平成漫画探訪~capeta(カペタ)~完全版
月刊少年マガジン作品「capeta」とは、曽田正人の漫画、およびそれを原作とするアニメ(capeta=ポルトガル語でいたずらっ子)
「め組の大吾」「シャカリキ」で有名な曽田正人のモータースポーツ漫画(単行本は全32巻)
日本大学藝術学部デザイン学科インダストリアルデザインコース中退。
作者の伝説に「はじめの一歩」作者のアシスタント募集を知り、採用されるも、その才能所以から「君は明日から来なくていい」とわずか1日で返された逸話。
※「シャカリキ」は高校生がロードレースに賭ける情熱を描いたスポーツ漫画(ツールド沖縄がラストステージ)
「カート」レースから始まり、架空のカテゴリーもあるがプロのレーサーとして「フォーミュラマシン(F3)」でのレースに挑むまでステップアップする過程やスポンサーとの関係が描かれており、日本のモーターレースやそれに関わる多様な業種の人々の現状が描写された稀有な漫画作品である。
【ストーリー】
幼い時に母を亡くした平勝平太(通称・カペタ)は、仕事が忙しい父に対して、気丈にふるまうものの、友人の安藤伸(通称・ノブ)や鈴木茂波(通称・モナミ)と遊びながら、退屈な日々を過ごす小学4年生。
カペタの唯一のあこがれといえば、かっこいいクルマ…。
そんなある日、父が仕事先から持ち帰った“ある物”が、カペタの運命を大きく変え、これが彼の運命を大きく変えるものとなり、彼を未来の“戦場”へと導いていく!!
【成長に欠かせな終生ライバルの存在】
幼き時代に出会い、終生のライバル源 奈臣(みなもとなおみ)。
幼少期からF1ドライバーになるべく英才教育を施され、プロ意識が高く、才能と経験から優れた運転技術を見せ、レース業界から高い評価を得ている。
主人公(カペタ)に対しては天才的なセンスを認めているが、「環境作り(勝てる車輛提供やスポンサード)」の努力が足りないと不満を感じていた。
意外と知らない「モータースポーツ」の世界を、トヨタやホンダのレーシングスクールの協力や協賛パーツ会社のスポンサードなど「才能があればF1に乗れる」と安易に考えるクルマ好きやバイク乗りに厳しい現実を突きつける作品でもある。
フィギュアスケートと同様に幼稚園辺りから取り組み始める。
機材(マシンやパーツ、燃料)やコース使用料、遠征宿泊費など1000万円近くかかる(貴族の遊びで始まり、富裕層がスポンサーにならないとダメ)
※実際に自分が29歳の頃、カートコースでNSR80でスポーツ走行していた時、3~5歳のまだ未就学児がポケバイに乗り、スクーターに乗った父親が伴走していた。
正しく昭和時代のスポ根漫画「巨人の星」と同じく、息子は哭きながら、父親が「もう一度にバイクに乗れ!」「ブレーキタイミングが遅い」と叱責していた光景を目にした。
”公道最速理論・ドリフト走行で一大旋風を巻き起こした某漫画”を意識したのか?
作中で主人公のチーム監督が「ドリフトなんざ、あんなのは峠の小僧がやるもんだ。サーキットはグリップ走行が一番タイムが出る」と皮肉っている。
無論国内現役のフォーミュラ選手権レーサーにも取材しているのでフィクションではない。
(加筆分)
※その漫画(公道最速理論・ドリフト走行)の作者関連作品は以降取り上げることはございません。
念のため。
末巻の取材・協力の関係者の多さが「この作者なら我々モータースポーツ関係者の心情を正しく物語にしてくれる」と願ってかなり踏み込んだ内容まで教えてくれること、業界関係者の信頼を得ている証拠。
作者の取材対象者の発する情報(業界知識や極限状態のメンタル面まで)をまるで「病状を問診する医師」の如く、正確に真意を汲み取り、脳内で漫画のコマ割りと最適な台詞を使い、最期に表現力(作画)で反映させていく。
取材される側も一般人に説明した場合「ルール」や「専門用語」など詳しくないので理解されない前提で取材を受ける。
そんな対象者に詳しく説明しても、「暖簾に腕押し」で興味・関心を抱いてくれない(例えるなら自動車ディーラーの販売員や整備士の説明や部品交換した理由をどれだけ聞いて理解している? 大抵の者は理解できない)
取材者の発した言葉が正しく伝わらず、「曲解」して受け止め、知識不足ゆえ「決めつけられる」ことが良くある(打ち合わせの編集者も同様)
これは「医療マンガ」にも同様に言える。
昔の医療マンガは読者に誤った情報を与え、「それを信じてしまう読者がいる。間違った情報が誤解を生む」と医療界からクレームを受けて以降、キチンと「監修者」をつけて作品をつくるようになった。
それまでは酷かったからなあ…
「作者の魂のこもった線」が、”第二の感情”として読み手と取材関係者や現役レーサーに響いて行く。
実際に手に取った漫画を読み、自分達業界関係者のことが正しく作品に反映される歓びは胸中を察するとこちらも嬉しくなる。
そうやって新たな協力者が快く取材を快諾していかないとここまで踏み込めない。
別作品で「メダリスト」の作者、つるまかいだ氏もフィギュアスケート観戦が趣味ながら、ヒット作。
取材したコーチや現役選手の協力、果てはフィギュアスケート連盟の全面バックアップ、さらに世界フィギュアスケート連盟推奨漫画になっている。
アニメEDは作品のファンである米津玄師がEDの尺に合うように原曲を持ち込み、MVはこれまたファンである羽生結弦選手が出演した。
”推し”の熱量が作品を推し上げる。
ドライビングスクールでドライブしたマシンの「セッティングを変更したか?」とその違いを研修生にテスト、採点するシーンがある。
「身体(五感)」で感じて、”どこをどのように変更”したか?
