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【連載⑤:なぜケンドリック・ラマーの「Alright」はBLM運動のアンセムとなったのか】ついにヒップホップはメインストリームに躍り出る:ニュースクールとランDMCの登場


3.ニュースクールとフィメール・ラッパーの登場

 ヒップホップは、「Rapper’s Delight」で商業的成功を収め、「The Message」で批評的な成功を得て、一躍音楽シーンの中心に躍り出ようとしていた。そして、アフリカ・バンバータやグランドマスター・フラッシュなどの初期のヒップホップ・シーンを見て育ったヒップホップ第二世代、(通称、ニュースクール・ヒップホップと呼ばれる)ランDMCやLLクールJ、ビースティー・ボーイズらが登場。さらに1980年代後半にかけて、エリックB&ラキム、デ・ラ・ソウル、MCライト、ブギー・ダウン・プロダクションズ、そしてパブリック・エネミーなどがさらなる成功を収めた。さらにヒップホップはニューヨーク以外にも広がり、フィラデルフィアのラッパー、スクーリーDやロサンゼルスのアイスT、トゥー・ショートなどがギャングやピンプ、ストリートの世界観を反映した曲をリリースし、N.W.Aを契機に西海岸で流行するギャングスタ・ラップのもとになった。

 また同時期にフィメール・ラッパーが登場した。1984年に当時14歳のロクサーヌ・シャンテがUTFO「Roxanne Roxanne」へのディス曲として「Roxanne's Revenge」を出しブレイク。1986年には女性ヒップホップトリオ、ソルト・ン・ペパのデビューアルバム『Hot, Cool & Vicious』が女性ラッパー初のミリオンヒットを記録した。MCライトは1988年に女性ソロラッパー初のフルアルバム『Lyte as a Rock』をリリースした。シングル曲の「Paper Thin」では付き合っている男性の他の女性との浮気を目撃したライトが、彼の言い訳に対して「紙のように薄っぺらい言い訳」だと言い、自分に言い寄って来る男性にも軽蔑のまなざしを向ける。この曲でMCライトは自立した女性像を体現し、フィメール・ラップの新たな方向性を示した。

I'm not the kind of girl to try to play a man out
私は男を騙すような女なんかじゃない
I take the money and the gear and then break the hell out
男から金と服を手に入れて、それでまたぶち壊すような
No, that's not my strategy, not the game I play
そんなちんけな策略なんて、私がやるようなゲームでもない
I admit I play game, but it's not done that way
ゲームはするけど、そういうやり方じゃない
Truly, when I get involved, I give it my heart
本当に、関わるときは私の全身全霊を捧げる
I mean my mind, my soul, my body, I mean every part
つまり、心も、魂も、体も、すべてを捧げる
But if it doesn't work out, yo, it just doesn't
でも、もしうまくいかなかったら、もうダメ
It wasn't meant to be, you know? It just wasn't
運命じゃなかったの、分かる? ダメだったの
So I treat all of you like I treat all of them
私はあなたを他のみんなと同じように扱うわ
And what you say to me is still paper thin
なぜならあなたが私にかける言葉は、相変わらず薄っぺらだから

MC Lyte / Paper Thin(1988)

4.デフ・ジャムでのヒップホップとロックの融合、大衆化


https://en.wikipedia.org/wiki/Def_Jam_Recordings

 1983年に実業家ラッセル・シモンズのもとで、MCのジョゼフ・シモンズとダリル・マクダニエルズ、DJのジャム・マスター・ジェイの3人で結成されたRun-D.M.C.(ランDMC)は、1980年代に大ブレイクを果たす。ヒップホップの初期にリリースされた「Rapper’s Delight」などの曲は、生演奏主体でディスコ調のものが多く、実際にクラブや公園で聞かれていたドラム・ビート主体のブレイク・ビーツ・サウンドとは大きく異なっていた 。そこでランDMCは、ドラムマシーンを使ったハードなスタイルを貫き、「It’s like That/Sucker MC’s」でデビューし、革新的なサウンドと捉えられ25万枚のヒットを記録する。さらに、ランDMCはレザーなどで着飾っていた当時のヒップホップ・アーティストとは異なり、黒のシャツにアディダスの靴を履くなど当時のBボーイのスタイルそのままで登場し、それまでの価値観を一変させた 。1986年のロック・バンド、エアロスミスとのコラボ曲「Walk This Way」は大ヒットとなり、アルバム『Raising Hell』も200万枚のセールスを記録する。ランDMCは、白人のプロデューサーのリック・ルービンのもと、ヒップホップにギター・サウンドを大々的に取り入れた。同じレーベルのデフ・ジャム所属のビースティー・ボーイズ、LLクールJとともに白人層にも人気を広げ、メインカルチャー化しつつあったヒップホップ・シーンを大きく活性化させた。

