わりにお客さんとしてそのままお店でデザートの注文してイラスト描いてるのをじっと見て、お店のポップ描くようチーフに薦めてくれた人だ。夜のシフトにだって引っ張ってくれて、そのおかげで少し馴染めた気もする。
「イラスト認めてもらったから。恩があるの。」
「そっか。今日子センスあるよ。色使い、服飾にも参考にしたいもん。そろそろイラスト本気でやってみたら。」
真由は真由でストレートにいいとこ誉めてくれるし、なんだか今日は参っちゃう。
自分を信じてデザインの道に進む真由も眩しい。
これから社会人になる降谷さんも眩しい。
社会人から出戻りのバイトには眩しすぎる。
はあああーあ。
今日は頑張ってパンプキンフェアのイラスト書こう。カボチャを使ったシチューパイにプリンにモンブラン、パフェだって美味しそう。
んーーっ、お客さんがじっと眺めて選んだメニューを美味しそうに食べる瞬間が待ち遠しい。
さぁ、頑張って仕事だ、仕事。
*
それから2週間
パンプキンフェアも好評に終わり降谷さんを囲む会当日は、降谷さんだけが張り切ってコスプレしていた。
「降谷さん、マツケンサンバは濃いー。今日はハロウィンですよー。」
どこからかそんな声がして
「どうせなら職場の忘年会で使える方がいいだろ。」
降谷さんが答える。
「新入社員歓迎会ではまだ堪えて下さいよ。」
「我慢できるかなぁ。」
「ほんっと変態なんですから。」
会話が途切れることなく、笑いで目尻が潤いっぱなしの120分、降谷さんを囲む会が終了した。
「横手さん、イラストほんといいから頑張ってな。」
ふざけ倒した後の降谷さんの一言には本当に泣いた。
社会人になる降谷さん、励ますのはこっちなのに励まされた。いろいろあっても降谷さんなら大丈夫です。言えるような立場でもなく心の中でエールを送る。
最後に降谷さんから挨拶があって巽くんが締めて解散となった。
「二次会行く人お茶してかえる人、あとは自由です。
気をつけて。」
お店を出たあと、ふわっといくつかの固まりができて楽しそうにおしゃべりしながら動いていく。
途中まであとをついて歩いてみるけど、反対方向の駅の方が乗り換え便利だし、と思い直して踵を返した。
大通りから少し外れた脇道。
明日は新月かぁ。
月明かりはないけどいつもより星がきれい。
もう11月がくる。火照った頬にひんやりとした夜の空気気持ちいい。目線を上げて歩いた先の駐車場にジャケット姿の男性が目に入る。
「巽さん?」
「あっ、今日子さん。あれ、どうしてこっちに。」
「私、路線こっちからが近いんです。」
「よく分かりましたね。」
「だってほら、今日はスーツ着てどうしたんだぁなんて云われてたから。服装覚えてたんですよ。」
「そっか。そりゃあこうやって集まるときは服も気を遣います。駅まで送っていきますよ。」
「いいんですか。お煙草。ゆっくり吸われたら。」
「ん。いいです。お酒は飲まないんですが、昔から年上の人と遊ぶ機会多くって。煙草は吸います。」
そういって携帯灰皿に吸い殻を押し込んだ。
「じゃあお言葉に甘えて。よろしくお願いします。」
右側に立って歩き始めると困ったような顔をする。
「出来たらこっち側歩いて欲しいです。危ないから。
ちょっとかっこつけさせてくれたら嬉しいです。」
巽くんの左側を歩く。
右肩にかけたカバンが当たらないように左手に持つと変な感じがする。空いた右手は歩く度に前後に揺れてたまに巽くんの手に当たってしまう。なんだか上手く歩けない気がするのはさっきお酒を飲んだせいかも。
ふわふわした気分で、流れのままにおしゃべりしてあっという間に駅についた。
「送って頂いてありがとうございました。」
「こちらこそ、おしゃべりできて楽しかったです。えーと、今日子さん、今度オムライス食べに行きませんか。今日子さんのイラストほんと美味しそうで。オムライスのイラスト見てみたいです。僕オムライス好きなんですけど、今日子さん…好きですか。」
「はい、好きです..。オムライス。」
「じゃあ、今度、行きましょう。」
家に帰りついて、お酒の余韻を味わいながら巽くんのくれた新札をふんわり見つめる。
封筒に入ったままの北里さん
優しく目が合う梅子さん
梅子さんはきっと好きかも
北里さんはどうなんだろう
封筒の外 出会ってしまったら
きっともう目を逸らせない
10月は今日で最後。11月のページを開いて巽くんの言葉とオムライスを思い浮かべた。
第5話 本当のきもち
「じゃあ、今度行きましょう。」巽くんがそう言ってくれたからと心の中で前置きをしてメッセージを打ち込んだ。幹事役だけあってグループのトークルームには今日のお礼に感想に、ひっきりなしに通知が入る。いつも人気者の巽くんとふたりの時間が持てたことを不思議に思う。グループの方に一言お礼とスタンプを送ったあと、個人のトークルームにLINEする。
ー
今日はありがとうございました。
帰り送ってくれたことも、
オムライスのお誘いも、です。
楽しみにしています。
ー
tatsumi
ー
こちらこそ。
お話しできて楽しかったですよ。
今度、食べにいきましょう^^
ー
やっぱり本当だった、約束なんだとトークルームをじっと見る。浸るのもつかの間、グループルームにトークやスタンプが沢山入ってくる。
ほんとみんな仲がいい。
巽くんは二次会に行くのかと思ったらそうじゃなかったのが意外だった。一緒に帰りながら話した感じだと案外、私と似たタイプなのかな。
「人に合わせちゃうからよく思われるけどプライベート親しくなるとガッカリされちゃうこと多いです。」
そんな言葉を聞いたとき、巽くんに限ってって思ったけどよく考えると私もそうだ。相手が勝手にイメージ作り上げていて、いざ付き合いが始まるとお互いに気疲れするし楽しめなくてみたいなこと恋愛に限らず多かった。
巽くんは私にどんなイメージを持ってオムライス誘ってくれたんだろう。
1·2·3·4·5、5つは年が上の私に。浮かれてはダメという気がしてくる。
封筒に入った北里さんの表情をみたかった気持ちに蓋をしてそのまま棚の上に戻す。でも気になってなんだか落ちつかない。
そうだ、明日11月1日は新月だった。
no+eというプラットホームで人気があるAhoraセグントさんの新月メッセージを思い出し「大切なメッセージ⭐」としているマガジンから記事を開く。
Ahoraセグントの新月メッセージ
─30日に一度巡ってくるニュームーンの星詠みー
蠍座新月 ほんとうのきもち
2024年 11月1日 21時47分ごろ
蠍座10度で新月を迎える
蠍座という星座のサイン
「破壊と再生」「生まれ変わり」
そして「魂と深くつながること」で、ズバリ!
