今進路が見つからなくても大丈夫
私は高校生になった時、なんの夢も持っていなかった。正直その高校を選んだ理由も近いからと友達が行くからだった。自分の明確な軸なんてものは何も持ち合わせていなかった。入ってみると進学校でこれまで大の苦手であった勉強をやらざるを得なかった。だけどやっていなくてもなんとかなっていた友達も何人かいたので別に自分もやらなくても良かった。だけどやったから後々の未来に繋がった。
最初は嫌々やり始めた。テストに向けてちゃんとテスト勉強をしようと腰を据えたのは恥ずかしながら人生初だったかもしれない。中学生の時は自分で言うのもなんだけど本当にバカだった。周りの友達からもバカで有名だった。でも今思えばやっていなかっただけ、勉強の仕方を分かっていなかっただけだったのかもしれない。
いざ教科書を並べノートを見返し声に出して読んでみても全く入ってこない。自分がどこを理解し、どこを理解していないのかが分からなかった。だから誰かに教えるという程で話してみた。すると理解していないところが一目瞭然だった。そうなるとそこを説明できるまで徹底的にやる、そんなやり方を考案しやってみるととても自分に合っていて何よりも楽しかった。勉強を楽しいと思ったのは初めてだった。
そんなやり方が功を奏し高校入学早々のテストの時から高得点を取ることが出来た。私が通っていた高校は教科ごとにクラス順位と学年順位が書かれた紙も答案用紙と共に配られておりそれが私のやる気にさらに火をつけた。最初は一桁代の順位に自分も友人も驚いていたが前述した教えながら勉強をするやり方が板についてきて次第に上位になることは当たり前になっていった。
因みに私は効率を求めると途端に嫌になるタイプなので効率よく勉強が出来ていたわけではないし順位だけを求めてやっていたわけではない。あくまで楽しさが根底にあった。もちろん教科による得意不得意はあるし得意だった世界史や英語、古典などの中でも苦手とするジャンルもあった。因みに因みにどれほど非効率かというと世界史でいうならテスト範囲で出されるおおよそ100ページぐらいを授業で3ヶ月ぐらいかけてやった内容を1から振り返ってやっていくという非効率さ。分からないところだけをやれば良いものをテスト期間にコツコツコツコツ帰ってから夜遅くまでひたすらに。非効率というより全てやらないと気が済まないという自分でも嫌になるほど厄介な性格。だけど数字にして結果が出たのでこれで間違ってないと信じて突き進んだ。だけど1年生から2年生になってもまだ夢は見つからなかった。だけど勉強は続けた。この時期家の事情や対人恐怖で友達とうまくいかず孤立しておりどこにも居場所がなかった。それでも勉強は続けた。今振り返ると勉強にしか縋るものがなかったのかもしれない。
2年生から3年生になるあたりから特に英語に興味を持つようになった。海外アーティストのライブを見るようになり個性を爆発されることが許される海外にものすごく興味を持つようになった。海外に行けば自分は変われるかもしれないと思っていた。そう思うことで幾分か気分は晴れた。自分の居場所はもっと広い世界にあると思えた。辛すぎた日々も乗り越えることができた。そんな折に関西外国語大学のオープンキャンパスへ行く機会があった。ここだと思った。日々勉強していたお陰で高校で1枠の4年生大学への推薦枠を余裕で勝ち取ることが出来た。過去の自分にものすごく感謝した。何も見えない中でもがんばってきた自分を誇らしく思った。
大人になり、先が見えなくてもコツコツ何かを頑張ることが難しくなった。すぐに効率や意味を求めるようになった今高校生の時の成功体験を思い出しこの記事を残しておこうと強く思った。夢や目標があることは素晴らしい。だけどそこに行くことに執着しすぎて過程を楽しめなかったり叶えた先に燃え尽き症候群が待っていたりする。私もそんなことを何度も経験した。たとえ今すぐに夢や目標が見つからなくてもかつての私がただ勉強を何の役に立つか分からなくても楽しんでやっていたように今楽しいと思うことや興味のあることをこつことつと非効率でも続けて行けばその先にはかつて私が望んだ大学の推薦枠を思わず得られたように将来夢が見つかったときにやってきたことが助けになることがあるかもしれない。それは誰にも分からないけれど。だけど私は高校生の時の一連の出来事を思い返してもう一度あの時のように興味のあることや楽しいと感じることをただ純粋に泥臭く続けてみようと思う。希望も夢もなくてとにかく毎日が辛くて楽しくなかった高校生の頃から数年後には留学へ行き異国の地で色んな国の人と英語で笑い合い語り合いナイアガラの滝の前で本当に生きてて良かったと心の底から感じることが出来たのだから。