 ビースティー・ボーイズは、1986年『Licensed to Ill』でラップアルバムとして初のビルボード200で1位を獲得、コメディラップの要素を含んだ「(You Gotta) Fight for Your Right (To Party!)」がヒットした。当時19歳のLLクールJは典型的なBボーイスタイルでデビューし、子どもや女子から支持されるアイドル的な存在としてブレイクした。1985年のデビューアルバム『Radio』は、ミニマムなサウンドとLLクールJの十代の若者の生活・恋愛を描いたリリックが受け、50万枚を超えるヒットとなった。現在では『Raising Hell』、『Licensed to Ill』、『Radio』の三枚のアルバムはこの時代のニュースクール・ヒップホップを体現するクラシックとなっている。いずれもプロデューサーとしてリック・ルービンが携わっている。
 そういった商業化の波の中でも、ランDMCはアルバム『Raising Hell』で、「Proud to be Black」という「黒人であることを誇りに思う」とラップした曲を最後に入れている。ランDMCは、社会的メッセージを前面に訴えるようなコンシャスなグループではなかったが、この曲で彼らはアメリカで黒人であるということはどういうことか、そして黒人差別について聴く人に向けて訴えている。


5.「Stop the Violence」運動と黒人と暴力の社会構造

 KRS-Oneとスコット・ラ・ロック、Dナイスによって1986年に結成された、ブギー・ダウン・プロダクションズ(BDP)は、1987年にニューヨーク初のギャングスタ・ラップのアルバム『Criminal Minded』を出すが、その5か月後にメンバーのスコット・ラ・ロックが喧嘩の仲裁をしている最中に何者かに撃たれ死んでしまう。著名なヒップホップ・アーティストが銃撃で死亡することはこれが初めてだった。さらに、ナッソー・コロシアムでのヒップホップのライブで観客同士の喧嘩による死亡事件が起きたのを契機に、ラップ関連の暴力事件がメディアの報道で取り上げられ始める。これを機に、1988年からニューヨークの有名なヒップホップ・アーティストや批評家などが集まって「Stop the Violence(STV)」運動を展開した。STV運動では、ラップ関連の暴力事件を踏まえて、「黒人同士の暴力はやめよう」、「黒人同士の犯罪は自滅である」と訴え啓蒙した曲「Self-Destruction」を出した。

 しかし、このSTV運動はメディア報道によって固定配置された社会学的用語(「若い黒人は犯罪を起こしやすい」といったような)の範疇から出ていなかった。黒人の暴力犯罪の根拠を黒人性あるいはその背後にある経済的な貧困の問題に収めてしまっていた。この点で、STV運動はヒップホップ・アーティストがラップに批判的なメディアや社会に向けて迎合した単なるパフォーマンスに過ぎなかった。
 一方で、この運動に参加したBDPのラッパーのKRS-Oneは、1988年にBDP名義でアルバム『By All Means Necessary』をリリースする。このアルバムの一曲、「Stop the Violence」の中で彼は「やつらが造るのはミサイルで、うちの家族が食うのは骸骨(グリスル)/やつらはきっと怒りだす、新聞がそれを暴いたならば」「俺たちはインフレと格闘中、だが大統領は休暇中」 とラップした。

 KRS-Oneはこの曲で「暴力をやめよう」と訴えているのだが、同時に政府と大統領、メディア、教育の問題についても取り上げている。彼は黒人の暴力の問題を指摘する際に、自国民に食べ物もろくに食べさせないのに、ミサイル開発に何十億ドルも費やす政府の暴力性も同時に指摘しているのだ。黒人の暴力・犯罪について、メディアや多くの人々は黒人社会の問題であると矮小化しようとしたが、この曲でKRS-Oneは「それを促す制度の巨大な強制力の当然の帰結」として位置づけ、暴力犯罪における、「個人の行為と構造的抑圧の拮抗」の側面から指摘しているのである。

→連載⑥に続く

<参考文献>


・S・H・フェルディナンド・Jr.『ヒップホップ・ビーツ』、ブルース・インターアクションズ、1996年、p.210。
・ジェフ・チャン『ヒップホップ・ジェネレーション:「スタイル」で世界を変えた若者たちの物語』、リットー・ミュージック、2007年、pp.281-292。
・トリーシャ・ノーズ『ブラック・ノイズ』、みすず書房、2009年、pp.262-268。

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