名もなき家事はこうして増えていく
嫌いな家事がある。
いや、家事なんて好きなもののほうが少ない。
好きなのは掃除くらいで、ご飯作るのも、後片付けも洗濯も面倒くさいけど、誰もやってくれないから仕方なくやってるだけだ。
やらなくていいなら、やりたくない。
その中でも、地味に嫌なのがある。
ペットボトルや缶を洗って、乾かす、ラベルを剥がす。
これが、地味に面倒くさい。
なぜなら、私は家でペットボトルの飲料をほとんど飲まないからだ。
冷蔵庫には、麦茶と緑茶を常に作ってある。
私はそれを飲んでいる。
たまにコーヒーが飲みたくなったら、インスタントコーヒーがある。
それで十分。
でも、旦那と長男はペットボトルの飲み物を飲む。
家のすぐ近くに自販機があるというのもあるのかもしれない。
そして旦那は、毎日晩酌する。
帰りに缶チューハイを買ってきて、家で飲む。
旦那は帰ってくるのが遅い。
帰ってきて少しすると、私はもう寝る時間。
子どもたちも寝ている。
そして朝。
テーブルの上には、昨日飲み終わった缶チューハイ。
もれなく、コーヒーの入ったペットボトルなんかも置いてある。
私はそれを片付ける。
洗う。
乾かす。
ラベルを剥がす。
捨てる。
……面倒くさい。
自分で飲んだのなら、自分で洗ってくれ。
そう思う。
長男もそうだ。
部屋でペットボトルの飲み物を飲む。
空になったら、洗って乾かしてほしい。
なのに、部屋から空のペットボトルが何本も出てくることがある。
そして、それらがテーブルやシンクに置かれる。
洗わずに放置されているペットボトルは、時間が経てば経つほど邪魔になる。
ご飯を作るためにシンクを使いたい。
テーブルの上も片付けたい。
だから結局、私が洗う。
毎日、何本も。
ふと思う。
飲み過ぎではないだろうか。
ペットボトルも缶チューハイも、値上がりしている。
冷蔵庫には麦茶も緑茶もある。
なぜ、それを飲まないのか。
そして何より、
なぜ、自分以外が飲んだペットボトルや缶を、私が洗わなければいけないのか。
シンクまで持ってくるなら、そのまま簡単に洗ってくれてもいいじゃないか。
それができないなら、飲むな。
……と言いたい。
そして、もう一つ。
私が地味に嫌なのが、コップ問題だ。
特に子どもたち。
飲み終わったコップをシンクに持っていく。
ここまではいい。
ちゃんと持ってきている。
えらい。
でも、また喉が渇いたら、新しいコップを出す。
そしてまたシンクへ持っていく。
また新しいコップを出す。
またシンクへ。
新しいコップ。
シンク。
新しいコップ。
シンク。
そんなことを繰り返していると気づいたときには、
「今日、なんかパーティーでもした?」
というくらい、シンクにコップが並んでいる。
いやいやいや。
ちょっと待って。
さっき使ってたコップ、まだ使えるよね?
また後で飲むなら、そのコップをもう一回使えばいいじゃん。
一人一個でいいじゃん。
どうして一日に何個もコップを使うんだ。
もちろん、衛生面とか、飲み物が違うとか、いろいろあるのは分かる。
でも、同じ飲み物をまた後で飲むなら、そのコップ、もう一回使おうよ。
私はそう思ってしまう。
こう考えると、私は家事そのものが嫌いなのではないのかもしれない。
いや、家事そのものも、もちろん好きではない。
でも、
必要以上に増えていく家事が嫌なのだ。
以前、私は「詰め替え戦争」という記事を書いた。
洗剤などの詰め替えが嫌で、意地でも詰め替えたくないという話。
詰め替えすら嫌がる私が、毎朝、何本ものペットボトルを洗っている。
なんだかおかしい。
でも、ペットボトルは洗わずにいると、テーブルの上やシンクにどんどん溜まっていく。
コップだって、使うたびに新しいものを出されれば、洗い物がどんどん増えていく。
そして、その増えたものを片付けるのは私。
こうやって、家の中には「名もなき家事」が少しずつ増えていく。
一つ一つは、本当に小さい。
ペットボトルを一本洗う。
コップを一つ洗う。
缶を一つすすぐ。
たったそれだけ。
でも、それが毎日何本も、何個も積み重なっていく。
だから私は思う。
自分で飲んだものくらい、自分で片付けてほしい。
そして子どもたちには、
まだ使うコップなら、もう一回使ってほしい。
私はただ、それだけをお願いしたい。
そう思いながらも、また今日もペットボトルを片付けている。
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