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逆折の館殺人

あらすじ
大豪雨の山道で車が立ち往生し、命からがら不気味な古い洋館へと迷い込んだ考古学者の藤代。
そこは、一度目をつけたら決して逃さないという土着の神「逆折(さかさおり)の神」を信仰する、因習の深い一族の館だった。
館には主のはか、主の大学時代からの親友で都会の知識人である風間たちが滞在しており不穏な空気が張り詰めていた。
その深夜、館に悲鳴が響き渡る。
藤代たちが駆けつけると、主の部屋は完全に内側から鍵がかかった「密室」と化していた。
ドアをぶち破って中に入ると、そこには頭部を殴打されて絶命した主の遺体があった。
ドアの内側には禍々しい「血の手形」が残されており、住人たちは「神の祟りだ」とパニックに陥る。
藤代の鋭いロジックが鮮やかに暴き出す。
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   激しい暴風雨が、大正期に建てられた古びた洋館の窓を激しく叩きつけていた。
深い山奥で車のエンジンが止まり、濁流と化した山道で行き場を失った藤代と杠(ゆずりは)が、命からがらこの館に逃げ込んでからまだ一時間もたっていない。
重厚なオーク材のドアが閉まった瞬間、容赦のない雨の音は一気に遠のいた
だが、代わりに館を支配したのは、肌にまとわりつくような、おどろおどろしい沈黙だった。
長い廊下の至るとこに、黄ばんだお札がびっしりと敷き詰められている。
「……すまないね。うちの者が無作法な対応をしてしまった」
暗い玄関ホールから続く居間で、藤代たちを迎えたのは仕立ての良いスリーピースのスーツを着た、細身の男だった。
そのジャケットの裾は、山奥には不似合いな泥で汚れている。
鋭い知性を感じさせる眼鏡の奥の目が、藤代と、その隣で濡れたスケッチブックを抱かえてガタガタと震える杠の姿を見てすっと和らいだ。
「私は風間。ここの主の大学時代からの古い友人だ。君たちの車が立ち往生しているのを窓から見てね。さすがにこの嵐の中、外へ追い返すわけにはいかないと主人をなだめていたんだよ。ここは酷く偏屈な男の館だからね」
本当にありがとうございます。
命拾いしました。
私は考古学の研究をしている藤代です。
こちらは助手でフィールドワークの記録やスケッチを担当している杠です

『あ、あの……助けていただき本当にありがとうございました……!』
杠はが濡れた髪を気にしながらペコリと頭を下げると、風間は「ほう、考古学か。それは興味深い」と小さく笑い、居間の片隅にある大がかりなガラス製の器具ーーサイフォンへと目を向けた。 
「では、冷え切った身体に私の淹れるコーヒーはどうかな?ここの主は昔から、偏屈で頑固でね。私の淹れるコーヒーしか認めないんだ。今夜も、彼のために一杯奢ろうと思って、道具を持参して山を登ってきたところでね」
風間が手際よくアルコールランプに火を灯すと、フラスコの水が静かに沸騰し始める。
やがて、部屋の中に香ばしくどこか都会的な珈琲の香りが満ちていった。
お札が敷き詰められた、このおどろおどろしい洋館の空気にはあまりにも不釣り合いなほど洗練された香りだった。
「風間さん、あの壁の絵は……何ですか?」
温かいカップを受け取った杠が、居間の壁に掛けられた大きな額縁を見上げて呟いた。
藤代もまた、その絵に鋭い視線を注ぐ。
そこに描かれていたのは、異様な墨絵だった。
蜘蛛のようにも、不自然に四肢をねじ曲げて這いつくばる人間にも見える異形の「神」
その神は、細長い5本の指を狂いなくきゅっとー本に隙間なく閉じ独特の「印」を結んだ手をこちらへ突き出している。
「それが、この家に代々伝わる「逆折の神」さ」
風間はコーヒーを一口啜り、冷ややかな軽蔑の混じった笑みを浮かべた。
「この土地の人間は、指を一本に閉じたあの神の手を「絶対に逃さぬ呪いの印」と呼んで、未だに恐れている。
今夜は、その神を鎮めるための特別な儀式の夜らしいが……馬鹿馬鹿しい。
東京の大学で共に合理主義を学んだ彼までが、いざ一族の長になってみればこの古臭い因習の虜だ。悲しいことだよ」
