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「卓球台の上の熱狂」と「アルフォンスのワックス」――道具に宿る“ゴースト”の話

卓球の世界大会でルーマニアが優勝したニュースを見た。快挙自体は素晴らしいが、その後の光景に首を傾げた人は少なくないだろう。チームメンバーが喜びのあまり卓球台の上に乗ったのだ。

精密機械を扱う人間からすれば、あの光景は「行儀が悪い」を通り越して、恐怖に近い。卓球台は単なる木の板ではない。ミリ単位の水平調整が施され、密な素材で仕上げられた精密な機材だ。案の定、台の再調整のために試合が遅れたという。勝利の興奮は理解できるが、自分たちが戦った「舞台」そのものへの敬意が欠けているように見えて、どうにも嫌悪感が拭えなかった。

こうしたニュースを見て、ふと思い出したのが『機動警察パトレイバー』の主人公、泉野明だ。

彼女は自分の愛機であるレイバー「イングラム」に「アルフォンス」という愛称をつけ、毎日欠かさずワックスをかけて可愛がっていた。傍から見れば、巨大な産業用重機に名前をつけて話しかける姿は、滑稽か、あるいは非効率な執着に見えるかもしれない。

だが、あの作品が描いたのは「道具への過剰な愛情」がもたらす実利だ。

イングラムにはパイロットの操縦癖を学習するOSが搭載されている。野明が毎日機体に触れ、磨き、異変を察知し、対話するように動かしてきた蓄積は、データとして機体に刻まれる。それが、いざという時の圧倒的なシンクロ率や、マニュアルを超えた「粘り」に繋がっていく。

私は『攻殻機動隊』のようなサイバーパンクの世界観が好きで、AIやサイバネティクスにおける「ゴースト(魂)」の概念に興味がある。タチコマたちがそうであるように、道具や機体への愛着は、単なる精神論ではなく、ある種の「知性」や「機能」として結実するのではないかと考えている。

翻って、卓球台の上に乗る感覚を考えてみる。 欧米的な合理主義からすれば、道具は「目的を達成するための手段」に過ぎず、使い終わればただの物質なのかもしれない。しかし、日本的な感性——あるいは私が好むサイバーパンク的な視点——からすれば、道具は共に戦う「相棒」であり、そこには敬意を払うべき何かが宿っている。

50代になり、仕事や生活の中でさまざまな道具やシステムを扱ってきたが、結局のところ、最後に自分を助けてくれるのは、日頃から手入れをし、敬意を持って接してきた「道具」たちなのだと思う。

他人の文化や感覚を否定するつもりはない。ただ、ミリ単位の精度で調整された台を泥靴で踏みつける熱狂よりも、静かにワックスをかけ続ける野明の狂気のほうが、私にはずっと信頼できるものに思える。

道具を大切にしない人間には、道具の側も応えてはくれない。それはスポーツの世界でも、電脳化された未来でも、変わらない真理なのではないだろうか。

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