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エッセイ|友達の「引き潮」に立ち止まる話


こんにちは、ナツです。
いつもスキやフォローありがとうございます。


ふとLINEのトーク一覧をスクロールして、
指が止まる瞬間があります。
かつては毎日のようにくだらないスタンプを送り合っていた親友の名前が、
ずいぶん下の方に沈んでいました。

最後に交わした言葉は、
半年前の「落ち着いたら飲もうね」。

お互いに、いつその「落ち着く日」が来るのかも分からないまま交わした、大人の社交辞令。

30代。
私たちの周りからは、あんなに賑やかだった「友達」という存在が、
まるで潮が引くように静かに減っていく時期があるようです。


「おめでとう」のあとに引かれた、見えない境界線

20代の頃は、みんな同じ地平線を走っていた気がします。
仕事の愚痴を言えば「わかる!」と即答が返ってきたし、
週末の予定は金曜の夜に決まっていました。

けれど、30代は残酷なほどに
「ライフステージ」という言葉が牙を剥きます。

結婚した子、子供が生まれた子、
キャリアアップに命を懸ける子、地元に帰った子。


かつての共通言語だった「最近どう?」という言葉が、
いつの間にか地雷原を歩くような、妙な気遣いを含み始めます。


SNSで流れてくる「誰かの幸せの形」は、
心からおめでたいはずなのに、
今の自分と比較してしまって、そっとアプリを閉じる。
そんな夜が、私にも何度もありました。


寂しさの正体は、自分自身の変化

「友達が減った」という事実に気づいた時、
一番怖いのは「自分に魅力がなくなったのではないか」という不安かもしれません。

でも、最近はこう思うようにしています。
友達が減ったのは、私たちが冷たくなったからでも、
見捨てられたからでもない。
ただ、自分の人生を生きることに、
みんなが精一杯になっただけなのだ、と。


昔は、相手に合わせて自分を削る余裕がありました。
深夜までの長電話に付き合ったり、
あまり乗り気ではない誘いにも「付き合いだから」と顔を出したり。

今の私たちは、もうそんな風に自分を安売りできないほど、必死に毎日を回しています。

限られた時間、限られた体力。
それをどこに注ぐかを選び取っていった結果、
削ぎ落とされて残ったのが「今の自分」なのだと思うのです。


広く浅い海より、静かに湧く泉

確かに、アドレス帳を整理されたような寂しさはあります。
でもその分、今も変わらず隣にいてくれる人の顔が、
驚くほど鮮明に見えるようになりました。

一年に一度の連絡でも、
会えば一瞬で10年前に戻れる幼馴染。

ライフステージが変わっても、
「そんなの関係ないよ」と笑い飛ばしてくれる悪友。

30代の友情は、量より質。
100人の知り合いより、一人の「わかってくれる人」。

それだけで、案外、人生の後半戦は戦っていける気がするのです。


最後に:ナツの想い

友達が減ったなと思う日は、
きっと、自分が自分の人生に集中し始めた証。

無理に繋ぎ止める必要はないし、
去っていく背中を過剰に悲しむ必要もありません。

いつかまた、お互いの人生がふとした拍子に重なる日が来るかもしれない。
その時「色々あったけど、今はこんな感じだよ」って
今よりいい顔で報告できたら、それはとても素敵なことだと思うのです。


夕暮れ時、少しだけ広くなった自分の部屋で、
お気に入りのコーヒーを淹れる。
静かだけれど、これはこれで、悪くない。

忙しいと、「好きなこと」はどこかに隠れちゃう。
でも、今のあなたの隣に残っているその人は、
きっと一生モノの宝物です。



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