”その違い”が分からないと高額なマシンやタイヤ、コース利用料が無駄でしかない、とスクールの教官たちは冷徹に告げる。
脳が優秀でないと最新技術やタイヤなどパーツの最適な使い方を理解して使いこなせない。
(加筆分)
一部の旧態依然(不祥事の多い)としたスポーツと違い、レベルが上がれば専門家のサポートは必要不可欠になる。
高校レベルの基礎学問を当たり前に身に付けないと、それら最新で専門的なドライバーズマニュアルやエンジニアの説明を理解できないレベルに現在はなっている。
工業高校でも「相撲>柔道>空手>サッカー>野球」の順で成績(実習含む)がかなり悪かった。
スポーツでも「脳のスペック」次第で成長に頭打ちが訪れる。
その時に壁を打ち破る「明確な指針と理論」を自分で思いつかないといけない、レース中刻々と変化する状況で打開策を思いつかないといけない。
自分でも自身の身体のコンディションや集中力や体力の変化、マシンの燃料や平均燃費、タイヤの残量(みぞの深さ)などを絶えず気にしながらバイクを運転する。
コンビニで売られている怪しいカスタム雑誌を読んで峠道をドリフトして喜んでいる「走り屋」とは対照的だ。
最初から恵まれた環境のスタートではなく、父親が拾ってきた旧い廃棄寸前のオンボロカート(エンジン無し)と父親の会社で使ってない発電機用エンジンを組んでレースデビュー。
この時のデビューWINの想い出が最終モナコGPレース中に活きてくる。
”マイナス”からのスタートを主人公は「不遇な環境」のせいにせず「頭脳」を使って勝利を重ねる(ライバルは自チーム所属/スポンサーあり)
その「一番速く、運転が巧いドライバーになりたい」
意志がやがて周囲に協力する人達を引き寄せていく。
廃棄寸前のフレームを騙し騙し使用していたが、実績を見込まれ、待望のワークス待遇を得る。
ここからはやっとレース漫画らしく(そのカテゴリーだけの)ライバルと凌ぎを競う。
カート時代は圧倒的速さ(コースレコード樹立)を見せつけてゴールする。
カートで実績を遺し、もう一つ上のカテゴリーに親友の機転でエントリー。
レーシングスクールの学費もカペタの父親の会社社長が出す。
回想場面で小さな会社ながら大手の傘下に入ることを良しとせず、入札が取れないなど苦しい過去の話を想い出す。
小学生のまだ小さいカペタを知っており、一番最初にカペタに自分を重ねて夢を託す。
ドライバー養成スクールの入校費用を社長が拠出する最初のスポンサー。
某レーシングスクールのセレクション(模擬レース)でカペタはマシンを他車と接触させて破損させてしまう。
無論破損した場合、マシンの請求額を即計算、実費請求される。
まだ高校生の主人公が弁償できる金額(200万円!)ではない。
まだ模擬レース最中に平常心を保ち、レースにまた復帰できるか?
その時父親が息子の覚悟を確認する。
借金(200万円)を肩代わりしてカペタに諦めるか?
