見出し画像

チャンドーギヤ・ウパニシャッド第一篇―世界はひとつの音でできている

この本は、
世界を「音」から見つめる本である。

まだ朝の光が、
地の上にやわらかく落ちるころ、
人は考えた。

この世界は、何でできているのか。
土なのか。
水なのか。
空なのか。
火なのか。



チャンドーギヤ・ウパニシャッド第一篇は、
そこへ、ひとつの小さな音を置く。

オーム。

それは、ただの声ではない。
息がそこにある。
言葉がそこにある。
からだがそこにある。
太陽がそこにある。

遠い空も、
人の胸の奥も、
その音の中で、
ひとつにつながっている。

人は、よいにおいもかぐ。
悪いにおいもかぐ。
真実も語る。
うそも語る。
美しいものも見る。
みにくいものも見る。

目も、耳も、言葉も、心も、
この世の風にふれれば、
少しずつ濁ってしまう。

けれど、
その奥に、
まだ濁らないものがある。

命の息である。

それは、食べることを支える。
生きることを支える。
人が人であることを、
静かに支えている。

だからこの篇は、
外の世界だけを見てはいけないと言う。

音を聞け。
息を見よ。
自分の奥にある、
まだ名前のないものを見よ。

同じ祭りをしても、
知って行う人と、
知らずに行う人とは、ちがう。

形だけの歌は、
風にほどける。

中身を知った歌は、
胸の奥で、
しずかに光を持つ。

腹をすかせた犬たちが、
人の祭りをまねて歌う話も出てくる。

おかしくもあり、
少しさびしくもある。

人もまた、
意味を知らずに唱えれば、
ただ腹を満たしたい声になる。

この篇が教えているのは、
むずかしい理屈ではない。

見えるものだけを見ないこと。
聞こえる音の奥を聞くこと。
息の中にある、
生きているものを忘れないこと。

そして最後に、
言葉では言いあらわせないものが残る。

そこに、
いちばん大きなものがある。



KHÂNDOGYA-UPANISHAD.
FIRST PRAPÂTHAKA.
FIRST KHANDA.

