おばあちゃんの奇行?と、感情の解放について
昨日の記事で父のことを書いたら、祖母(父の母ですね)のことも思い出したので書いてみます。
とても不思議なことがありました。
祖父(つまりおばあちゃんにとっては夫ですね)が脳の病気で亡くなったのが、私が小学1年か2年のころだったと思います。
私はおじいちゃんにかなりかわいがられたし、
「知っている人が死ぬ」という体験は初めてで、理解を超えていたので、いろいろ納得いっていませんでした。お葬式でみんなが酒を飲んでいる時に、
「なんでおじいちゃんが死んだのに、みんな楽しそうに酒を飲んでるの?」
と聞いた記憶があります。母に怒られましたが、そこにいたおじいちゃんの友達が笑いながらこう答えてくれました。
「お前が逝っても俺たちは大丈夫だよ、ということを見せるためなんだよ」
その葬式から、いくらか経った頃です。
うちでは、仏壇とテレビが同じ部屋にあったんですね。で、私はテレビを観ていたか何かして、仏壇の近くにいました。
祖母が数珠を持って部屋に入ってきました。
お線香でもあげて祈るのかな、と思いますよね。
ところが、
「フオオオオオ!」
突然変な声を上げ始めたのです。
「家族を守り給えなんとかかんとかなんとかかんとか………(何言ってるかわからない声)」
念仏のような声で、自己流の祈り(だかなんだかよくわからないこと)を大声で、何かがとりついたような様子でしゃべりはじめたのです。
細かい言い回しは覚えていないのですが、その様子は、大人になってからテレビか映画で見た、
「ひたすら体を揺らしながら念仏を唱える僧侶」
みたいでした。
しかも、かなり長く続きました。
5分だったか10分だったか。
もしかしたら、正式なお経か何かだったのかもしれませんが、もちろん、当時小学生だった私にそんな知識はありません。ただ、「おばあちゃんが突然変になった!」ように見えただけです。
「おじいちゃんが死んだショックで、頭がおかしくなったのだろうか?」
と、幼心に思いました。
祖母は神がかった様子でいろんなことを祈り?終わると、スッと平静に戻り、何事もなかったかのように去っていきました。そして、あっという間に日常に戻りました。
なんだったんだろ、今の……。
と私は思いました。今でも思っています。
ただ、大人になってから思うのは、あれが祖母の「やりきれない思いの処理の仕方」だったのではないか、ということです。
祖母は戦時中に薬剤師をしていたのですが、戦後、制度が変わって仕事ができなくなりました。
新たな資格を取りたかったのですが、「子育てはどうするんだ」という夫の反対にあってできませんでした(今だったら「お前も子育てしろよ」で済む話なのですが……)。
祖父は、孫の私には優しかったのですが、
「女に教育はいらん!」
という生粋の昭和のオヤジで、娘(私のおば)も大学に行かせなかったような人でした。今だったら女性差別/モラハラですが、当時はこういう古臭い頑固親父が普通にいました(残念ながら、田舎の方には今でもこういう親父が生息しており、地方の女性が都会に行かざるを得ない原因となっております)。
おばあちゃんは頭が良かったので、本当は働きたかったのだと思います。年取ってから危険物の免許を取ったりしていましたし。
なので、亡くなった夫に対しても、過ぎ去った戦争や昭和の時代に対しても、複雑な思いがたくさんあったはずなのです。
そういうのが、あの仏壇で、
いっぺんに出たのだと思われます。
目撃したのは私だけでした。
あまりにも奇行だったので、たぶん誰にも話していませんでした(話しても信じてくれないと思う)。
ただ、その後、それまで私に冷たかった祖母が急に優しくなり、仲良く一緒に時代劇を観るようになったのは、あれを見られてたのもあったのかな、と思ったりします。
あれが、おばあちゃんなりの感情の解放だった。
祖母は、
「父に従い、夫に従い、老いては子に従え」
と教わって育った大正の女です。孫の私にも教育勅語の話とか平気でするので困りました。それが正しいと、本当に思い込んでいるふしもありました。
このフレーズの影響は、今でも日本社会のあちこちに見られます。
教育とは本当に怖いものだと思います。
女が軽く見られる時代に、
薬剤師になるくらい頭が良かった。
たぶん、生きにくかったのではと思います。
ああいう感情の解放の仕方、
私にはできないな、とも思います。
私はそもそも、自分の感情をうまく感じられないんですね。なので、表現も解放もできないんです。
だから、いつまでもひきずってしまう。
あの祖母の行動はかなり奇妙でしたが、
あの一瞬で全て終わらせて、
すぐに日常に戻った祖母は、
やはり、かなり強かったと思うのです。
(かなり困った人でもありましたが……)。
ただ、そんな祖母も、
息子(私の父)が自殺した時は、
ショックが大きかったらしく、
それまで服装をきれいにしていたのに、
私はすでに実家を出ていたのですが、
久しぶりに会った時、
真っ黒な服を着ていてびっくりしました。
なんか、いろいろどうでもよくなった様子でした。
強かった祖母も、逆縁(子供が親より先に死ぬこと)には耐えられなかったのかもしれません。
あと、祖母は私には優しかったのですが、知的障害のある弟妹の存在は完全に無視し、「うちにこんな子は産まれたことはない」とか言って障害を母のせいにしたりしていました。残念ながら、昭和初期を生きた世代は、障害というものを排除した世界で暮らしてきたため、理解する以前に「そういう人も存在する」ということすら認識できないのでした(今でも大多数の健常者は、障害者のいない世界が普通だと思っているふしがありますね。そこに確かに存在する障害者が見えていない、いや、あえて見ないようにしている。祖母と同じような行動をしている人、若者にもよくいます)。
欠点も多い祖母でしたが、うちの家族(おそらく全員発達/知的障害者)の中ではわりとマシな方というか、わりといい思い出として記憶に残っています。話が通じる数少ない人だったのですよね。頭が良すぎるせいで嫌味でしたが、声を荒げたり怒鳴ったりすることはほとんどありませんでしたから。
読んでくれてありがとう。
(どうでもいい余談)
日本って、感情を解放する場所があまりにも少ないですよね。感情的になること自体許さない雰囲気があります。大声を出していい場所は、ライブ会場やスポーツ観戦、カラオケくらいですかね。だからみんな推し活やプロ野球やJリーグに夢中なのかもしれないですね。感情を解放できる場所がそこにしかないから……あくまで個人的意見ですが。
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