「自分の本音と向き合うこと」
これが最たるテーマとなります。
蠍座は自分の本質と向き合うサインです。
本音を語っても大丈夫。
あなたが正直に本音を語れば語るほど
それが信頼に繋がります。
怖くても本音を伝えて
本心に従って行動して
勇気をもってあなたが本音を語った先にある
幸せな世界
星たちのメッセージは“大丈夫上手くいく”です
さらけ出す勇気は自分を信じる心から
お互いに嘘のないありのままの自分で共に生きる
そんな風の時代はもうすぐそこに
青セグさん、と涙ぐむ。Ahoraセグント(青セグ)さんの星詠みには今まで何度も励まされてきた。
でも嘘のないありのままで受け入れてもらえるなんて本当にあるのだろうか、そもそも自分の本音に向き合うなんて今まで意識したこともなかった。本音に向き合い勇気をだして行動する、さらけ出す。そんなこと私にできるのだろうか。
封筒にいれて大事にしまったままの私に。
何も直視できない私に。
でも…
ふと胸に手を当てると、まだドキドキと鼓動を感じる。頬だってほんのり温かい。上気しているのは今日飲んだお酒のせいだけじゃない気がする。
私の本音って….。
窓を開けてほとんど光を放っていない月を眺める。
冷たい空気が火照った身体に気持ちいい。
目を閉じて暗闇を感じてみる。
身体の中心は赤くて温かいような気がした。
今日は巽くんと一緒に帰れて楽しかった。
オムライスのお誘いも嬉しかった。『私は一緒にオムライス食べに行きたい。』今日の思い。うん、これは本音で間違いない。『明日もバイトで会えるのが楽しみ。』うん、これもそう。でも伝えるのは恥ずかしい。今は自分に自分の気持ち認める段階。まずはそこから始めてみよう。
第6話 心の扉
内開きの心の扉
中は暗くてひとりぼっち
鍵をあけ少し開いて様子みる
ノックの音はもう聞こえない
夢を見た。
少し開いた扉から巽くんが入ってきて笑顔で言うの。
「今日子さん、オムライス食べに行きましょう。」
ほんとは夢なんて見ていない。スマホを眺めて眠れない夜が続いている。
「じゃあ、今度行きましょう。」
何度脳内で再生したことだろう。LINEを開いて『なんのはなしですか』と問いかける。あれから一週間経つのに、“今度”のお誘いは入らない。
そうだった。
巽くんは自分からはLINEをしないおサムライさん。
バイト中だってそんな話にならないしこのまま今度なんてこないのかも。
そういえばLINE交換したときだって全然メッセージこなくて『よ·ろ·し·く』と送った後でやっときたメッセージは『彼女放ったらかしにしたみたいで焦りました ; 』だったっけ。
これは間違いない。このまま待っててもなんにも始まらないパターンだ。
気がつけばトークルームを見てしまう。
いけない、いけない。
青セグさん…とまた新月メッセージのサイトを開く。
+ +
怖くても本音を伝えて
本心に従って行動して
勇気をもってあなたが本音を語った先にある
幸せな世界
+ +
私の本心、私はどう思ってどうしたいの。
今までの私はどうだった。今までと同じでいいのと自問自答が続く。自分から行動に移すことのない私はいつも相手任せの浅い交友関係しかない。淋しさも少しはあるけど自分から行動したら戻ってこれなくなってしまいそうで怖い。傷つきたくない臆病者だ。
相手にばかり行動を求める私はずるいのかな。巽くんとはフィフティフィフティ、対等な関係を築きたいと思ってる。『よ·ろ·し·く』って送ったときもちゃんと返してくれたから勇気を出して自分からLINEしてみたら何か変化訪れるんだろうか…。
うん、決めた。LINEする。自分からする私に変わる。
なんてことないメッセージなんだから。
ドキドキしたりしないんだから。
ー
こんばんは。
先日聞き忘れてました。
オムライス
どこかお気に入りのお店ありますか。
ー
tatsumi
ー
こんばんは。
前に好きだったオムライスあるんですが
今はやってなくて。
良さそうなお店探してみます。
ー
勇気を出して送ってみてからわりとすぐに返信がきてホッとする。でもお店選び降谷さんの送別会でも巽くん、候補を沢山挙げてくれてた。きっと巽くんのことだからオムライスのお店もたくさん調べてくれそう。だけどあんまり気を遣わせたり負担はかけたりはしたくない。
ー
沢山調べてくれそうな気もしますが
良さげなお店にふらっと入ってみるのも
楽しいかも知れませんよ。
ー
tatsumi
ー
ふらっと。いいですね!
じゃあまた良さげなとこあれば行きましょう。
ー
あっ、また“今度”のパターンに嵌まってしまった。
もしも…同じ気持ちならいつ会うかそのお誘いはして欲しいから、そこには触れず毎日ラインする口実を探してしまう。家にいても外にいても。そうしてる間も巽くんからのメッセージはこない。
今日も何もないんだろうな…。
そう思いつつどこかで“今度”を期待して浮き足だってる自分がおかしい。お洋服どうしようなんて早くに家を出てバイト先1駅手前でおりる。
駅の拡張工事で高架下のお店が軒並み撤去を余儀なくされたこのエリア、立ち退いたお店が続々と移転オープンし始めた。再開発も一緒に進めているんだろう。今までなかったお店もちらほら見てとれる。
あっ、ここ新しいお店だ。
表の看板にはパスタとオムライスのランチメニューがズラリと並ぶ。中のライスはバターライスかチキンライスが選べ、ソースもプレーンなケチャップからビーフシチュー、デミグラス、アメリケーヌ、ホワイトなど10種類近くもある。パスタはフィトチーネタイプのみだけど種類はやっぱりたくさんある。巽くんとのオムライス、このお店いいかも。美味しいのかな。
カラン、少し高い音で扉についたベルがなった。
チーク材とサイフォンで立てた珈琲の落ち着いた薫りに似合わずソワソワと店内を見渡す。12時半、もう出口近くの席しか空いてない。メニューとその価格帯までしっかり見て「パスタ、アメリケーヌソースでお願いします。ドリンクは食後に珈琲を。」と注文する。
パスタにしたのはオムライスは一緒に食べたいから。瞳の形をしたような白い器の真ん中に盛られたフィトチーネの生パスタはもっちりしていて見た目以上にボリュームがある。
うん。美味しい。
温かいうちに食べたいのでスマホで撮ってから記憶するようにゆっくり味わう。珈琲の香りごと味わいながらあとでスケッチブックに描いていく。
店を出た後はお気に入りのショップで小花の入ったトレーナーを見つけた。黒にデイジー、甘すぎないけど可愛い。今日はいいとこ見つけちゃった。
5日ぶりだし、今日はいいよね、ラインしても。
ー
こんばんは。
お店情報です。
オムライスのいいお店見つけました。
今日はパスタを頼んでみましたが
モチモチしてて美味しかったです♪
ー
お店の写真とスケッチを送ってスマホ画面とにらめっこする。
tasumi
ー
返信遅くなりました。
良さそうですね!