チャンドーギヤ・ウパニシャッド
第一篇
第一章


人は、オームという音を、
胸の奥に置くがよい。

それは、ウドギータと呼ばれる。

なぜなら、
ウドギータという歌は、
いつもオームから始まるからである。

この小さな音について、
古い人々は、こう語った。


すべての生きもののもとは、地である。

地のもとは、水である。
水のもとは、草木である。
草木のもとは、人である。
人のもとは、言葉である。

言葉のもとは、リグ・ヴェーダである。
リグ・ヴェーダのもとは、サーマ・ヴェーダである。
サーマ・ヴェーダのもとは、ウドギータである。

そしてウドギータの根に、
オームがひびいている。


このウドギータ、
すなわちオームは、
すべての中でもっともすぐれている。

いちばん高く、
いちばん奥にあり、
いちばん上の座にふさわしい。

そしてそれは、
八番目のものと呼ばれる。


では、リクとは何か。
サーマとは何か。
ウドギータとは何か。

この問いから、
教えは始まる。


リクとは、言葉である。
サーマとは、息である。
ウドギータとは、オームという音である。

言葉と息。
リクとサーマ。

この二つは、
はなれたものではない。


その二つは、
オームという音の中で出会う。

二人が向かい合い、
たがいの願いをかなえるように、
言葉と息も、
ひとつの音の中で結ばれる。


だから、
このことを知って、
オーム、すなわちウドギータを思う人は、
人の願いをかなえる者となる。


この音は、
ゆるしの音でもある。

人が何かを認めるとき、
オーム、と言う。
つまり、よい、と言う。

ゆるすことは、
人を満たすことである。

だから、
このことを知ってオームを思う人は、
人を満たす者となる。


三つの知、
すなわち三つのヴェーダは、
この音によって進んでいく。

祭りの場で、
アドヴァリュという祭司が命じるとき、
オームと言う。

ホートリが唱えるときも、
オームと言う。

ウドガートリが歌うときも、
オームと言う。

祭りは、
この音をめぐって動く。

この音の大きさに支えられ、
その中身によって、
しずかに成り立っている。

10
ここで、
人は思うかもしれない。

知っている人も、
知らない人も、
同じように祭りをしているのではないか、と。

けれど、そうではない。

知っていることと、
知らないことは、
同じではない。

人が、知り、信じ、
深く心を向けて行う祭りは、
ただ形だけの祭りより、
もっと強い力を持つ。

これが、
オームという音についての教えである。



SECOND KHANDA
第二章


むかし、神々とアスラたちは争った。

どちらも、
プラジャーパティの子であった。

そのとき神々は、
オーム、すなわちウドギータを取り、
これによってアスラたちに勝とうとした。


神々はまず、
オームを鼻の息として思った。

けれどアスラたちは、
そこに悪を差し込んだ。

だから人は、
よいにおいも、悪いにおいもかぐ。

鼻の息は、
悪に傷つけられたのである。


つぎに神々は、
オームを言葉として思った。

けれどアスラたちは、
そこにも悪を差し込んだ。

だから人は、
真実も語り、うそも語る。

言葉は、
悪に傷つけられたのである。


つぎに神々は、
オームを目として思った。

けれどアスラたちは、
そこにも悪を差し込んだ。

だから人は、
美しいものも見れば、
みにくいものも見る。

目は、
悪に傷つけられたのである。


つぎに神々は、
オームを耳として思った。

けれどアスラたちは、
そこにも悪を差し込んだ。

だから人は、
聞くべきものも聞き、
聞くべきでないものも聞く。

耳は、
悪に傷つけられたのである。


つぎに神々は、
オームを心として思った。

けれどアスラたちは、
そこにも悪を差し込んだ。

だから人は、
考えるべきことも考え、
考えるべきでないことも考える。

心は、
悪に傷つけられたのである。


そのとき、
口の中にある命の息があった。

神々は、
オームをその命の息として思った。

アスラたちがそこへ近づくと、
みな砕けて散った。

やわらかな土のかたまりが、
固い石にぶつかって砕けるように、
彼らは散った。


だから、
このことを知る人に悪を向けようとする者、
その人を苦しめようとする者は、
自分から砕けてしまう。

その人は、
固い石のようなものだからである。


この口の息は、
よいにおいと悪いにおいを、
区別しない。

それは、
まだ悪にふれていないからである。

人はこの息によって食べ、
この息によって飲む。

そしてその息によって、
ほかの息、
つまり感覚のはたらきも支えられている。

死が近づくと、
人はこの息を見いだせなくなる。

だから、
その人はこの世を去っていく。

死ぬ人が口を開くのは、
まるで最後に、
何かを食べようとするかのようである。

10
アンギラスは、
この口の息を、
オームとして思った。

だから人々は、
それをアンギラスと呼ぶ。

それは、
からだの各部の精であるからである。

11
ブリハスパティも、
この口の息を、