……指を、きゅっと一本に。なんだか、不気味だけど妙に洗練された綺麗な形ですね。
杠は鋭い観察眼でその手を凝視し、手元のスケッチブックにその歪なポーズのデッサンを手早く書き留めた。
風間の言葉の端々に、親友への深い失望と割り切れない怒りのような火花が爆ぜるのを、藤代の鋭い耳は聞き逃さなかった。
都会的な仮面の裏にどす黒い感情が張り付いている。
ーーその時だった、
ゴツン、ゴツンと天井の低い廊下から、重苦しい足音が近づいてくる。
現れたのは、この洋館の主だ。
風間と同じくらいの年齢のはずだが、その背は小さく丸まり顔は死人のように土気色に変色している。
背後には、影のように這いつくばる初老の使用人が怯えた目で控えていた。
『風間……余計な客を連れ込んだな』
主は、掠れた声で親友を睨みつけた。
『今夜は、我が一族との約束を果たす夜。穢れを入れれば、神の怒りが下るぞ。さっさと引き取らせろ』
「まだそんなオカルトを信じているのか、君は!目を覚ませ!」
風間が鋭く言い返す。
二人の間に、一瞬で一触即発の緊張感が走った。
主はフンと鼻を鳴らすと、藤代たちには目もくれずそのまま軋む階段の方へと歩き去っていった。
自らの書斎へと、閉じこもるために。
それが、彼を生きて見た最後の姿となった。
夜が更け、時計の針が深夜の2時を回った頃。
激しい落雷が館を震わせ、窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げた。
それと同時に、遮断機が上がったような鋭く短い悲鳴が2階から響き渡った
今の悲鳴は……!
居間で息を潜めていた藤代、杠、風間は弾かれたように席を蹴った。
懐中電灯の細い光を頼りに、暗い木造の階段を駆け上がる。
暗い廊下の突き当り、主の書斎の前には先ほどの初老の使用人が腰を抜かした状態でへたり込んでいた。
[だ、旦那様が……部屋の中から、物凄い音がして、それから……!]
落ち着け!開けるぞ!
風間がドアノブに手をかけ、激しく回す。真鍮のノブはガチリと固く拒絶するだけでびくともしない。
鍵がかかっている……!おい、開けてくれ!中にいるんだろ!
風間が激しくドアを叩くが、返事はない。
ただ、ドアの隙間から、妙に濃密な何かが焦げ付いたような匂いが微かに漏れ出していた。
風間さん、体当たりで破りますよ!杠は、お前も背中を貸せ!
藤代は二人と視線を交わし、肩を頑固な木目のドアへと叩きつけた。
一度、二度、三度。
激しい衝撃のあと、パキィンと小気味悪い音を立てて、内側の真鍮製の掛け金(サムターン)がちぎれ飛びドアが勢いよく内側へと開いた。
その瞬間、全員が」息を呑んだ。
これは……まさか……
部屋の奥、重厚なデスクの前の床に主が仰向けに倒れていた。
頭部から流れた鮮血が、ペルシャ絨毯に黒い染みを作っている。
その目は見開かれ完全に事切れていた。
部屋の窓は完全に閉まり、内側からクレセント錠がかかっている。
つまり、藤代たちがドアを破るまで、この部屋は完全な「密室」だった。
そして、その密室の壁や床には赤い絵の具か血のようなもので歪な模様がいくつも書き殴られていた。
さらに、藤代たちが破ったドアの内側、ちょうど大人の胸の高さのあたりにべっとりと、禍々しい「血の手形」が押し付けられていたのだ。
[ひっ……『逆折の神』だ……!」
背後で使用人が歯の根も乾かない声で悲鳴を上げた。
[神の祟りじゃ!掟を破ろうとしたから、旦那様は神に引きずり込まれたんだ!]
そんな馬鹿な……。
風間はその場にへたり込み、親友の遺体を見つめたまま激しく首を振っている。
都会的な冷静さは完全に消え失せ、ただただ恐怖に目を見開いていた。
オカルトの狂気が満ちていく密室の中を歩き回っていた。
窓の鍵に触れ、細工がないか確かめる。
そしてデスクの上のガラス製コーヒーサーバーへと歩み寄った。
そこからは、まだ白い湯気がゆらゆらと立ち上がっていた。
淹れたての、芳醇な香りを漂わせながら。
風間さん
藤代は振り返り、床にへたり込む男を静かに見下ろした。
主は夜中に、自分でコーヒーを淹れるような習慣があったのですか?