今日子さん今度連れてって下さいね。
ー
巽くんからはまた“今度”。私は誘って欲しいんです。
でも『いつにしましょうか』がどうしても言えない。だって年が上だし、だって巽くんはこれから社会に出る人だし、だって、だってといつだって、私の心は臆病風に吹かれている。
それからも何度かお店を見つけてはラインする。
巽くんは返信ひとつするにもすごく気を遣う人なんだろう。それは言葉選びから感じとれる。だから余裕のないときは既読になるのも遅くなるのかも。返信に気を遣わせないようなことしか送らなくなったらトークルームがポストみたいな独り言、つぶやきばかりになってしまった。
降谷さんの送別会から1ヶ月が過ぎ、お店の定休日がやってきた。巽くんと一緒に帰ってから1ヶ月。
巽くんと一緒に来たかった、そんなことを考えながらカランとお店の扉をゆっくり開ける。夜はパスタとオムライス以外にピザやアラカルトメニューがあるのかと昼間の時とは違うメニュー表を開く。一緒に食べるならピザもいいかも。注文してみた美味しそうなピザを目の前にして、熱々でパリッとしたこの生地の感じが、一緒に食べたい気持ちと一緒に伝われば、なんて今の私のリアルなトークを送りたい気持ちがムクムク沸き上がってきた。
巽くんにも『いいですね、僕も食べたいです』なんていう気持ちになってくれたらなんて思ったのに、ついに、既読は翌朝まで付くことがなかった。
第7話 長い夜が明けて
もう朝だというのに気分は真っ暗、闇のなか。
昨日は巽くんと一緒に行けたらいいなと思ってたオムライスのお店に夜1人で行ってみた。一緒に行きましょう、そう言ってたの思いだしてくれるだろうか、いいお店ですね、今からでも行きたい、そんな風に思ってもらいたくて出来立てのピザの写真を送ってみた。
巽くんにLINEをしても既読つくまでに時間がかかったり翌日になることだってあったけれど、それは送る時間帯が遅いからだと思おうとしていた。でも昨日はお店からLINEしたのは夜の7時すぎ。寝てるなんてことはない時間。いつ返信くるかな、どんな反応してくれるだろうと何度トークルームを見たことだろう。
長い長い夜だった。11時近くなってもう今夜は既読にならないだろうと諦め気味にトークする。
ー
朝からピザ画像は重いですね ;
返信は不要ですよ。
ー
寝不足で迎えた朝、もうLINEだってみたくない。
昨日の夜、既読にならないメッセージだけじゃなく今まで巽くんに送ったメッセージも読み返して、こんなのちっとも私らしくない、無理してたんだと気づいてしまった。返信不要ですよ、なんてウソばっかり。それに巽くんを付き合わせてしまってたんだなと恥ずかしさがますます自分を惨めにする。気分も身体も重いなかでも、いつもと変わらず5分おきに目覚ましのスヌーズが鳴る。それを止めるのも億劫となってようやくベッドから起きだした。
外から差し込む朝の柔らかい日差しに混ざるように立ち上る紅茶の香り、ヨーグルトのすっきりとした酸味でようやく少し気持ちが落ち着く。
そうしている間もすぐ横にはスマホを置いてある。
そしてLINEの通知を見てしまう自分がいる。
あ、巽くんから返信きてる。
駆け引きなんて出来なくてすぐに既読にしてしまう。
tatsumi
ー
おはようございます!
昨夜はブラックフライデーで
ネットサーフィンしてました。
朝ピザ大丈夫ですよ!
1人で夜お店行くって今日子さん強メンタル☺
ー
読んでああ、ダメだと、実感した。
もうこれ以上は頑張れない。
どう返していいか分からないからそのままにしてみるものの、既読にならずにソワソワした次は、返信してないことにソワソワしちゃう。
巽くんの返信を読み返しては、既読つけずに放置ってどっちが強メンタルですかと文句のひとつもいいたくなっちゃう。けど、せっかく返信くれたのにこのままにしておくのも失礼かなと、それはそれで落ち着かなくて、やっとお昼にトークを返した。
ー
昼ピザも重いですね…。
実は夜も1人じゃ重かったです。
持ち帰りさせてくれて良かった。
弱メンタルなったので
トークするの控えますね。
ー
送ったあとで1人うなずく。これで良かった。
トークルームは2人いて初めて明かりがつく場所だ。
真っ暗な中1人でいる場所じゃない。外に居場所をもとめずに私に出来ることは私の中を明るい場所にすることだけ。居心地のいい寛げる場所に。
私は何が好きで何がしたい。何もしなくたってそれもいい。とにかく今は自分を一番にして自分のこと大事にしよう。誰かにもらった好きじゃなくて自分の好きで満たしたい。
私の好きなもの、ううん、私の好きな人、それが分かっただけで今は充分。
今はそう。そういう段階。
無理して嫌いになったり諦めたりはしなくていいけど期待もしない。ただ好きいて、好きになれた自分が可愛いと思う、それでいい。見つめ返して欲しかった気持ちはそっと心にしまっておこう。
『弱メンタルなったのでトークするの控えますね。』
そう巽くんにLINEしてからも5日が経った。バイトでもまともに顔が見れてない。既読になったままで、返信も返信以外も巽くんからのメッセージは入らない。
連絡先を交換したとき、巽くんの水槽に入ったみたいと思ったけれど、魚が一匹いなくなっても探したりしないみたいだ。彼女でもなんでもないのに1人で拗ねて、ほんとの気持ちも隠したまんま変なメッセージ送っちゃって。
このままも変よね。説明だけ、説明だけは送っても変じゃないよね。
よし送ろう。こんな状態のままじゃ心が持たない。
覚悟を決めてこの前送ったトークに続ける。
ー
こんばんは。
この前は変なメッセージごめんなさい。
普段自分からLINEするタイプじゃなくて
返信あるまでのぼっち時間に
メンタル弱々になりました。
ブラックフライデーには負けるか_(._.)_
ー
そこまで送ったら気持ちが溢れてくる。
ー
一緒にお店に行きたい気持ちはありますが
自分から誘ったりは出来ないし
優先順位が上がったら連絡下さい
ー
そう打ち込んで、読み返そうと思ったら送れてしまった。ああああ!
ー
ちょっと待って~。
悩んでたら送れてしまいました!
今のは誤送信ですよ。
ー
そう送るけど、もう手遅れ。既読がついて巽くんからトークが入る。
tatsumi
ー
弱メンタルの原因は僕だったんですね。
気づかずごめんなさい。
ブラックフライデーには負けるか、には笑いました!
実はバイト掛け持ちしててオムライス誘ったものの
休みがほぼなく…。LINEもあまりするタイプじゃなく
申し訳なかったです。
ー
tatsumi
ー
来週水曜なら予定空きそうです。
一緒にオムライス行きましょうか^^🍴
ー
巽くんの返信に軽く混乱しつつ直ぐにトークを返す。
ー
LINEは優先順位低そうだと思ってました。
忙しそうなのもなんとなく。
でも朝までぼっちだと
私の優先順位が低いのかなんて
..…自爆しちゃいました。
私で良ければオムライス…行きたいです。
ー
tatsumi
ー
じゃあ、この前教えてくれたお店で。
待ち合わせは駅の改札前でいいですか。
11時半とかでどうでしょう。
ー
第8話 伝えあって
もうダメだと思い胸がギュッとなるのを堪えてLINEをしたら既読になってメッセージが来て、今、待ち合わせを決めている。上手く状況が掴めていないけど伝えておきたいことは、と考えてトークを返す。
ー
11時半。大丈夫です。
先にがっかりポイント伝えておきます。
いつも時間ギリギリの人で待ち合わせ
たまに遅れることがあるとかないとか。
なんか、回りくどいですね ;
待ち合わせ早めに来なくて大丈夫。
丁度の電車がなければ
時間過ぎてもいいですよ。
ー
tatsumi
ー
わかりました!