オームとして思った。

だから人々は、
それをブリハスパティと呼ぶ。

言葉は広い。
そしてこの息は、
その言葉の主である。

12
アヤースヤも、
この口の息を、
オームとして思った。

だから人々は、
それをアヤースヤと呼ぶ。

それは、
口からあらわれるものだからである。

13
ヴァカ・ダールビヤは、
このことを知っていた。

彼は祭りで歌う者であった。

そして歌うことによって、
人々の願いをかなえた。

14
このことを知り、
オームを口の中の命の息として思う人は、
歌によって、
すべての願いを得る。

ここまでが、
からだの中から見た、
オームの意味である。



THIRD KHANDA
第三章


さて、
ここからは、
神々の世界から見たウドギータを説く。

人は、オームを、
熱を放つものとして思うがよい。

それは、
空にのぼる太陽である。

太陽がのぼるとき、
すべての生きもののために、
歌い手のように歌う。

太陽がのぼれば、
闇の恐れはしずかに消える。

このことを知る人は、
無知という闇の恐れを、
消すことができる。


この口の息と、
あの太陽とは、
同じものである。

こちらも熱く、
あちらも熱い。

こちらは音と呼ばれ、
あちらはこだまする音と呼ばれる。

だから人は、
オームを、この息としても、
太陽としても思うがよい。


つぎに人は、
オームをヴィヤーナとして思うがよい。

上へ出る息は、プラーナである。
下へ行く息は、アパーナである。

この二つが合わさったものが、
ヴィヤーナである。

それは、
息をとどめるはたらきである。

このヴィヤーナが、
言葉である。

だから人は、
言葉を発するとき、
上にも下にも息を動かさない。


言葉はリクである。

だからリクを唱えるとき、
人は息を上下させない。

リクはサーマである。

だからサーマを唱えるときも、
人は息を上下させない。

サーマはウドギータである。

だからオームを歌うときも、
人は息を上下させない。


力を必要とする行いも、
これと同じである。

火を起こすとき、
走るとき、
強い弓を張るとき。

人はそのとき、
息を上下させずに行う。

だから人は、
オームをヴィヤーナとして思うがよい。


つぎに、
ウドギータという言葉の一つ一つの音を、
思うがよい。

ウは息である。
息によって、人は立ち上がる。

ギは言葉である。
言葉はギラと呼ばれる。

タは食べもの、
つまり支えるものである。

食べものによって、
すべては保たれる。


ウは天である。
ギは空である。
タは地である。

ウは太陽である。
ギは風である。
タは火である。

ウはサーマ・ヴェーダである。
ギはヤジュル・ヴェーダである。
タはリグ・ヴェーダである。

このことを知って、
この音を思う人には、
言葉はその人に乳を与える。

その人は食べものに満ち、
食べる力を持つ。


つぎに、
願いがかなう道を説く。

人は、
近づくべきものを、よく思うがよい。

歌う者は、
これから歌うサーマを、
すばやく心に置くがよい。


そのサーマが、
どのリクから出ているかを思う。

そのリクを見た者、
作った者を思う。

これからたたえる相手を思う。

10
その歌の形を思う。

どの調べで歌うかを思う。

11
どの方角に向けて歌うかを思う。

そして最後に、
自分自身を思う。

名を思う。
家を思う。
立場を思う。

そうして、
願いを心に抱き、
まちがいなく歌うがよい。

そうすれば、その願いは、
すみやかにかなえられる。

その人のために、かなえられる。
たしかに、かなえられる。



FOURTH KHANDA
第四章


人は、
オームという音を思うがよい。

ウドギータは、
オームから始まって歌われる。

これが、
オームについての教えである。


神々は、死をおそれた。

そこで、
三つの知、
すなわち三つのヴェーダの中へ入った。

そして詩の形をした言葉で、
自分たちをおおった。

おおうもの。

その意味から、
それらの詩はチャンダスと呼ばれた。


しかし死は、
神々を見つけた。

水の中の魚を見つけるように、
リクの中にいても、
ヤジュスの中にいても、
サーマの中にいても、
死は神々を見つけた。

神々はそれを見て、
そこを離れた。

そして、
オームの中へ入った。


人がリグ・ヴェーダを学び終えると、
大きな声でオームと言う。

サーマでも、
ヤジュスでも、
同じようにオームと言う。

このオームは、
こわれないもの、
死なないもの、
恐れのないものである。

神々はそこへ入ったので、
死なず、恐れなくなった。


このことを知って、
はっきりとオームを発する人は、
その同じものの中へ入る。

こわれないもの。
死なないもの。
恐れのないもの。

そこへ入ることで、
神々と同じように、
死なない者となる。



FIFTH KHANDA
第五章


ウドギータはプラナヴァである。

プラナヴァはウドギータである。

そして、
ウドギータが太陽であるように、
プラナヴァもまた太陽である。

なぜなら太陽は、
オームとひびきながら、
