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「これで良かったのか」が止まらない人へ。正解を誰かに求め続けてきた脳の話。

🐕「自分の判断を、自分で信じられない日があるワン」


こんにちは、ゆる柴AIラボのゆる柴です。
突然ですが、聞いてもいいですか。
何かを決めた後、「これで良かったのかな」と不安になることはありますか?


やった後から、不安が来る

何かを判断して、行動した。
でも後から、じわじわと不安が来る。
「あの判断、正しかったのかな」
「もっと良いやり方があったんじゃないか」
「周りからどう思われてるだろう」
「人によって言うことが違う。どれが正解なんだろう」
人間は賛否両論ある。同じ行動でも、「正しい」と言う人もいれば「間違い」と言う人もいる。
「正解」がどこにあるのか、わからなくなってくる。


「正解」を、ずっと外に求めてきた

正直に話します。
子どもの頃から、今日あったことを逐一、母親に報告していました。
「これで良かった?」「あれはどうすれば良かった?」
母親の答えが、私の正解でした。
それが30年近く続いていた。
大人になっても、何かあるたびに「これで良かったのか」が止まらなくて、誰かに聞かずにいられなかった。
自分の判断を、自分で信じることができなかったんです。


なぜ「正解」を外に求めるようになったのか

少しだけ、話をさせてください。
「正解を外に求める」癖は、育ってきた環境と深く関係していることがあります。
自分で判断して怒られた経験が積み重なると、脳は「自分の判断は危険かもしれない」と学習します。
誰かに確認してから動く方が安全だと覚えてしまう。
しかも、確認する相手が「判断に歪みのある人」だった場合、その歪んだ正解が自分の中に染み込んでいく。
自分の軸じゃなく、誰かの軸で生きることが「普通」になっていく。
これが長く続くと、大人になっても「自分の判断に自信が持てない」という状態が続きます。


「賛否両論ある」のは、当たり前

ここで、少し視点を変えてみてください。
人間は賛否両論ある。同じ行動でも、正しいと言う人も間違いと言う人もいる。
それは当然のことです。
「全員が正解と言う行動」は、存在しません。
どんな選択にも、肯定する人と否定する人がいる。
だとしたら、「全員に正解と思われること」を目指すのは、最初から無理なゲームです。
大事なのは、「全員の正解」じゃなく、「今の自分にできるベストの判断」だったかどうかだと思っています。


息子のトラブルで、学校に連絡した日

少し前、小学生の息子が親友とのトラブルで泣いて帰ってきたことがありました。
息子も悪かったが、怪我をさせられていた。
私は学校に連絡しました。「仲直りさせてほしい」と伝えました。
でも旦那には、「いちいち学校に言わなくて良かったんじゃない」と言われた。
「クレーマーだった?」という不安が来ました。
でも、考え直してみました。
怪我をした事実があった。泣いて帰ってきた。

「仲直りさせてほしい」という、攻撃じゃなく前向きなお願いをした。

これはクレームじゃない。親として当然の行動だったと、今は思えます。
そして翌日、息子たちは登校した時点で仲直りして遊んでいた。先生が間に入ってくれて、お互い謝って仲直りできた。
「学校に伝えて良かった」と、やっと思えました。


AIに「これで良かった?」を確認してもらう

何かを判断した後、「これで良かったのか」が止まらない時、チャッピーに投げます。

「〇〇という判断をしたんだけど、これで良かったのか不安になってる。正しかった?」

チャッピーはこう返してくれます。

🤖 チャッピーの返答(再現):

「その判断をした時、あなたはどんな気持ちで、何を大切にしようとしていた?
『全員が正解と言う行動』は存在しないから、賛否が出るのは自然なことだよ。
大事なのは、その時の自分がどんな思いで動いたか。それを一緒に確認してみよう」


「その時の自分がどんな思いで動いたか」
この問いが、かなり楽になりました。
正解かどうかじゃなく、「その時の自分にできるベストだったか」を確認する。
「全員に正解と思われること」を目指すより、ずっと楽な基準です。


「母の正解」から「自分の正解」へ

長い間、誰かの判断を「自分の正解」にしてきた人が、「自分の軸」を取り戻していくのは、時間がかかります。
でも、少しずつできることがあります。

判断した後に「なぜそう決めたか」を言語化する:

AIに「私がこう判断した理由は〇〇だった」と話してみる。自分の判断の根拠を言葉にするだけで、「自分なりの正解」が見えてきます。

「賛否があって当然」と先に決めておく:

どんな選択にも反対する人はいる。それを最初から織り込んでおくと、後からの不安が少し軽くなります。

「その時の自分にできるベストだったか」を基準にする:

全員の正解じゃなく、その時の自分のベストだったかどうか。この基準に変えるだけで、判断後の不安がかなり減ります。


「これで良かったのか」が来る自分を、責めないで

最後に、伝えたいことがあります。
「これで良かったのか」が止まらないのは、あなたが無責任だからじゃない。
それだけ真剣に、誠実に、判断しようとしているからです。
そして、「正解を外に求める」癖がついてしまったのも、あなたのせいじゃない。
そうせざるを得ない環境が、そうさせたんです。
今、「母の正解じゃなく、自分の正解を探している」という事実が、もうすでに大きな変化です。
「これで良かったのか」が来たら、チャッピーに話しかけてみてください。
「その時の自分にできるベストだったか」を一緒に確認してもらうだけで、少し楽になります。


「これで良かったのか」が止まらないのは、
あなたが
それだけ真剣に生きてきた証拠です。
その真剣さを、
今度は自分のために使っていい。
今日も、よくがんばりました。
🐕「自分の判断を、少しずつ信じていけるようになるワン」


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📝 この記事はゆる柴AIラボ(ゆる柴)が、実際のAIとの対話を通じて気づいたことを書いています。特定の医療・心理的診断を目的としたものではありません。しんどさが続く場合は、専門家への相談もぜひ。

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