時間ちょうどに行きますね。
じゃあまたバイトとオムライスデートで。
ー
『オッ、オムライスデート?!』
“楽しみです“おやすみなさい”の文字が入ったスタンプを送ったけどデートという文字に胸がホワホワして何度も読み返してしまう。
顔を上げた拍子に目に入った棚の上の封筒をそっと持ち上げ透かしてみる。中の北里さんとなんだか目が合ったような気がして、それに笑っているような気がして自然に笑みがこぼれる。
封筒を戻した横には買ったばかりの来年の手帳。バイトのシフトはスマホに入れるので手帳は出番は多くない。もう予定も入りそうにないし買わないでおこうかと思ったけれど、落ち着きと華やぎが品よくブレンドされたようなラベンダーの色合いに惹かれてつい買ってしまった。
1月始まりの手帳にはスケジュールが上手く繋がるように前年の12月のページがついている。今年でありつつ来年の一部でもあるかのようなのりしろみたいな特別な一か月。その12月のページに記すはじめてのプライベートな予定ができた。真新しいページの11日水曜の枠にオムライスのイラストを描いていく。ケチャップは赤色ハート型。デートとは恥ずかしくて書けないけれどオムライスデートを意味して丁寧に描いた。
*
そして迎えた待ち合わせの日。
遅れるかもなんて伝えていたのにソワソワして落ち着かず30分も早く着いてしまった。先にお店を覗いておこうと駅から5分もかからない距離をゆっくり歩く。時間も早いし席は大丈夫そう、外から店内覗き見ているその時、巽くんから『遅れます』のLINEが入った。遅刻で慌ててる感じの様子がなんだかかわいい。『大丈夫ですよ』と返して時間もできたし、と他にオープンしているお店も見ようと辺りを散策する。お蕎麦に中華にハンバーガー、焼き肉店まで、お洒落なお店が目に飛び込んでくる。巽くんはオムライスの他は何が好きなんだろうなんて考えながらまた駅に戻った。
待ち合わせから10分遅れて巽くんが到着する。
「ごめんなさいっ。遅れてしまいました。」
「いいですよ。いつもは遅れる方なのでなんだか新鮮です。遅刻には寛大なんですよ。私。」
そう笑い合ってあらためて巽くんをみる。磨かれた綺麗なスニーカー、きちんとセットされた髪、いつもの整ってる巽くんそのままだ。それと遅刻して頭を低くしている様子のギャップが新鮮で親近感が湧いてくる。いつも落ち着いていて年下なんて気がしないのだけど、今はちょっとお姉さんになった気分。
「行きましょうか。」なんてお店までエスコート。だってこのお店もう3回目。一緒にくるのははじめてだけど。予定より遅れたけれどできて間もないお店には並ばずに入ることができた。
「ほんとに種類たくさんあるんですね。僕はドミグラスソースにします。」今日子さんはと聞かれて、プレーンなケチャップソースを選んだ。実は前にパスタを頼んだとき凝ったソースを選んで最後まで食べ切れなかった。いつも冒険してしまってあとから後悔する。巽くんは生活もいつも整ってる感じがして食べ物にも『定番』がありそうだと思う。
「オムライスが好きなんですね。」
注文を終えて待つ間、とりあえずと話題を選ぶ。
「実はうち、洋食屋だったんです。父親が作るオムライスが一番好きで。コロナで店も畳んだし一昨年他界してしまったんですけどね。あんなに好きでなん十回、なん百回と食べたのに、味覚も含めて感覚って残らないというかその時限りっていうか。誰とどこで食べたとか、美味しかったという思い出だけはあるんだけど。なんか無性に食べたくなるときあります。」
「あっ、そうそう。それで今日子さんのイラスト見たとき、なんか父親の作る料理思い出したんです。温かくて人を幸せな気分にさせるような。へんなお誘いでしたよね。今日はありがとうございます。念願のオムライスです。それと今日子さんのオムライスのイラスト、見てみたいです。」
とりあえずの話題のつもりが巽くん自身にいきなり踏み込んでしまった。そうしてる間にオムライスが運ばれてきて巽くんが笑顔になる。その笑顔ごとイラストに閉じ込めたい。
「私のイラストで良ければ。味わって食べて後でゆっくり描きますね。ふわふわ卵にソースたっぷり美味しそう。写真だけ先に撮らせてもらっていいですか。」
そういってオムライスだけを写真に収めてスマホをスプーンに持ちかえる。
「お店の雰囲気も落ち着いていて味も美味しい。満足です。いいお店、ありがとうございます。」
食べ終えてからの巽くんの言葉を聞いて、以前きたときもいいお店だと思ったけれど一緒に食べる今はさらにそうだと実感する。
「掛け持ちで忙しかったんですね。たくさんLINEしてすみませんでした。」
「そうなんですよ。僕こそLINEすぐに返さずスミマセンでした。」
自分から振った話題が重くのし掛かって下を向く。
「今日子さん?あっ、えっえっ。掛け持ちはホントにバイトですよ。今は付き合ってる人も他に仲良くしてる人もいません。来年は就職活動もあるし今はお金を貯めて、一旦は就職するけどキッチンカー持つのが目標なんです。今も掛け持ちバイトはキッチンカーで。お店と違って外で子どもたちにありがとう、なんて笑顔向けられるとたまりません。キッチンカーするときは今日子さんにメニューのイラスト頼みたいです。」
私はそういうあなたの笑顔が眩しいです、とは言わずに、上手く笑えてるか分からないけど顔を上げてから頷いた。
「この後はどうしますか。映画でも行きます?」
ちょっと考えてから答える。
「映画いいですね。なんか気になる映画はありますか?でも先にがっかりポイント伝えておきますね。近いか遠いかでいうと…近い方です。…緊張するとますます…。」
「あっ、わかったトイレですか?」
「はい。この間も観た映画が長くってラスト三十分は頭の中の半分それでした。いいところだと席立つタイミングも悩みますし。気心が知れててリラックスしてるとそうでもないんですけど今日はちょっと緊張してます。」
「分かりますよ。僕は食べるとおなか弛くなります。今日はまだ暖かいから映画はやめて散歩でもしましょう。お店でる前トイレに行きますか。お先にどうぞ。」
巽くんといると楽だなぁと手洗いの鏡に映る自分をみて、そして代わりばんこに席で待つ間に実感する。
一緒にオムライス食べることができて良かった。
第9話 答え合わせ
「じゃあ、行きましょうか。」席に戻った巽くんの一声に「はい。」と答えてカバンからあたふたと財布を準備する。
「もう済んでます。先に表に出てますね。ゆっくりで大丈夫ですよ。」
巽君は立ったまま、胸まで挙げた手のひらでにこやかに合図したあと出口に向かう。そのすっと伸びた背筋を追うように出した財布は手にしたままで席を立つ。レジに立っている店員さんに会釈しながら小さく「ごちそうさまでした。」と言って外に出たあと、もう一度、今度は巽くんにお礼を言った。
「お会計、いいんですか。」
『私の分払いますよ』という意思表示でお財布を両手で、胸の前で持ったままで巽くんに確認する。
「大丈夫です。女性と2人で出かけるときは基本出させません。でもたまに持ってくれたりすると嬉しいです。」
おサムライさんみたいに印象を持っていたけど、ほんとに古風で巽くんなりの礼儀作法があるんだろう。それに『デート』のつもりで今日は来てくれたんだとこそばゆくなった。
「じゃあ今回は甘えます。…ごちそうさまでした。」
次もあればいいというほのかな期待と一緒に財布をカバンに戻す。
「散歩はどこに行きましょうか。」
「ここからそう遠くない井の頭公園はどうですか。」
