私はユリアになりたい
以前、家で「北斗の拳」を見ていた。
北斗の拳とは、世紀末を舞台にした壮大な兄弟喧嘩の物語である。(と私は思っている)
そう思って見れば、案外話は分かりやすい。
夫と一緒に見ているうちに、登場人物を家族に当てはめる話になった。
長男はジャギだな、と私。
「兄より優れた弟などいらぬ!」
とか思ってそうだし。
「要は強ければいいんだ
どんな手を使おうが
勝てばいい!
それがすべてだ!!」
どんな手を使ってでも自分が優位なようにしたりするのは、まさに長男である。
そうなると次男はケンシロウかな。
そんな話をしていたら、夫が言った。
「俺はラオウだな〜」
いやいや。
ラオウみたいな覇王感はない。
私からすると、夫はサウザーだ。
椅子(ソファ)に座ったまま動かず、人に指示を出す姿は、むしろ聖帝サウザーである。
ケンカをしても自分から謝らない。
退かぬ、媚びぬ、省みぬ。
その辺も少し似ている。
数日後。
次男がソファに座っていた。
足を組み、妙に偉そうな顔をしている。
「何してるの?」
と聞くと
「サウザー」
と答えた。
なるほど。
パパの真似をしているのか。
子どもは本当によく見ている。
次男から見たらパパはサウザーなのである。
ちなみに、長男が描くパパの絵は、
だいたい寝転がっている。
次男が真似するパパは、ソファに座り、足を組み、スマホを持っている。
本人はラオウだと思っているらしいが、子どもたちから見たパパはそういう人らしい。
そして私は思った。
私はユリアになりたい。
北斗の拳のヒロイン。
美しく、優しく、みんなから愛される存在。
周りを癒す慈母のような優しさを持っている。
そんな話を夫にした。
すると返ってきた言葉は、
「ママは、山のフドウかな(笑)」
だった。
北斗の拳を知っている人なら分かるだろう。
フドウは立派な人物だ。
強いし、優しいし。
でも、夫が私をフドウに例えた理由は、そういうことではない。
最近、少し太ったからである。
少しだ。少し…。
それにしても失礼極まりない。
自分だってハート様みたいなお腹してるじゃないか。
実は以前から、家計簿をつけながら自分のことを女神だと思うことにしている。
税金も。
子供にかかるお金も。
生活にかかるお金も。
「取られる」のではない。
「支払っている」のではない。
女神である私が、民に富を分け与えているのだ。
巡回させているのだ。
そう思わないとやっていられない。
そんな時の私の中の女神像はユリアなのである。
私はユリアになりたい。
夫はラオウになりたい。
しかし子どもたちから見た夫はサウザーで、
夫から見た私は山のフドウらしい。
理想と現実は、だいぶ違う。
そんなわけで、我が家の北斗の拳配役はなかなか意見が合わない。
もっとも、兄弟喧嘩の絶えない我が家には、世紀末くらいがちょうどいいのかもしれない。
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