空を進むからである。


「わたしは、それをたたえた。
だからおまえは、
わたしのただ一人の子である」

カウシータキは、
自分の子にそう言った。

「その光を広げなさい。
そうすれば、
多くの子を持つことができる」

これは、
神々の世界から見た話である。


つぎに、
からだの中から見た話である。

人は、
ウドギータを、
口の中の息として思うがよい。

その息は、
オームとひびきながら動くからである。


「わたしは、それをたたえた。
だからおまえは、
わたしのただ一人の子である」

カウシータキは、
自分の子にそう言った。

「もし多くの子を望むなら、
その息を、
多くのものとしてたたえなさい」


ウドギータはプラナヴァであり、
プラナヴァはウドギータである。

このことを知る人は、
歌う者の儀式の中で、
もし誤りがあっても、
それを正すことができる。

たとえそれが、
ウドギータの歌の中で起きた誤りであっても、
正すことができる。



SIXTH KHANDA
第六章


リクは、この地である。
サーマは、火である。

このサーマは、
このリクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。

サーは地であり、
アマは火である。

それで、サーマとなる。


リクは空である。
サーマは風である。

このサーマは、
このリクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。

サーは空であり、
アマは風である。

それで、サーマとなる。


リクは天である。
サーマは太陽である。

このサーマは、
このリクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。

サーは天であり、
アマは太陽である。

それで、サーマとなる。


リクは星である。
サーマは月である。

このサーマは、
このリクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。

サーは星であり、
アマは月である。

それで、サーマとなる。


リクは、
太陽の白い光である。

サーマは、
その光の中にある、
深い青い暗さである。

このサーマは、
リクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。


サーは白い光であり、
アマは深い青い暗さである。

それで、サーマとなる。

さて、
太陽の中に見える、
金色の人がいる。

その人は、
ひげも髪も金色で、
つめの先まで、
すべて金色である。


その人の目は、
青い花のようである。

その名は、ウットである。

それは、
すべての悪の上へ、
すでにのぼった者という意味である。

このことを知る人もまた、
すべての悪をこえてのぼる。


リクとサーマは、
その人のからだのつなぎ目である。

だからその人は、
ウドギータである。

そしてその人をたたえる者は、
ウドガートリと呼ばれる。

その人は、
この太陽の向こうにある世界の主である。

そこにいる神々の願いを、
すべて治める者である。

ここまでが、
神々の世界から見た話である。



SEVENTH KHANDA
第七章


さて、
ここからは、
からだの中から見た話である。

リクは言葉である。
サーマは息である。

このサーマは、
このリクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。

サーは言葉であり、
アマは息である。

それで、サーマとなる。


リクは目である。
サーマは自己である。

このサーマは、
このリクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。

サーは目であり、
アマは自己である。

それで、サーマとなる。


リクは耳である。
サーマは心である。

このサーマは、
このリクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。

サーは耳であり、
アマは心である。

それで、サーマとなる。


リクは、
目の白い光である。

サーマは、
その光の中にある、
深い青い暗さである。

このサーマは、
リクの上に成り立っている。

だからサーマは、
リクによりかかって歌われる。

サーは白い光であり、
アマは深い暗さである。

それで、サーマとなる。


さて、
目の中に見える人がいる。

その人はリクである。
サーマである。
ウクタである。
ヤジュスである。
ブラフマンである。

その姿は、
太陽の中にいるあの金色の人と同じである。

からだのつなぎ目も同じであり、
名もまた同じである。


その人は、
この世界の下にあるものの主である。

そして人の願いを、
すべて治める者である。

だから、
竪琴を弾いて歌う人たちは、
その人を歌っている。

またそこから、
富を得ている。


このことを知ってサーマを歌う人は、
二つの面を同時に歌っている。

