【連載④:なぜケンドリック・ラマーの「Alright」はBLM運動のアンセムとなったのか】ザ・メッセージ:社会派ラップの登場とレーガノミクス下の黒人社会
5.1970年代のヒップホップの広がり
MCという存在が一般的になり、ヒップホップグループがお互いに技能を競争するようになると、MCたちは熟考したリリックを予めノートに書き留めて、よりひねりのきいたリリックを披露するようになった 。ヒップホップはブロンクスを中心に活況を呈しヒップホップ人口も増加していたが、ヒップホップの人気を決定づけたのは1977年のニューヨーク大停電だった。この大停電に乗じて電器店から普段高価で買えなかったDJ機材などが略奪されたことで、多くの人々の手に機材が渡り、ヒップホップ人口はさらに増加した 。同時期、ファンタスティックス、コールド・クラッシュ・ブラザーズ、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブなどの人気ヒップホップグループが乱立し、彼らのライブでの演奏を収めた海賊版のミックス・テープが出回り、ニューヨーク中に拡散された。しかし彼らは自分たちの曲をレコード会社に売り込み、レコードにすることは考えなかった。あくまでライブでのパフォーマンスに軸足を置いたパーティー音楽であり、レコードにして記録し販売するという発想に至らず、商業化にも積極的ではなかった。当時の人気グループ、コールド・クラッシュ・ブラザーズのメンバー、JDLは初期のヒップホップのマインドに関してこう語っている。
あのね、オレたちは、金と全然関係ない時代にヒップホップの原点から生まれてきたわけだよ。ヒップホップをめぐってレコード会社から作る政治的な構造とは無縁なところからね。報酬をもらうとか、そんなことは関係ない。オレたちは好きだからやっていただけのこと。(中略)好きなことやってるんだから、自分の能力のギリギリまでやるだけのことさ。
初期のヒップホップは業界の政治的な構造には取り込まれなかったが、ライブ会場でのヒップホップグループ間の熾烈な競争はあった。高校でのジャムでも、どちらのグループがより多くの観衆を集め、沸かせられるかでバトルを競い合っていた。最高にフライでファンキーなMC、最高にドープで盛り上がるビートを奏でるDJになるために、ブロンクスの若者たちは日々切磋琢磨していた 。
このように1970年代のヒップホップはディスコから連なるパーティー音楽であり、ラップで社会に対して訴えるというよりは、クラブや公園、ストリート、ハイスクールなどでDJによる音楽とラップによって会場を盛り上げることが主であった。貧困・失業・薬物などの諸問題を抱えるブロンクスの若者にとって、辛い現実を忘れ没頭でき仲間とも繋がることができるヒップホップは希望の光だった。ヒップホップと同時期に1970年代後半から広まった、パンク・ロック、ニュー・ウェイヴのシーンとも連動しながら、1980年代初頭にかけてヒップホップはニューヨークの音楽シーンでさらなる広がりを見せる。
▲Blondie / Rapture(1980年)ニュー・ウェイヴ、ディスコ、ラップの要素が一つの曲に融合している。当時ブロンディはヒップホップ・アーティストで後に『Yo! MTV Raps』の司会を務めたファブ・ファイヴ・フレディと親交があった。彼はMVにもカメオ出演している。
第二節 ザ・メッセージ:レーガノミクスと社会派ラップの登場
1.ヒップホップの商業化
ヒップホップは70年代ブロンクスを中心に発展してきたが、1979年の史上初のヒップホップのレコード楽曲である「Rapper’s Delight」の発売がシーンを一変させた。元女性ソウルシンガーで実業家のシルヴィア・ロビンソンが、活況を呈するヒップホップ・シーンに目をつけ、ヒップホップをレコード化し発売することを思いつく 。そこで、ピザ屋でラップを口ずさんでいた黒人の若者に持ちかけ、3人のMCから成るヒップホップグループ、シュガー・ヒル・ギャングを結成させた。そして自身が設立したレーベル、シュガー・ヒル・レコードから1979年にChicの「Good Times」に乗せてラップした、初のヒップホップ楽曲「Rapper’s Delight」をリリースし、シュガー・ヒル・ギャングはデビューを果たす。すると「Rapper’s Delight」はラジオでヘビーローテーションされ、全米でヒットを記録、さらに周辺国のヒットチャートにもランクインし一躍世界的ヒットとなった。
しかし「Rapper’s Delight」の歌詞はシュガー・ヒル・ギャングが書いたわけではなく、コールド・クラッシュ・ブラザーズのMC、グランドマスター・カズが考えたもので、彼が曲にクレジットされていなかったため、これまでヒップホップ・シーンを担った人々からは快く思われなかった。だが、いずれにしろ「ヒップに、ホップに、ヒピット、ザ・ヒピディピット、ヒップ、ヒップ、ホッピット、そう、止まらないで」から始まるディスコ調のこの曲は、ラジオでひっきりなしにかかり、全米の人々がヒップホップ、ラップ・ミュージックという新しい音楽を認識する最初の機会となった。さらに、ヒップホップの商業化の流れが一気に加速し、これまで商業化に対し消極的だったDJやラッパーがレコード会社と相次いで契約した。アフリカ・バンバータやグランドマスター・フラッシュ、カーティス・ブロウなど、初期のシーンを担った人々もレコード契約し、曲を発表し、ヒップホップをブロンクスからアメリカ全土へ広める役割を担った。アフリカ・バンバータは1982年にアフリカ・バンバータ&ザ・ソウルソニック名義でテクノとヒップホップ、アフロ・フューチャリズムを融合した重要作「Planet Rock」をリリースした。カーティ・ブロウも1980年の大ヒット・シングル「The Breaks」で商業的に成功し、「The Message」より先に厳しい社会状況をテーマにした楽曲「Hard Times」をリリースした。
