B.51 現在地 自己を知らなきゃ 分からない リニューアル編
「note」に来て四ヶ月余り、自問自答を繰り返しながら思いのままに綴ってきました。その中で強く感じているのは、自己認識が少しずつ深まっているということです。
自己認識には終着点がありません。それは終着駅のない旅のようなものであり、歩みを止めない限り続いていきます。「note」は、その旅の足跡をテキストデータとして残してくれる場になっています。
昨日、「こぐまパパ」さんが考案された自己診断ツールの結果が届きました。質問に答えた結果と、私自身が日頃から感じていたことがよく一致していたため、改めて自己認識を確認する機会となりました。
それは単に診断結果が当たっていたということではありません。自分が感じていたことと、第三者の視点による分析が重なったことで、自己と他者の認識が交わる感覚を得られたのです。
さらに言えば、自転車ライドで得た体感を「note」に言葉として残し、それを読み返すことで、体感と言葉が一致していることを確認できます。その積み重ねが、私にとっての自己認識をより確かなものにしています。
人の意識は、常に移ろい揺らぎ続けています。感じるだけ、考えるだけでは形になりません。しかし、それをテキストデータとして残すことで、自分の感覚と照らし合わせることができ、自己認識が具体的なものとして見えてきます。
もし現在地を見失えば、木立の中を当てもなく歩くように道に迷ってしまいます。だからこそ、自分の現在地を知ることが何より大切なのだと思います。
「note」は、私にとってその現在地を確認する地図のような存在です。日々書き続けることで、自分が今どこに立ち、どこへ向かおうとしているのかを確かめることができます。
また、「AI」との対話の中で、記事のタイトルにしている五七五についても考える機会がありました。これからも五七五を記事のテーゼとして掲げ、その一句を軸に文章を展開していこうと思います。
五七五には、日本語ならではの「音」と「拍」の心地よいリズムがあります。その短い一句に主題を凝縮し、文章全体で掘り下げていくことで、自分自身の考えもより明確になっていきます。
例えば、
「現在地 自己を知らなきゃ 分からない」
この「現在地」とは、私自身のことです。「自己を知る」とは自己認識であり、自分が今どこに立っているのかを知ることでもあります。
木立の中を一人で歩くことを想像すると、現在地が分からなければ、すぐに道に迷ってしまいます。人生も同じです。他人の後ろを歩くのではなく、自分自身の足で歩むのであれば、常に現在地を確かめながら進まなければなりません。
そのためには、一般的な常識を踏まえつつも、それに縛られ過ぎないことも必要でしょう。
私という存在は、自然の中では極めて小さなものです。そのことを自覚しているからこそ、現在地を確かめながら、一歩ずつ歩み続けたいと思っています。
自己認識とは、人生という道を迷わず歩むための羅針盤であり、これからも終わることのない探求なのです。