神々の世界の面と、
からだの中の面である。

その人は、
一方によって、
上の世界と神々の願いを得る。


そしてもう一方によって、
下の世界と人の願いを得る。


だから、
このことを知る歌い手は、
こう言うことができる。

「どの願いを、
この歌でかなえようか」

このことを知って歌う人は、
歌によって願いをかなえる。

その歌によって、
たしかにかなえる。



EIGHTH KHANDA
第八章


むかし、
ウドギータに通じた三人の人がいた。

シーラカ・サーラーヴァティヤ。
カイキターヤナ・ダールビヤ。
プラヴァーハナ・ガイヴァリ。

三人は言った。

「われらはウドギータをよく知っている。
では、ウドギータについて語り合おう」


三人はうなずき、
すわった。

そのとき、
プラヴァーハナ・ガイヴァリが言った。

「あなたがた二人が、先に話してください。
私は、二人の学者の話を聞きたい」


そこで、
シーラカ・サーラーヴァティヤが、
ダールビヤに言った。

「では、あなたに問おう」

「問うがよい」

ダールビヤは答えた。


「サーマのもとは何か」

「音である」

「音のもとは何か」

「息である」

「息のもとは何か」

「食べものである」

「食べもののもとは何か」

「水である」


「水のもとは何か」

「かの世界、
すなわち天である」

「では、その天のもとは何か」

彼は答えた。

「サーマを、
天の外まで追い出してはならない。

サーマは天にあるものと考えるべきである。

なぜなら、
サーマは天としてほめられているからである」


するとシーラカは、
ダールビヤに言った。

「ダールビヤよ。
あなたのサーマは、
まだしっかり立っていない。

もし誰かが、
『おまえの言うことが間違っているなら、首が落ちる』と言ったなら、
いま、あなたの首は落ちていただろう」


ダールビヤは言った。

「では、あなたから教えてほしい」

「よろしい」

シーラカは答えた。

「その天のもとは何か」

「この世界である」

「では、この世界のもとは何か」

彼は答えた。

「サーマを、
この世界の外まで持ち出してはならない。

サーマはこの世界に休んでいると考えるべきである。

なぜなら、
サーマは休みとしてほめられているからである」


すると、
プラヴァーハナ・ガイヴァリが言った。

「サーラーヴァティヤよ。
あなたのサーマには、
まだ終わりがある。

もし誰かが、
『おまえの言うことが間違っているなら、首が落ちる』と言ったなら、
いま、あなたの首は落ちていただろう」

サーラーヴァティヤは言った。

「では、あなたから教えてほしい」

「よろしい」

ガイヴァリは答えた。



NINTH KHANDA
第九章


「この世界のもとは何か」

「空である」

彼はそう答えた。

すべてのものは、
空から生まれる。

そして、
空へ帰っていく。

空は、
これらすべてよりも古く、
また、すべてのよりどころである。


それこそが、
ウドギータである。

すなわち、
オームであり、
ブラフマンである。

それは、
大いなるものより、
さらに大きい。

終わりがない。

このことを知って、
ウドギータを思う人は、
大いなるものより大きいものを得る。

そして、そのような世界を、
自分のものとする。


アティダンヴァン・シャウナカは、
この教えを、
ウダーラ・サーンディリヤに伝えた。

そして言った。

「あなたの家で、
このウドギータを知る人がいるかぎり、
その人たちのこの世の生は、
大いなるものよりも大きくなる」

「そして、
あの世の生も、
同じように大いなるものとなる」

このように、
ウドギータを知り、
そのように思う人は、
この世の生も大きくなり、
あの世の生も大きくなる。

あの世においても、
たしかに大きくなる。



TENTH KHANDA
第十章


クル族が、
石のような雹に打たれたとき、
ウシャスティ・カークラーヤナは、
若い妻とともに、
イブヤ村で物乞いをして生きていた。


あるとき、
彼は、裕福な人が豆を食べているのを見た。

そしてそれを求めた。

その人は言った。

「ここにあるものしかない。
これは、わたしのために取っておいたものだ」


ウシャスティは言った。

「それを分けてくれ」

その人は豆を与えた。

そしてさらに言った。

「飲みものもあるぞ」

けれどウシャスティは言った。

「それを飲めば、
人の残したものを飲むことになる。
それは清くない」


その人は言った。

「では、その豆も、
残りものではないのか」

ウシャスティは答えた。

「いや、ちがう。
食べなければ、
生きていけなかった。

しかし水を飲むのは、
ただの好みである」


ウシャスティは豆を食べた。

そして残った豆を、
妻に与えた。

けれど妻は、
もう食べていたので、
それを受け取り、取っておいた。


つぎの朝、
ウシャスティは言った。

「もし食べものがあれば、
少しは力が出て、
報酬も得られるだろう。

ここで王が祭りをしようとしている。
もしわたしが選ばれれば、