それとも自分の素質(未来)を信じて続行するか?選択させるシーンがある。
もう一人の研修生は借金の金額にレースを棄権、去っていく。
密かにカペタの素質(同じ匂い)を察したFポン王者からアドバイスを貰ったり、スクールのオネエ口調のお偉いさんの密かな期待とバックアップが始まる。
この時から「人を魅了する・何かしてあげたい」とカペタに期待させる描写が始まる。
単に「ドライビング」だけでなく、フィジカルをスポーツアスリート並みに鍛え、エンジニアとデータを分析、理詰めでサーキットコースとライバルを攻略して勝ち星を積みあげていく。
やがてチームやパーツサプライヤー、スポンサーから「自分に夢を託される」ことの重責を勝利する原動力に代えていく。
スクールで優秀な成績を出し、源奈臣(みなもとなおみ)は新型車&最新パーツのワークス体制チーム、カペタはサテライトチームとまたハンデのスタートが始まる。
主人公が卸したてのニューマシンを最初のデビューレースの予選中、他車と接触破損させて破損させてしまう。
そのマシンをメカニックが徹夜で治してくれる。
自分がマシンを壊したせいで、チームに迷惑を掛けてしまったと謝罪、以降マシンを大事にする。
(加筆分)
不利な体勢ながらハンデを監督(オーナー)とのコンビで跳ね返していく。
やがてメーカーから最新パーツの供給を受けるまで期待される。
しかしレースを1年戦う資金が底をつき、監督(オーナー)は中断を決意。
だが、カペタは諦めなかった。
「スポンサーを募ろう!」
ここでモータースポーツが如何に「個人の手出し」では継続ができないか、”金食い虫”なのかがわかる。
タダでさえ「モータースポーツ」という社会的認知が低い、費用対効果を実感しずらいスポーツに数百~数千万スポンサードすることの難しさがある。
上記「才能があればF1やワークスマシンに乗れる」と安易に発言する人間には、永遠にスポンサードされる人間的魅力や素質はない。
「この乗り子なら..」と思わせる将来性(素質とセンス)、人を魅了する人間性を有してないと無理。
しかも公道で暴走し、社会的に受け入れられない行為をやる者を一体誰がサポートしたいとおもうだろうか?
レース資金の為にスポンサーを獲得するべく、全国のディラー(販売店の社長)を招待、目の前で才能を魅せてスポンサーを増やしていく。
スポンサードだけでなく、「周囲の期待や夢」も背負って走る。
「プロ」とは何か?
自分の一挙手一投足でスポンサーに迷惑を欠け、「ブランドイメージ」を堕としてしまう。
そこまでスポンサードする側も丁寧に描写するのは好感が持てる。
(加筆分)
よく不祥事をおこしたプロアスリートが謝罪会見で「結果で取り戻します(証明します)」とぬけぬけと言う。
本当にスポンサーの支援や応援を実感していれば、
「最初から不祥事は起こさない」
はずだ。
中学・高校時代から指導者以外の大人と断絶された子どもは、カルト宗教信者と同じようなもので、自分達が「どこか社会とズレている」ことを認識できない。
capetaではその辺の描写もしっかりとレース監督(オーナー)から指摘されている描写がある。
”勝負”には『運』が雌雄を決することもある。
日頃の発言や態度を見て神様は味方するか判断する。
全国に出場する強豪校が大会出場中、よく挨拶して礼儀正しく滞在、チェックアウト前に宿泊施設内外を全部員で「徹底的に清掃」する理由はここにある。
(加筆分)
自分が唯一「私立高校を卒業して良かった」と感じることだ。
それ以外は「部活最優先で学業は後回しのクラスメート」という環境と就職しても直ぐ辞めるので「定着率が低く、良い企業とのパイプがない」ことにはうんざりした。
神頼みはその時だけ頼ってはダメで、家にいる時や寝ている時以外の行動と発言が揃って初めて効力を発揮する。
ただの「モータースポーツ」漫画ではなく、しっかりと「レーサーの恋愛事情」も描かれている。
主人公に密かに想いを寄せる同じクラスの「お嬢様」タイプと、レーシングスクールで出逢い、最初はライバルと認識していた「宝塚系」タイプがCaféで主人公不在で直接対峙する。
「お嬢様」は”自分の想像できない、世界(欧州)に出ていこう”とする主人公を理解できない、と発言する。
「そんなにしてまで、F1のナニがいいんですか?」
「行っちゃうんですね..ヨーロッパに..平くんは…」
逆に「宝塚系」は「お嬢様」にこう返す。
『あたしはカペタ君が好き。日本とヨーロッパで別れ別れになるくらいでショックを受けるような、その程度の「好き」であたしの前に現れないで』
『あたしなら彼の”ソウルメイト”になれるわ。あんたと違ってあたしはなれる。どんなに離れていたってカペタ君の”人生のパートナー”に!!』
『遠く離れていてもあたしの心はカペタ君と共にあるわ!』
勝負あり…ここから解散した「宝塚系」の独白が続く。
「信じてる キミが今年のマカオを制覇するのを」
最終話の祝勝会で「宝塚系」が告白し、目出度くカップルとなる。
自分が高校の時「あげまん」という伊丹十三作の邦画を知っており、男をダメにするさげまん女と交際して落ちぶれていったスポーツ特待生を幾人も見てきた。
自分が「いま何を優先するべきか?」自覚している者は、低レベルな異性に惑わされない。
(加筆分)
「お嬢様」みたいな「わたしのきもち最優先」が増え、自分の思う通りにならないと機嫌を損ね、男を振り回す女性が平成中期以降増えた気がする。
「宝塚系」タイプみたいな、「私と貴方」というお互いの価値観を尊重し、「相手の目標の邪魔をしない」タイプはあまりお目にかからなくなった。
私がパートナー候補で尤も最重要視する項目だ。
「パートナーを診る目がない」と成長(成功)する可能性は低い。
診る目がない者は「容姿」でしか選ばない。
(加筆分)
夜職嬢は容姿に秀でているにもかかわらず、社会的身分は低い職業など選択肢は少ない。
よくXなどで不適切な発言して炎上しているのが証明している。
賢い女性ならいくら高収入でも、自分のスキルを駆使して「社会的な信用」と収入を得ることを考える。
昭和から平成初期までは多くのジャンルのTVドラマや映画、小説などで人を見抜く、勉強になる手本が沢山あった。
翻って令和の時代はどうだ?