「一緒にボートに乗りますか。」と巽くんが笑う。
「そうですね…。寒いから行ってみて決めましょう。」
そう言って着いてみたはいいけど池にボートはでていない。
「今日子さん、水曜日、ボート定休日でした。」
“井の頭公園 ”“ボート”で検索した巽くんはそういったあとで楽しそうに笑いいながら言葉を続ける。
「でも、乗らなくて正解ですよ。ほらこれ。」
見せてくれたスマホの画面には『井の頭公園 ボートに乗ると別れる。』という記事が表示されていた。
「弁財天さんのやきもちだそうです。」
そうやって面白そうに話す巽くんに
「神様はそんな別れさせるようなこと、したりしないと思います。」
と言い切ったあとで付け加える。
「あっ、一般論です。神様はきっと懐深いです。」
別れるもなにもお付き合いもしてないんだから、むきになって変だったかなと恥ずかしくなる。そんな様子を気にも止めず巽くんは指を指した。
「あっち、弁財天さんにご挨拶に行きましょうか。そんな今日子さんのお願い事はきっと聞いてくれると思いますよ。」
社の前に立ち、お賽銭を入れて並んで手を合わせる。心の中で願いを唱えて上を向くと先に頭を上げていた巽くんがこっちを見ていた。
「今日子さん、睫毛長いですね。それにお願い事も。何をお願いしたんですか。」
こんな近くで顔を見られた上にドキッとするようなことを言うし聞く。何をお願いしたのかって答えはとっくに予想がついているはず。
「私からは言いませんよ。巽さんは何をお願いしたんですか。巽さんから先に聞きたいです。」
「きっと同じだと思うんだけど。」
そう言って余裕の笑みを浮かべる。はぐらかされているのか私が勘違いしているだけなのか。ずっとこんな感じでそれが少しもどかしい。
「話しながら、もう少し歩きましょうか。」
社の奥でお金に柄杓で水を掛けている参拝客が目に入る。
「お金..、あのくれた新札、大事に持ってます。ありがとうございました。」
「そんなに喜んでくれたんですか。」
「はい。嬉しかったです。巽さんからもらったことも。私にくれたことも。」
「そうだったんですね。あげて良かったです。今日子さんのこと、まだ夜のシフトに変わる前から気になってました。降谷さんが先に声かけちゃいましたけど。」
「降谷さんとは何も…。でも夜のシフトに変わって良かったです。皆さん、わいわいと楽しそうで、巽さんも色々話しかけてくれましたし。」
そこまで言って少し寂しさも込み上げる。そう、みんなわいわいと楽しそうで、巽くんはみんなに優しくて、私の入る場所なんてないんじゃないかと勝手に独り寂しがってしまうのは私のわるい癖だ。
「そんな風に思ってくれてて良かった。今日子さん、好意伝えるつもりで話しかけても、あんまり反応なかったから。あっ、でもLINEはよく送ってくれたから少しは興味持ってくれてるかなとは思いましたよ。」
ああ、そうだった。LINEだ。こっちだってLINEでは、巽くんにあまり反応してもらえなかった。
「LINEはあまり自分からはする方じゃないのに送ってしまって、返信来るまでの時間にメンタル弱っちゃいました。だからもう送らないようにしようかなと思ったところで、忙しいのに時間つくってくれたんですよね。なんか、ありがとうございます。LINEよりは会ってお話するほうが楽しいです。けどちょっと、なんでかなぁって少し混乱してます。」
そう、混乱している。巽くんがよく分からないときがある。好意を持ってくれているのかいないのか。もうちょっと分かりあいたい。広い井の頭公園を見渡してここにしておいて良かったと思った。
付き合い始めた後で釣った魚にエサをやらないことはあるかもしれないけど、釣ってもないのにつれない態度で、私は1人水槽の中に取り残された。親しくなりたくてしていることが逆効果でしかなくて。
LINEすることが迷惑なだけで、巽くんの負担になっているんだったらもう巽くんの水槽の中から出よう。捕まえにきてくれなかったらそれはもう仕方がない。面倒に思われるのはしんどくて、水槽の中息ができなくなっていた。さっきまで浮かれていた私の心はどんどん重くなって足取りも重く歩くペースも落ちた。
巽くんが振り返って言う。
「LINEは、ごめんなさい。わざとでした。」
“ わ · ざ · と ”
ああ、やっぱり面倒に思われてたと悲しくなった。
「今、大学もあってバイトも掛け持ちしてて夜もすぐ寝てしまうしキッチンカーの1日仕事のときはスマホも見ないし。時間的にも今、お付き合いする余裕はないと思ってたのが一番で。」
「あと前にお付き合いした方とはLINEのやり取りが多くてそれでお別れしてしまったことがあって。高校の時だったんですけど。受験を控えてるなかでお相手の方のご家族にスマホ気にしてる時間が多いと見咎められて、交際反対されたのもありますし、自分でもやっぱり今は進路決める大事な時だからと気を引き締めたかったのもあります。」
「あっ、他の女性の話ですみません。」と肩をすくめながらこちらを見た。
「だから今日子さんたくさんLINEしてくれて好意もってくれてるのかなと嬉しかった反面、待ってくれ、今は無理だって思ったし、たくさんLINEでやり取りしたいタイプの方だったらお付き合いしても続かないだろうな、と思ってました。」
あっ、なんかこれ振られちゃってる感じなのかな。巽くんはやっぱりきちんと整ってる。自分がまずしっかりあって、自分を律することができて、相手にもそういう方を望んでるんだ。でもだからといって、わざと、は傷つく。泣きそうになる。
「でも、今日子さんのLINE。あれはズルい。」
「優先順位上がったら連絡して下さいって。待って待ってって思って。ピュンピュンッて釣り糸引かれたらパクッてなっちゃいました。今日は来てくれて嬉しかったです。」
LINE送りすぎた自分も恥ずかしいしなんだか色んな感情が混じりあう。自分でも何から話せばいいのかわからないまま言い訳から口に出してしまう。
「LINEはごめんなさい。本当にあんまり自分から送ることないんです。」
「でも巽さんとLINE交換できて嬉しかったのと、ちょっと焦ってました。」
そう、私は焦ってしまった。まだ大学生の巽くんに比べて私はもう二十五歳を過ぎてしまった。ほんとは二十五歳までにお付き合いする人ができればいいなと思っていた。年を重ねれば重ねるほど結婚がちらついて、好きだけでお付き合いできる、恋愛できる時期って短い。
だから、好きだけで、純粋なお互いへの気持ちだけで付き合うことが出来る恋への憧れがあった。好きだけではダメなんだという巽くんは私なんかよりずっと大人だ。
「だって、わたし年上ですし。」
「今日子さん、いくつなんですか?」巽くんがイタズラっぽく笑う。
「干支は?」とさらに続ける。
「言いたくないならいいですよ。でも僕は今日子さん、いくつでも気になりません。かわいいですし。」
「僕は前からいいなぁと思ってましたが、今日子さんは、お札あげた時からですか?」
少し思い出しながら、巽くんを意識し始めた頃を懐かしんで言葉にする。
「わたしも前からです。まだお昼のシフトにいて夕方はお客さんとしてお店に残ってたときから。」
「あっ、ストーキングじゃないですよ。巽さん目当てで残ってた訳じゃないです。でも佇まいというかすっと姿勢もよくて声もよく通って自然と目にも耳にも入ってくるというか、すてきだなぁと思ってました。」
「夜のシフトになって、“今日子さん”って下の名前で呼ばれてドキドキしましたけど、みんな下の名前で呼んでるし、すごく女性の扱い慣れてそうで。ちょっとジゴロというかそんなイメージで。ダメダメ好きになっちゃと意識しないようにしてました。」
