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自分ならもっとうまくできるのにな


2026年2月19日(木)朝の6:00になりました。

おいしいウイスキーが、飲みたいぜ。

どうも、高倉大希です。




線を引いて蜂から犬を守るゲーム、とか。

線を交差させずに同じ色の点を結ぶゲーム、とか。


動画を視聴していると、これらの広告がよく流れてきます。

プレイのようすを見せられるわけですが、大抵が下手くそです。


自分なら、もっとうまくできるのにな。

そんなことを思いながら、そのプレイを見守るわけです。


自分で学び、自分でできるようになったことは、自信が持てますし、疑いません。一方で、自ら体得する体験をともなわず、人から教わっただけのことには、なかなか自信は持てないものです。

玉城真一郎(2019)『「ついやってしまう」体験のつくりかた』ダイヤモンド社


自分なら、もっとうまくできるのにな。

言わずもがな、この感情こそが広告のつくり手のねらいです。


あえて、下手くそなプレイを見せて。

自分もプレイしてみたい、という欲を掻き立てます。、


術中にはまって、実際にダウンロードした人もいるはずです。

その意図がわかっていても、プレイしてみたくなるものです。


なにかにハマっていくときに、なぜハマったかがちゃんとわかると、そのプロセスを、別の機械に共感を呼ぶ手法として活かすことができますよね。

ほぼ日刊イトイ新聞(2019)「岩田聡はこんなことを話していた」ほぼ日


will、can、must。

人のモチベーションはこの3つでできている、とよく言われます。


will = やりたいこと、can = できること、must = やらねばならぬこと。

前述の広告の話は、人の can をくすぐっている事例です。


自分にもできそうだ、という可能性が見えると。

人のフットワークは、ぐんと軽くなるのです。


頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。少なくも自分でそういう気がする。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。どうにも抜けられない難関というのはきわめてまれだからである。

寺田寅彦(1948)『寺田寅彦随筆集 第四巻』岩波書店


このくらいなら、自分にもできそうだと思ったから。

呂布カルマさんが、ラップをはじめた理由です。


言葉を選ばずに言うならば、ラップをナメていたわけです。

ナメることができたからこそ、いまの彼の姿があります。


そう考えると、世の中ナメているくらいでちょうどよいのかもしれません。

大抵のことは、自分ならもっとうまくできます。






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