お笑い芸人とアイドルなどほぼ参考にならない番組しか放送されておらず、書籍もこれまた選んじゃダメな相手しか作品に登場しない。
「離婚」が増えるのは当たり前だ…
本当は「深紅(ロッソ)のフォーミュラマシン」に乗るカペタが見たかった。
作者は『自分のキャリアの中でも一番執筆が愉しい作品だったかもしれません。~(中略)~しかし現実にラストページを描いた瞬間、何故だか突然思ったんです。「ナニがあろうとここまで描きたかった。そして、自分が書くべきなのはこのページまでだ」と。
最期はこのセリフで締められる。
『誰かが言った。
速くてもF1へ行けなかったドライバーは大勢いた。
「ずば抜けて」速くてF1へ行けなかった者はただの1人もいない』
劣悪な環境からスタートしても、言い訳や不満を口にせず、”その時出来る”ことに全力注力する。
「”才能”は周囲の人に夢を抱かせる魅力となる」
”運”は「日常の思考」と、口から出る「ことば」で引き寄せられる。
自分の目標にフォーカス(焦点)を定め、
「二度と来ないチャンス」
だと認識して逃さずに確実に掴む。
「チャンスは準備した者にしか訪れない」
「アイツは素質や才能があるから」
という人間はスポーツに限らずとても多い。
高校の部活で「他校との合同合宿」は全国大会出場には避けて通れない登竜門。
この時、同じトレーニングメニューを消化してタイムや勝負強さに差が出る。
差がつくのは「その目的と狙い・効果」を本人が理解してトレーニングしているかの違いでしかない。
指導者側は「強くなる秘訣は練習だけじゃない」と無言で部員に突き付ける。
それでもわからない者はとても多い。
これは別に学校のテストとは全く違う、「頭の良さ」が必要だ。
それに、いちいち教えることではない。
実際のレースでも「知らない、教わっていない」場面はいくらでもあるし、社会に出たら「教えてない・知らない」ことばかかりだ。
頭の悪い者は「学校が教えないのが悪い」と責任転嫁する。
(加筆分)
私は「おちこぼれ」が一番嫌いだ。
別に「勉強ができる/出来ない」の話ではない。
自分は努力すらせず「努力する者を馬鹿にしたり、見下す者」を言う。
過去にこのnoteで「オンラインゲーム依存者の特徴」を執筆したが、
「上から目線で偉そうに!」とご丁寧にコメントを寄越してきた若造がいた。
幼少から自分がナニも努力せず、努力から逃げて周囲から相手にされず、ただゲームを消化して「努力や達成」した気になっている。
現実の自分は「レベル1」のままなのに。
またPLAY中に汚い暴言を吐きながら他者を攻撃する性情を知っているので「そういうお前は真剣に努力したことが今まであるのか?どうなんだ?」と返した。
酷い奴になると最初から努力を放棄して、他人を見下すことで自分は優れていると思っている。
「秀でる者の影の努力」を決して見ようとしない。
「ネガティブな性格」や「劣等感の強い人間」を近付けさせないのも、『運』を引き寄せる大事な要素なのかもしれない。
(加筆分)
カペタを全巻揃えたのは2回で、自分を成長させたい時に読みたくなる。
capetaに負けてられねえ!
今でもそう思う。
この漫画を一言で言い表すなら、
「環境を言い訳にせず、僅かな希望と数少ないチャンスを確実にモノにして”縁”を活かす物語」
と言える。
