家族の健康を願う、月に一度の習慣
今年の春ごろから、月に一度、近所の神社へ参拝するようになりました。
きっかけは、ポッドキャストの「愛の楽曲工房」で神社への参拝について聞いたことです。それまでは、神社というと何かをお願いする場所という印象が強かったのですが、「感謝を伝える」という参拝の仕方を知り、興味を持ちました。
できれば毎月1日に行く。難しければ、その月のうちに行く。
そんな緩い決まりで続けています。
今月は予定が合わず、参拝できたのは7月21日でした。それでも「遅くなったから、今月はもういいか」とはならず、今月の参拝がまだできていないことが、どこか心に残っていました。
朝早く起きられた日に、ようやく神社へ向かいました。
参拝中は、感謝することだけを考える
神社までは、家から一人で歩いて行きます。
境内は比較的静かで、落ち着いた雰囲気です。今月は茅の輪くぐりをしてから、二礼二拍手一礼でお参りしました。
参拝するときに伝えるのは、毎月ほとんど同じことです。
「今月も家族が健康に過ごせました。ありがとうございます」
「これからも家族が健康に過ごせますように」
参拝している間は、仕事のことや、その日にあった嫌なことから少し離れ、「ありがとうございます」と伝えることに集中します。
行く前と後で、気持ちが劇的に変わるわけではありません。悩みがなくなるわけでも、何か大きな答えが見つかるわけでもありません。
それでも、感謝だけに意識を向ける時間を持つことで、気持ちが少し落ち着くように感じます。
家族の健康は、生活の土台にある
神社で家族の健康を願うとき、具体的な出来事を一つずつ思い浮かべているわけではありません。
ただ、家族の健康は、私たちの生活の土台にあると感じています。
普段は、健康について毎日意識しているわけではありません。しかし、子どもや妻、自分が体調を崩せば、仕事を休んだり、予定を変えたり、病院への受診を優先したりします。
何より、家族が体調を崩せば心配になります。
仕事やお金など、願いたいことはほかにもあります。それでも参拝では、一番大切な土台である家族の健康だけをお願いしています。
月に一度、そのことに立ち返る時間になっています。
言葉にするより、実際に足を運ぶ
毎月参拝することに、はっきりした効果があるとか目的があるわけではありません。
ただ、「家族の健康に感謝しよう」と頭で考えるだけではなく、実際に神社まで歩き、手を合わせる。その行為を自分の身体で行うことに意味を感じています。
うまく言葉にはできませんが、決めたことを実際に行えたという感覚が残ります。
厳しく決めすぎないから続けられる
「毎月必ず1日に行く」と決めていたら、おそらく続かなかったと思います。
平日は仕事や朝の支度で慌ただしく、土日も予定が入ります。一度行けなかっただけで習慣が途切れたように感じてしまうかもしれません。
毎月1日は目安にする。でも、難しければその月のうちに行けばよい。
目安の後ろに少し余白を持たせることで、無理なく続けられています。
参拝を続けている理由は、一つではありません。
感謝に集中できること。
気持ちを落ち着ける時間を持てること。
家族の健康という土台に立ち返れること。
歩く機会になること。
そうした小さな意味が重なり、今では少しずつ生活のリズムになりつつあります。
まだ完全に定着した習慣とは言えないかもしれません。
それでも、できれば毎月1日に。難しければ、その月のうちに。
これからも月に一度、家族の健康に感謝するため、神社へ歩いて行きたいと思います。