▲アフリカ・バンバータ&ザ・ソウルソニック「Planet Rock」
クラフトワークやYMOから影響を受けたエレクトロニックサウンドをアフロフューチャリズムと結び、ダンスミュージックであるヒップホップに拡張した名曲。後年のヒップホップやダンスミュージックに大きな影響を与えた。
2.初の本格的な社会派ラップ「The Message」
この時期ヒップホップ・シーンの中心を担うレーベルに成長した、シュガー・ヒル・レコードと契約を結んだのが、DJのグランドマスター・フラッシュとメリー・メルら5人のラッパーから成るグループ、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブであった。彼らは1982年にシュガー・ヒル・レコードから社会派ラップの重要作「The Message」を発表する。
受けた教育は役立たず、インフレだけがフタケタ上昇
仕事に行くにも電車がなく、駅ではストをやっている
もう追い詰めないでくれこれ以上、もうほとんど限界なんだ
正気でいるのに必死なんだ
ジャングルと疑うべきこの状況
どうしたらいいんだ、落ちないためには。
この曲のバース1では、主にゲットーでの汚く荒廃した生活を描いている。バース2ではホームレスになった女がポン引きの世話になる様子が描かれ、バース3では貧しい生活と現状への不満、そして狂いのような感情、バース4では学校に行きたくない子どもと、その子どもがハッパを吸っていること、バース5では生まれてくる子どもの将来が、ヤクの売人か運び屋、ポン引き、強盗になるしかない苦難さが描かれ、結局最後は牢屋で乱暴されこき使われた後、自殺するところで終わる。最後の会話のパートでは、若い黒人男性たちが街角で立ち話をしていると、パトカーがやってきて、警官が彼らを問答無用でパトカーに押し込む場面が挿入され曲が終わる。
この曲の歌詞には脱産業化後のアメリカの都市に住む黒人の底辺層の生活の生々しい現状が刻み込まれている。この歌詞を書いたのはこのグループの曲のリリックのほとんどを担当したラッパーのメリー・メルである。メリー・メルはスティービー・ワンダーの1973年のシングル「Living for the City(邦題:汚れた街)」を参考にしてライムを書いたと述べている 。それまで発売されたヒップホップの曲はパーティーのノリの明るいナンバーが多く、ゲットー社会の深刻な現状をラップするような曲は皆無であった。当初メンバーたちは曲にエネルギーが感じられないとレコード化することもためらったが、シュガー・ヒル・レコードの社長シルヴィア・ロビンソンの判断により、発売された 。結果的に、ロビンソンの直観は当たり、「The Message」はヒットしゴールド・ディスクに認定された。

この曲は曲の雰囲気や歌詞が、時代の空気感、感情と一致していた。ニクソン政権から続いてきた黒人貧困層に対する「静観」と、その延長線上にあるレーガノミクスによる弱者切り捨て政策のあおりを受けた人々の絶望感を体現した曲である。さらに、この曲はスローなビートと、ブーティーとメリー・メルの二人の「諦めとそこ深い怒りに満ち」たような淡々としたラップが特徴である 。このスローなダウンビートにより観客は踊ることよりもラップに意識が集中し、結果的にゲットー社会の現実を切り取ったラップの歌詞がより注目されることになった 。当時、ヒップホップの歌詞の軽薄さに否定的だったメディアや評論家たちは、この曲のメッセージ性を気に入り、こぞって高く評価した。2021年にアメリカの音楽評論雑誌、ローリング・ストーン誌が発表した史上最も偉大な500曲のリストでも59位に選ばれている。この曲はヒップホップがダンスミュージック、パーティーミュージックとしてだけではなく、世代の真実をありのままに伝えることができることを示し、ヒップホップで社会的な事象を述べることを可能にさせた。この後のブギー・ダウン・プロダクションズやパブリック・エネミーなど社会派ラップグループが流行する下地を作り、ヒップホップの方向性に大きな影響を与えた重要な曲として現在も認識されている。
→連載⑤へ続く
<参考文献>
・S・H・フェルディナンド・Jr.『ヒップホップ・ビーツ』、ブルース・インターアクションズ、1996年、pp.29-34、p.210。
・ジェフ・チャン『ヒップホップ・ジェネレーション:「スタイル」で世界を変えた若者たちの物語』、リットー・ミュージック、2007年、p.212、pp.281-292
・トリーシャ・ノーズ『ブラック・ノイズ』、みすず書房、2009年、pp.291-292、pp.262-268。
・Netflix『ヒップホップ・エボリューション』「ストリートから表舞台へ」、2020年、39:00~39:30。
