ー夏の里庭と友達ー
※magazine「夏のソラノエ」より
少し前に、滋賀の奥比良に暮らす友人から季節の便りが届いた。
添えられていた写真には、手のひらの上で、2匹の玉虫がキラキラと輝いている。
法隆寺の玉虫厨子にまで及ばなくてもいいが、その煌めく輝きは古代から愛され、大切にされ、権力者のみではなく庶民の暮らしの中でも特別な存在であった。
「女性は恋がかなう」、「箪笥にいれておくと着物が増える」、「幸せになれる」などと言われ、縁起の良い虫とされてきた。
キャンプが好きな(だった)私は、森の中で何度かその姿を見ているが、生涯のほとんどを樹上で暮らす彼らとは、なかなか出会うことはない。
その妖艶で金属的に輝く複雑な色合いにいつも魅入ったものである。
奥比良の深い自然に抱かれた、友人の素敵な暮らしに想いを馳せる。
毎日のように、「ふーん。そうなんだ」と思うことがある。発見というほどのものではないが、新鮮な感覚を覚えることがある。
今朝もそんなことがあった。
庭の花達とお喋りをしていたら、「ムーン、ムーン」という小さな音がする。
耳鳴りのような気がして首をひねると、ラベンダーの花穂を渡り歩く一匹のミツバチがいた。
別に珍しい光景ではない。この時期になると、毎年どこからともなくやってくる。
「あれ、ミツバチの羽音って、ブンブンじゃなかったっけ」と、長年勝手に思い込んできた自分を少し笑った。
「ふーん。そうなんだ」と思いながら、「いや、最近のミツバチは変わってきたのかも」と無理矢理ミツバチの所為にしだす自分もいた。
恥ずかしい。
ところが、突然次の音が聞こえてきた。今度は「ヴォーン」だ。又首をひねると「グアッシャ、ギュッ」と来た。しかも私の肩辺りから聞こえる。慌てて振り払おうとしたら、なんと腕に何かがしがみついてきた。
春にも「小枝」と「山ミミズ」を間違う事件があったが、今度はいきなり怪獣クラスの触感だ。話のレベルが違う。
怪獣が、私の肩から腕へゆっくりと、しかし大胆に歩き出し近づいて来る様子を感じる。
そして、その姿がいよいよ視界に入ると、しばし、じっとにらみ合いながら互いの存在を確かめ合った。
そして、そのすましたような顔をよくよく見ると、なんと、それは懐かしいお友達ではないか。
しかし、顔は怪獣だ。
「よう、久しぶりだなぁ」と声を出し挨拶をした。
彼の名は「ツヤハダゴマダラカミキリムシ」である。玉虫に負けない美しい虫である。黒地にふぞろいの白い斑点模様をあしらったマントを翻しながら、挨拶がてらにあちこち私の腕を嚼んで歩いて行く。
「もう、挨拶はその辺でいいから」と言いながらつまみ上げた。
そして、しばらく手のひらの上で二人で遊ぶと、彼はあっさりと、「じゃ、またな」と言い、ヴォン、ヴォン吹かしながら飛んで行った。
里山ならぬ、都会の里庭での、午後のささやかな出来事である。
花や虫たちとのスローライフが愛おしいのは、あまりにもファストライフな世の中へのささやかな心の抵抗かもしれない。抵抗は不安という言葉に姿を変えてくる。
未来の不確実性に反するように、今を懸命にただ生きようとする者たち。
自分も又自然の一部なのだろう。
「このままでよいのだろうか」という静かな問いが漂流する。
奥比良の友人に便りを送ろう。
ありがとう。虫さん達。花さん達。
「夏のソラノエ」篇より-
※この記事はマガジン内「夏のソラノエ」に収録されています。
※マガジンには「春のソラノエ」、「学校とソラノエ」のテーマ別に詩とエッセイ、教育エッセイを収録しています。
※それぞれ表現は異なりますが全てソラノエ塾の視点からのものです。



