ウパニシャッドってなに? — 古代インドで、人は「私とは何か」を問うた
人は、死んだらどうなるのだろう。
この体が動かなくなった時、
自分というものは、
本当にすべて消えてしまうのだろうか。
そもそも、
今ここで生きている「私」とは、
いったい何なのだろう。
そんなことを、
二千年以上も前のインドで、
真剣に考え続けた人たちがいました。
その言葉を集めたものが、
『ウパニシャッド』です。
神さまに祈るだけでは、足りなくなった
古代インドには、
『ヴェーダ』と呼ばれる古い聖典がありました。
そこには、
神々をたたえる歌や、
火を焚き、供え物を捧げ、
祈りによって世界の秩序を保とうとする儀式の言葉が、
数多く残されています。
雨が降ること。
作物が育つこと。
子どもが生まれること。
国が栄えること。
死後に良い世界へ行けること。
人々は、
目に見えない神々に祈り、
正しい儀式を行うことで、
自分たちの暮らしと世界を支えようとしました。
けれど、ある時代から、
その祈りの奥で、
別の問いが生まれ始めます。
供え物を捧げれば、
本当に人は救われるのだろうか。
儀式を正しく行えば、
死の恐ろしさを越えられるのだろうか。
神々に祈る前に、
この世界を動かしているものの正体を、
知らなければならないのではないか。
そして、
それを知るためには、
外にいる神々だけではなく、
自分の内側を見なければならないのではないか。
人々は、儀式をただ捨てたわけではありません。
その儀式の奥には、
いったい何があるのかを、
問い始めたのです。
そうして人々の目は、
祭壇の火から、
人の心の奥へと向かっていきました。
ウパニシャッドは、一冊の本ではない
『ウパニシャッド』という名前の、
一冊の大きな本があるわけではありません。
長い年月の中で、
古代インドの人々が語り伝えてきた、
いくつもの文章の集まりです。
ある篇では、
父が息子に教えます。
ある篇では、
王が賢者に問いかけます。
ある篇では、
少年が死の神を前にして、
人が死んだあとのことを尋ねます。
書き方も、
語り手も、
扱われる話も、
すべて同じではありません。
それでも、
その奥には、
何度も繰り返し現れる問いがあります。
この世界は、
何によって生まれたのか。
命を動かしているものは、
何なのか。
人の中にある「私」とは、
体のことなのか。
息のことなのか。
心のことなのか。
それとも、
もっと深い何かなのか。
人は死んだあと、
どこへ行くのか。
そして、
生まれては死に、
迷っては苦しむこの生から、
抜け出す道はあるのか。
ウパニシャッドは、
こうした問いを、
繰り返し、繰り返し、
見つめていく言葉です。
世界の奥と、自分の奥
ウパニシャッドを読んでいくと、
やがて二つの大きな言葉に出会います。
一つは、ブラフマン。
これは、
目の前に見えているさまざまな物の奥にあり、
世界全体を成り立たせている、
根本のようなものです。
もう一つは、アートマン。
これは、
体や名前や立場が変わっても、
そのさらに奥にある、
本当の自分のようなものです。
世界の奥にあるものと、
自分の奥にあるもの。
この二つは、
まったく別のものなのか。
それとも、
深く深くたどっていけば、
同じ一つのものに行き着くのか。
ウパニシャッドの大きな問いは、
ここへ向かっていきます。
これは、
知識を増やすためだけの問いではありません。
「自分は何者なのか」が変われば、
生きることの見え方も、
死ぬことの見え方も、
苦しみの受け取り方も変わります。
だから古代インドの人々は、
この問いを、
ただの理屈としてではなく、
命にかかわるものとして考えました。
むずかしい本なのか
正直に言えば、
ウパニシャッドは、
そのまま読むと簡単な本ではありません。
神々の名前が出てきます。
古い儀式の話も出てきます。
息、食べ物、心、眠り、死、世界の始まりが、
いきなり一つの話の中で結びついていきます。
何も知らずに読み始めると、
「これは何の話をしているのだろう」
となることもあると思います。
けれど、
問いそのものは、
決して遠いものではありません。
なぜ生きているのか。
死ぬのが怖いのは、なぜなのか。
満たされても、
また何かを欲しがってしまうのは、なぜなのか。
自分の体も、
気持ちも、
暮らしも変わっていく中で、
変わらずに「自分」と呼べるものはあるのか。
こうした問いは、
古代インドの人だけのものではありません。
今を生きる私たちの中にも、
ふと静かな時に、
同じように浮かんでくるものです。
日曜の朝に、古代インドの問いを読む
この連載では、
『ウパニシャッド』に収められた言葉を、
一篇ずつ、
できるだけやさしい日本語で読んでいきます。
難しい言葉を並べて、
分かった人だけが読めるものにはしません。
かといって、
都合のよい言葉だけを抜き出して、
心が軽くなる名言集のようにも扱いません。
古代インドの人々が、
何を恐れ、
何を知ろうとし、
どこに救いを見ようとしたのか。
その流れを、
一つずつたどっていきたいと思います。
日曜の朝、五時。
まだ多くの人が眠り、
一週間の騒がしさが始まる前の時間に。
二千年以上前の誰かが、
命をかけるようにして考えた問いを、
静かに開いてみます。
世界とは、何なのか。
私とは、何なのか。
そして、
この命は、
どこから来て、
どこへ帰っていくのか。
『ウパニシャッド』の連載を、
始めます。
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ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
古い言葉を、今の人にも届く形で残していきたいと思っています。
応援していただけたら、とても励みになります。