40年前、私は彼女から逃げ出した。 ——胆石をも消した「体対話」の原点。
さっき、少し綺麗すぎる文章を書こうとして、やめました。 21時。映画を観た後の静寂の中で、どうしても誤魔化せない記憶が蘇ってきたからです。
40年前、老人病院のベッドの上。 麻痺した体で、自力ではほとんど動けず、鼻から通された栄養チューブを必死に引き抜こうとする一人の女性がいました。 顔の近くまで曲がった手で、あらん限りの力を振り絞ってチューブを掴む彼女。 それを何人がかりかで押さえつけ、チューブを入れ直すことの繰り返し。 面会もほとんどなく、ただベッドで過ごすしかない、死ぬことさえ許されない日々……。
私は当時、彼女の状況を「他人事」として見なければ、その姿を直視することさえできませんでした。 そうしなければ、自分の生活を守ることさえ、明日仕事に来ることさえ、心が壊れてできなくなりそうだったから。
私は決して「いい人間」ではありません。 ただ、怖かったのです。 あんな悲しい状況になったら、どう自分と折り合いをつければいいのか。 40年経った今も、あの時の抑えつける音や彼女の眼差しが、未だに私の中で答えを見つけられずに残っています。
あれから長い年月が流れ、私にもいろんなことが起こりました。 ただ、人の苦しさは昔よりわかるようになった気がしています。
今、私は「体と対話すること」を伝えています。 きっかけは、私自身が胆石症で「命の保証がない」と言われた時でした。 どうしても手術が嫌だった私は、イメージの中で必死に「胆石をすり潰す」ことをやりました。 すると、私の体はそれに応えるように、胆石を消してくれたのです。
それから私は、体に語りかけるようになりました。 体は単なる「魂の乗り物」ではない。 自分が生まれた時からずっと一緒にいて、不調を通して何かを知らせ、支え合ってくれる唯一無二の存在なのだと。 そう思えた時、あの女性患者さんのことも、少しだけ受け止められる気がしました。
私は今も、あの時のままの「泥臭い人間」です。 山婆のような姿で、家の中に閉じこもり、自分の内側をいつも見つめて必死に生きている。 でも、だからこそ、綺麗事ではない「命の叫び」がわかるようになりました。
私の講座は、そんな「絶望の淵」を見てきた私が出した、一つの答えです。 苦しいのは、あなたが「生きている」から。 その体と、もう一度、本音で話をしてみませんか。 体はいろんなことを知っています。 それを、あなたにきっと見せてくれるはずです。