「でも下の名前で呼んだりも、職場の雰囲気良くしたりだし、気遣いもできて、仕事への向き合い方も真剣なの伝わってきて好感度高かったです。」
そんなみんなに優しくて気遣いができる巽くん、好きにならないわけがない。それに引き換え私はと、いつも自信がなかった。
「でも、やっぱり新札頂いて。はじめて巡ってきた新札って1枚だけで。それをくれるなんてちょっとはなんて思って、ますます意識しちゃうようになって。」
「“好き”を自覚しちゃいました。」
並んで歩いていた巽くんがこっちを見る。
優しい眼をしている。
その眼がちらっと上を向き一呼吸おいてから言った。
「言わんとこ、思ってたけど」
「今日子さん好きです。」
嬉しさが胸いっぱいに広がった。
外の寒さも気にならないけど、差し出されて繋いだ右手があったかかった。
第10話 優柔不断
昼下がりの井の頭公園を並んで歩く。
じんわりと伝わってくる手の温もりと感触。早くなった私の鼓動も手から伝わってしまいそう。
「今日子さん 好きです。」
その声が頭に響き、いつも以上に巽くんの顔をまっすぐにみることができなくて視線を落として歩く。でもその足取りは心と同じでフワフワと軽く弾んでいる。低い視線の先、わたしと同じように嬉しさで弾むように散歩する犬の姿が目に入った。
「あっ、あの犬。白くて頭がフワフワしててかわいいですよね。」
お互い黙ったままの時間がくすぐったくて気持ちは巽くんに向いたまま、照れ隠しのように唐突に話題を変える。
「ビション・フリーゼですね、今日子さん好きですか。というか、犬と猫なら今日子さんどっち派ですか。」
そう聞かれて私はどっちだろうとすぐには答えられず、あれこれ考える。
「ビジョン..フリーゼ?っていうんですか。あの白いモフモフしたワンちゃん好きです。犬はどっちかっていうと小型犬が好きですけど猫もかわいいですよね。」
なんて優柔不断な答えだろう。好きといいつつ名前も知らなかったし、他にかわいくて気になる犬もたくさんいる。猫だっていろんな種類の猫がいるけどたいていの猫はいつまでも撫でていられるような気がする。
「犬と猫どっちも好きですけど···もし自分がなるとしたら、····家猫です。」
巽くんちの猫になれたら幸せだろうと思う。いつもの整っている巽くんじゃないリラックスした巽くん。それを邪魔しないようにそっとすり寄って少し体重を持たせかけぬくもりを感じてみたい。ああ、でも犬になってこうしてルンルンして外歩きするのも棄てがたい。
「見た目は…大型犬の仔犬ですけど。小さいけど手足はしっかりしてる感じで·····。こう、スラッと背が高くなりたかったんですけどね。」
巽くんは大型犬でシェパードのようにキリッとしたイメージだ。そのとなりにはスラリとして頭もよく会話が弾むような素敵なひとが似合うのだろう。私が隣でいいんだろうかと思うけど、巽くんは気にするような様子もなく妙に納得したように独り言のように呟いた。
「なるほど···、仔犬ですか。」
そのあと、今度は私に語りかけるようにゆっくりと言葉を声に出した。
「僕はきまぐれな猫よりは安心感のある犬が好きです。それと小さい女性、タイプです。」
「だから今日子さんは僕の好みのタイプのひとで、今日も一緒にこうして過ごせるのも嬉しいですし、こうして会ってみた感想、“楽で心地よい”です。楽っていうとあれですけど、自分の弱点先に伝え合えるとかほんとめったにないことで、肩肘張らずにいられるというか。」
私は変わらず低い視線のままで巽くんの言葉ひとつひとつにコクリ と頷く。
私もそうだ。まずピンと伸びた高い背に目がいって、あとは声だったりひとつひとつのやり取りがくすぐったくて心地よい。リラックスしているかといわれたらそこは違っていて、まだドキドキが勝っている。
「お互い、そのままで大丈夫です。」
巽くんは少し間をおいてから言葉を繋いだ。
「良かったらお付き合いしませんか。」
“よ か っ た ら お つ き あ い し ま せ ん か ”
巽くんの声がゆっくりと頭に響いた。思わず顔を上げる。鼓動が早くなり上擦ってしまう声を押さえるように、気持ちを落ち着けながら言葉を返す。
「·····私で良かったら。よろしくお願いします。」
巽くんの顔を見上げた。巽くんは伸びをするように上を向き、深く息を吸ってからニッコリ笑った。
繋いだ手にぐっと力が入って握手のように握り合う。
「そんな今日子さんはサンタさんにクリスマスプレゼントの願い事をしても、弁天さまは やきもち 焼かないと思いますよ。」
「次はクリスマスプレゼント、一緒に買いに行きましょう。何がいいか考えておいて下さいね。」
優柔不断な私だけど、もしこうして巽くんと会えるのなら欲しいものはあった。でもうまくLINEでは伝えることができなかった。
「巽さんは何かありますか。」
巽くんはまたちょっと上を向いてからこちらを見る。
「LINEでまた相談しましょう。」
LINEはちょっと苦手になってしまったけれど、今すぐに言葉で伝えられる気もしないので、ちょっと考えてから改めて伝えることにした。
「あっ、今日子さんやきもち売ってますよ。」
東京やきもち。東京都の都立公園内の売店で人気のお団子。俵にたくさん刺してあるお団子たちにそれぞれ顔がついている。くるみ味噌・醤油・みたらし味の3種類が選べるようになっている。
「寒いから食べてあったまりましょう。今日子さんどれにしますか。」
白いお団子の一番上のお餅に少しずつ表情の違う顔がついている。少しとぼけたような顔をしてたくさん俵に立っている様子はジブリの作品『もののけ姫』に出てくる“こだま”みたいだ。
どの子にしよう。味はみたらしもいいけどくるみ味噌も気になる。うん、決めた、みたらしは口のまわりにつきそうだし。
「このお団子で、くるみ味噌 お願いします。」
「じゃあ僕も同じで2本お願いします。」
食べながら、巽くんがいう。
「さっきの悩んでるとこ可愛かったです。女性はよく悩みますよね。やきもちも女性の方が焼くこと多いような。」
「···でも、こんなかわいい顔じゃなくもっとおっかないですよね。やきもち焼くってよく分からないです。分からなくて面倒になっちゃうこと、ありました。」
また、前の彼女さんのことだろうか。前の女性の話を聞いても特になんとも思わない。やきもちってある程度対等じゃないとやける間柄にならないと思う。わたしと巽くんはまだ妬いたりするような段階にはなってない気がするけど、この先、やきもち焼いてしまうことも出てくるんだろうか。やきもち焼いて面倒に思われたくないなと思う。
始まったばかりの関係だけどもう失いたくない気持ちでいっぱいになった。
第11話 本当にほしいもの
付き合いましょうとなったけど、一緒にいる時間以外は片思いと変わらない。変わらないどころか前より一層好きが募ってる。一緒にいる時間はあっという間に過ぎてしまうし思い出そうとしてもフワフワしてて雲の中にでもいたみたい。はっきりと思い出せるのは頭の中に響いた言葉だけで、それを巽くんの声でリピートしたいのに自分の声になってしまう。
「次はクリスマスプレゼント、一緒に買いに行きましょう。何がいいか考えておいて下さいね。」
目を閉じて思い浮かべる。
欲しいものはもうあった。
でも、それは“もの”じゃない。
でも.…と考えてデートの約束のLINEに返事をした。
ー
決めました!