祭司の役をすべてつとめることができる」


妻は言った。

「見てください。
あなたの豆が、ここにあります」

ウシャスティはそれを食べ、
祭りの場へ向かった。


彼は祭りの場へ行き、
歌い手たちの近くにすわった。

そして、
歌いはじめようとする者に言った。


「あなたが、
その歌に関わる神を知らずに歌おうとするなら、
あなたの首は落ちるだろう」

10
彼は、
別の歌い手にも同じように言った。

「その歌に関わる神を知らずに歌おうとするなら、
あなたの首は落ちるだろう」

11
さらに別の者にも言った。

「その歌に関わる神を知らずに歌おうとするなら、
あなたの首は落ちるだろう」

すると彼らは、
歌うのをやめ、
だまってすわった。



ELEVENTH KHANDA
第十一章


そのとき、
祭りを行う人が彼に言った。

「あなたは、どなたですか」

彼は答えた。

「わたしは、
ウシャスティ・カークラーヤナである」


その人は言った。

「あなたを、
この祭りの役のために探していました。

しかし見つからなかったので、
ほかの人を選びました」

「ですから今からでも、
すべての役を引き受けてください」

ウシャスティは言った。

「よろしい。

だが、この人たちは、
わたしのゆるしのもとで、
歌をつとめなさい。

そして彼らに与えるだけのものを、
わたしにも同じだけ与えなさい」

その人は、
これを認めた。


すると、
はじめに歌う者が近づいて言った。

「あなたは言いました。
神を知らずに歌えば、
首が落ちると。

では、その神とは何ですか」


ウシャスティは言った。

「命の息である。

すべてのものは、
息に帰る。

そして、
息から生まれる。

これが、
その歌に属する神である。

もしこれを知らずに歌っていたなら、
警告されたあとで、
首は落ちていただろう」


つぎに、
歌い手が近づいて言った。

「あなたは言いました。
神を知らずに歌えば、
首が落ちると。

では、その神とは何ですか」


ウシャスティは言った。

「太陽である。

すべてのものは、
高くのぼった太陽をたたえる。

これが、
その歌に属する神である。

もしこれを知らずに歌っていたなら、
警告されたあとで、
首は落ちていただろう」


つぎに、
別の者が近づいて言った。

「あなたは言いました。
神を知らずに歌えば、
首が落ちると。

では、その神とは何ですか」


ウシャスティは言った。

「食べものである。

すべてのものは、
食べることで生きている。

これが、
その歌に属する神である。

もしこれを知らずに歌っていたなら、
警告されたあとで、
首は落ちていただろう」



TWELFTH KHANDA
第十二章


さて、
ここに犬たちのウドギータの話がある。

ヴァカ・ダールビヤ、
またの名をグラーヴァ・マイトレーヤという者が、
静かな場所に出て、
ヴェーダを唱えていた。


すると、
一匹の白い犬が現れた。

そのあとに、
ほかの犬たちも集まってきた。

犬たちは彼に言った。

「どうか歌って、
わたしたちに食べものを得させてください。

わたしたちは、
おなかがすいています」


白い犬は、
ほかの犬たちに言った。

「明日の朝、また来なさい」

ヴァカ・ダールビヤは、
その様子を見ていた。


つぎの日、
犬たちはやって来た。

それぞれが、
前の犬のしっぽを口にくわえ、
ひとつの列になっていた。

それは、
祭りで歌う人たちが、
列になって進むときのようであった。

犬たちはすわると、
ヒン、と声を合わせた。


「オーム、食べよう。
オーム、飲もう。

オーム、神なるヴァルナよ。
プラジャーパティよ。
サヴィトリよ。

わたしたちに食べものをもたらしてください。

食べものの主よ。
ここに食べものをもたらしてください。

もたらしてください。

オーム」



THIRTEENTH KHANDA
第十三章


ハウという音は、この地である。

ハイという音は、空気である。

アタという音は、月である。

イハという音は、自己である。

イーという音は、火である。


ウーという音は、太陽である。

エという音は、呼びかけである。

アウホイという音は、すべての神々である。

ヒンという音は、プラジャーパティである。

音そのものは、息である。

ヤという音は、食べものである。

ヴァークという音は、ヴィラージである。


そして、
第十三の音がある。

はっきりしない、
フンという音である。

それは、
言いあらわせないものをあらわす。

すなわち、
最高のものである。


このように、
サーマの秘密を知る人には、
言葉がその乳を与える。

その人は、
食べものに満ちる。

そして、
食べる力を持つ。

食べる力を、
たしかに持つ。

いいなと思ったら応援しよう!

タオ ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 古い言葉を、今の人にも届く形で残していきたいと思っています。 応援していただけたら、とても励みになります。