「え、ええ……」
風間は動揺を隠すように眼鏡を押し上げた。
彼は、煮詰まった時に自分でコーヒーを淹れて飲むのが昔からの癖だったんだ。いつものことだよ。
嘘を言っているのは、あなただ。
藤代の冷徹な一言に、部屋の空気が凍りついた。
藤代さん……?どういうことですか?
杠は息を呑む。
杠は、さっき彼が居間で何と言っていたか覚えているか?『主は頑固で、俺の淹れたコーヒーしか認めない』とね。そんな人間が、自分の命が狙われるかもしれない不気味な儀式の夜にわざわざ自分でプロ並みのコーヒーを淹れると思うか?……いいえ。この部屋にコーヒーを運んだのは、風間さん、あなただ。盛られた毒に主が苦しみ出した時あなたもこの部屋の中にいた。
「何を馬鹿なことを!」
風間が立ち上がる。
「私は君たちと一緒に居間にいた!悲鳴を聞いて一緒に上がってきたんだ部屋は密室だったんだぞ!私が犯人なら、どうやって鍵を閉めて外へ出るだ!」
そこが、あなたの最大の誤算だ。この密室を作ったのは、あなたではない。……被害者である旦那さん自身だ。
藤代はドアの手形を指差した。
杠、さっき居間でスケッチした『逆折の神』の手のポーズを思い出してごらん。
あ……!
杠ははハッとして自分のスケッチブックを開いた。
神様のポーズは、指をきゅっと一本に閉じていました。でも、このドアの血の手形は指が不自然なほど大きく開いている……!
その通りだ。これは祟りの紋章などではない。瀕死の主が、あなたを逃さないために必死にドアノブを掴み、内側から鍵を【逆さに折った(サムターンを回した)】時の人間の執念の痕跡だ!
風間の顔から一瞬にして血の気が引いた。
あなたは深夜、主に呼び出されてこの部屋に来た。口論の末、主の頭部を殴打し死んだと思い込んで祟りに見せかける落書きを始めた。だが、主はまだ生きていた。主は背を向けているあなたに『最後にあのコーヒーを淹れてくれ』と頼みあなたがサイフォンに火をかけ、背を向けている数分間……命を賭して作ったその時間で這うようにしてドアへ向かい、内側から鍵をかけそのまま力尽たんだ。振り返った時、あなたは自分が完璧な密室に閉じ込められたことに気づいた。焦ったあなたは、窓から走って外壁を伝い嵐に紛れて居間へ戻った。だから、まだ湯気の立つコーヒーを片付ける時間がなかったんだ!
長い沈黙の後、風間はガタガタと震え出しその場に崩れ落ちた。
「……クソ、あいつめ。最後の最後まで私を裏切るのか……」
風間は、涙を流しながら自白を始めた。
若き日、この館の陰惨な因習を共に壊そうと誓い合ったこと。
それなのに、主が一族の長になった途端因習を守る側に回ってしまったと思い込んだこと。
「私は、あの約束を信じていたんだ。なのにあいつはこの館の闇に染まってしまった……!」
本当にそうでしょうか?
藤代は、主が倒れている絨毯の端から血に濡れた小さな手帳を拾い上げ、風間に手渡した。
そこには、主がたった一人で一族の資産を解体し因習を完全に終わらせるための具体的な計画が、何年も前から克明に記されていた。
彼は裏切ってなどいなかった。一族を内側から崩壊させるために孤独な闘いを続けていたんだ。
あなたの淹れる、大好きなコーヒーをもう一度飲む日を心待ちにしながらね
風間は手帳を抱きしめ、絶叫とも呻きともつかない声を上げ主の遺体に縋り付いて号泣した。
その泣き声は、激しい雷鳴にかき消されていく。
翌朝、嵐は嘘のように去り澄み切った青空が広がっていた。
警察のサイレンが遠くから聞こえる中、藤代と杠は静かに館を後にした。
「藤代さん……切ないですね。お互い想い合っていたのに、すれ違ってしまうなんて」
杠が寂しそうに、澄んだ空を見上げた。
考古学とは、遺物から人間の足跡を辿る学問だ。
藤代は泥だらけのリュックを背負い、山道を見つめた。
どんなに悲しい結末でも、残された足跡だけは絶対に嘘をつかないよ。
2人の影が、美しい朝日に溶けていく。

                   完
最後までお読みくださりありがとうございました。

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