よければ.…おサイフがいいです。
ー
tatsumi
ー
わかりました!おサイフですね!
一緒に買いに行きましょう!
好きなブランドありますか。
お茶でもしながら相談して
ショッピングでどうでしょう。
ー
はい!うれしいです。
クリスマスデートなので
ケーキとかどうですか。
ー
tatsumi
ー
いいですね!
ボクはモンブラン好きです。
ー
ー
ワタシもデス.…♡
ー
ワタシもデス…。これこれ、これが言いたいの。
嬉しさが込み上げてくる。
「今日子さん 好きです。」と言われた後で小さい声で「ワタシもデス…」と呟いた。巽くんが「なんかズルいなぁ。」と笑った場面を思い出す。
ワタシもデス…がいっぱいあるといいなぁなんて思って『耳はかさかさタイプですか、しっとりタイプですか』なんて質問をたくさん考えてしまうのにどうでもいいか、と質問はできずにいる。同じタイプか違うタイプか、違ってそうな気もするし同じような気もする。
モンブランを食べ終わってじっと巽くんの耳を見る。
「ん、どうかしました?」とくすぐったいような素振りで目を細める。
「…なんでもないです。」
あなたの耳の中が気になりますなんて恥ずかしくて目線を外し首を降る。
「おサイフはお揃いにしますか。」と言うのでそれには慌てて手を振る仕草もつけて否定した。
「おサイフは…ひとつでいいんです…。」
そう、ひとつがいい。
「本当いうと…欲しいのはおサイフじゃなくて一万円のエピソードで…。新札の、渋沢さんの。」
「巽さんにあの千円と五千円の新札を頂いたの、あれがとっても嬉しくて。一万円の思い出もできれば欲しいです。もし一緒に出かけるようなことがあるなら一万円でデートするのもいいかも、なんて考えたんですけど五千円、五千円の一万円だと新札の一万円のエピソードにならなくて。」
「だから…、二人がまず新札の一万円を出しあって、1枚の一万円はデートに使って、もう1枚の一万円はお付き合いしている間は大切におサイフの中に取っておくなんてどうでしょう。おサイフはそれを入れておくための二人のおサイフで、こうしたデート代とか、記念となる新札の一万円を入れておきたいです。だからおサイフは一つでいいし、ブランドには特にこだわりはないです。」
「あっ、でもお札は折れないほうがいいから長財布がいいです。」
なんか自分の希望ばっかり言ってしまって、変におもわれたかなぁと思う。ほんとはこの間の初デートを予算一万円で、新札の一万円で出来たら、少なくとも二回デートしてくれるならなんて一万円のエピソードができるなぁなんて勝手にひとりで妄想脹らませていたけれど、LINEの一方通行では、とてもそんなこと言い出せなかった。
でも、一緒に出かけると巽くんは全部デート代持ってくれようとするし、気を利かせてたまにはこちらでなんて芸当も私にはハードルが高い。だからどちらかが持つじゃなくて、一緒に二人のおサイフからがいい。
「なるほど…。じゃあ買いに行きますか。おサイフは今日子さんの好きなの選びましょう。今日子さんに持ってて欲しいです。」
巽くんがそう言ってくれてほっとする。
「ありがとうございます。モンブラン美味しかったですね。」
立ち上がってテーブルの上を見渡すと「お会計もう済んでます。」と言ってあっと笑った。
「じゃあ….今日のところはごちそうさまでした。」
「次からは二人のおサイフからですよ。」
軽く頭を下げてから、また笑いあった。
吉祥寺はおサイフを置いてあるお店も多い。お値段もそれなりで安くない。
「今日子さんは買い物よく行くんですか。」
「よく….でもないですけど、出かけて気になっちゃったら買っちゃう方です。ほら、お洋服とかって出会いですから。誰かとこうして買い物にくることは私にしては珍しいです。」
悩むわりに相談しない。でも気に入ったらパッと買ってしまう。
やっぱりこの前買ったおサイフの方がいいなぁと思い返す。通い始めたイラスト学校の近くのお店で見つけたもので、スリムでL字ファスナーの小さめの長財布。真ん中の仕切りの中に小銭を入れるようになっていてその仕切りの側面にカードも二枚程度なら差し込めるようになっている。お札は仕切りを挟んだ両側に入れることが出来る。
クリスマスのプレゼント、おサイフがいいなぁと思ってから自然と目に入ったおサイフで、デザインも革の質感も色んなバリエーションがある中から、黒の光沢があるしっかりとしたクロコダイルのような型押しがされているものを選んだ。
巽くんが気に入るのがあればいつかプレゼントしたいなぁと思っていた。
「実はこの前、出会ってしまったおサイフがあって良ければそれにしたいんですけど…。私の選んだのでいいですか。」
うん、やっぱりあのおサイフがいい。
二人のおサイフだけどお会計するときには巽くんに立って欲しいから。
巽くんに、うん、しっくり馴染みそうな気がする。
少し見下ろすように見る巽くんと目があった。
優しい優しい目をしている。
「今日子がいいなら。そうしよう。」
「プレゼントもまた欲しいものに出会ったらそのときにしましょう。」
「….それに….、早くふたりになりたいです。」
ちょっとイタズラっぽい目になった。
「ちゃんと宿題も考えてきましたか。“巽さん”じゃない呼び方を。」
また不意にドキドキすることを言ってくる。
「それは、あとで…。」
いつもくすぐったくなるようなささいなやり取り。それがなんとも言えず好きで照れてしまう。ふたりにどれだけ時間があるんだろう。
こんな、やり取りが続けばいい。
夜、家に帰ってから、ゴソゴソと封筒を探す。
お財布に付き合い始めたふたりの記念になる新札の一万円札を入れるための封筒だ。最初にふたりがそれぞれ一万円を用意する。
目の前に少しシワの入った一万円札。取っておく方はこの一万円にしておきたい。
付き合うことが出来るようになって、ひとり井の頭公園の弁財天さんにお礼参りに行ってきた。願いを込めて新札の一万円に水を回しかけた。水気をよく拭き取ってから本に挟んで帰ってきたけど少しポコポコしている。
だけど、いいよね。
一万円にかけた願いごとは巽くんには内緒にしよう。
そう約束じゃない、願いだから。
今日、一緒に過ごせたことに感謝する。
それが積み重なっていけばいい。
『いつまでも一緒にいられますように』そんな気持ちは、ほんのり透けるぐらいがちょうどいい。
封筒を探している
できるだけ薄い封筒を
薄い紙越し どうかお守り下さい
幸せのお札がいつまでも
ふたりの居場所に
舞い込んできますように
エピローグ
少しシワの寄った渋沢さんを手のひらで押さえるように撫でてから、入れるための封筒を探す。巽くんがくれたような薄いものがいいと棚の上の封筒を見る。
ん?この封筒。これで良くない?
巽くんが最初にくれた二人のきっかけとなった封筒。中には巽くんがくれた新札、北里さんと梅子さんを入れている。お二人はこちらにと、ビロードの生地が貼ってあるジュエリーBOXの引き出しに移し、愛着ある封筒に少しシワがあるけど新札の一万円を入れて、黒のクロコダイルのような型押しがしてあるおサイフの中に大事にしまった。
*
「今日はどのオムライスにしよう。」
好きなものがハッキリしていてなんでも定番がありそうだと思っていた巽くんは、意外とチャレンジ精神旺盛でこの店のオムライスの全種類制覇を狙っている。
「今週は頑張ったからハンバーグものせる。」
そう言って子どもがすきなメニューが好きなんです、あとは焼き肉かなと色々好きなものを教えてくれる。
「今日子さんは?」と聞かれても、これが好きというのがすぐに答えられない。
「苦手なものはチーズとわさびであとはなんでも…。その時の気分にあったものが一番です。今日の気分は…、たらこスパゲッティに決めました。」と注文した。
*
「あっそうだ。コレ、持ってきました。二人のおサイフです。」
カウンターでポコポコと音を立てるサイフォンの音を聴きながら、黒のおサイフを出して見せる。
「一万円を入れたらいいんでしたね。新札ですよ。」と巽くんは自分のおサイフから取り出してくれた。
「ありがとうございます。私のはもう入ってます。」
そう言っておサイフを見せると「あの封筒ですか。」と笑った。
「はい。置いておくお札はこっちでいいですか。今日のお会計から巽さんの一万円使わせて頂いて、少なくなったら2人とも一万円を足していくなんてどうですか。次からは新札じゃなくて大丈夫です。」
「うん。分かりました。」
ふたりで目の前に置かれた珈琲の薫りを味わう。
ほんのりと立ち昇る白い蒸気とゆっくりと模様を描いて沈んでゆくフレッシュを見ながら言葉を継ぐ。
「あとこの記念の、封筒に入った一万円ですけど…。
もし、…もし、お別れすることがあったらその時は、この一万円で一緒に美味しいものを食べましょう。なんとなく連絡がなくなって、そのままフェードアウトになってしまうのはイヤです。」
そう、ボッチになってひとり取り残されてしまうなんてもうイヤでそんなこと考えたくない。
「なにを、また。」この人は…と少し呆れるような顔をしながらも、深い息を吐いてから「今日子がいうならいいですよ。」と静かにいった。
自分に自信がないから、すぐに、だってだってが出てきてしまう。ずっと一緒にいたいけど、そう出来なかったときはせめて美味しいものを一緒に美味しく感じることができる程度のいい関係で終わらせたい。
「その時のメニュー、何がいいかはまだまだ決めませんよ。」と笑った。
春が来て桜を見ては来年もまた一緒に見たいと願う。
今はもう新緑が眩しい。
そんな中、新しいアルバイトの学生が入ってきた。
巽くんの大学の後輩で地元も同じらしい。彼女目当てにくるお客さんにも明るく接客してもう人気者になっている。
仕事にも熱心で「巽さーん、巽さーんっ。」と声が聞こえる。他のメンバーともすぐ馴染みキャッキャ、キャッキャと楽しそう。
近くを通り過ぎるとき思わず俯いて早足になった。
相変わらず連絡するのは私からだけど、巽くんになんとなく連絡できないでいる。
だって、彼女、小さいし。若いし。
可愛くて、キャッキャキャッキャと仔犬みたいだし。
話が盛り上がっているなか通りがかった私に「あっ、今日子さん。」と声をかけてくれる。
巽くんだ。いつもと変わらない真っ直ぐな声。
でも口角だって動かさないまま力なく笑い、その場から気持ちはもう逃げていた。
*
夜になってLINEが入る。
tatsumi
─
今日、体調わるそうだったけど
大丈夫?
─
体の具合じゃないけど心がしんどくてツラいのです。
無理して平気なフリもしたくない。
─
正直にいいます。
やきもち です。
─
tatsumi
─
ええー、やきもちなの?!
誰に、誰に。
─
そのあと、なんか完全に面白がるから開き直った態度を取ってしまった。巽くんは人との間合い礼節を大切にするおサムライさんなのをすっかり忘れてた。私だって自分のイヤなところ見てしまってしこりとなって残っている。
LINEはまた、既読にならない日が続いている。
残りが少なくなった二人のおサイフが目に入った。
このまま終わってしまうのかな。最後になるかもしれないけどとメッセージを送った。
─
この前はごめんなさい。
私の方はまだまだ美味しいもの
食べに行きたい気はあります…。
また一緒にゴハン行けるなら連絡下さい。
─
翌朝、既読にはなったけどメッセージは入らない。
もうダメかとお昼近くにスマホを見るとメッセージが入っていた。
tatsumi
─
今日はランチまだ間に合う?
色々思うところもあったけど
仲直りしたいです。
─
返事を送ってオムライスのお店に向かう。
早く会いたくて1時には、と伝えたけれど今日は私が遅刻しそう。先に来ている巽くんをバツがワルくチラッと見上げて聞いてみる。
「最後のゴハン…、じゃないですよね。」
「今日子は最後がいいの?」
「最後なんて無理です。というか最後に一緒にゴハンなんて言ったのに、こんな状態で会ってゴハンなんて無理だー、なんて思ってました。」
「それは…」と上を見上げてから
「お互い様でしょ。」とこちらを向いた。
その言葉を聞いてやっと暫くぶりに顔を見る。
頭をぽんぽんしながら「小さいだけじゃないから。」と言う。
「うん。」
「ちゃんと言葉で伝えてくれようとしてるのはわかってます。その言葉にウソがないのも。」
「でもオムライス食べて美味しいっていうのと同じでその言葉はその時の気持ちってことで、その場その場で大事に受け取ります。」
「一期一会ってこと、かな。」
「そうです。その時々と積み重ねていくもの、両方大事にしていきたいです。だからこの間の態度は悪かったです。ご免なさい…。許してくれますか。」
巽くんもチラッとおどけるような顔をしてから言う。
「僕たちはお互いカゼを引いたんです。」
「もう、大丈夫。オムライスいきましょうか。」
やきもちはもうすっかり食べてなくなりました。
おなかいっぱい。今度は別のを食べますね。
そう心の中で呟いて、カバンの中、おサイフを確かめてから右手を繋いだ。
帰ったらおサイフの中の封筒に北里さんと梅子さんだって一緒に入れよう。そしたらきっと寂しさなんて感じない。
一万円と一万円…と五千円と千円と。
フィフティ·フィフティじゃなくていい。
多すぎるぐらいが丁度いい。
それがほんのり透けてみえるぐらい。
それがきっと私には丁度いい。
なんのはなしですか
渋沢さん と 北里さん と 梅子さん
それは封筒にしまった私だけの秘密のお話
