ネジ14個飛ばして書いた卒業答辞
私、高校の時結構成績優秀で。卒業式の時答辞を読みたいって思ってから頼まれてすら無いのに答辞にするための内容を考えていたことがあるんです。
結局作りきれず自分が書きたい部分だけ書いて終わったのですが、最近すごく落ち込んでいた時、それを思い出して元気が出たので私の答辞を初めて人と共有しようと思います。
以下
学問は現実で、現実は学問に基づいています。
力学的エネルギーは、問題上では保存されますが現実で保存されることはありません。現実の世界には、計算で求め尽くすことのできない様々な力が物体に働き続けているからです。これを人生にも応用します。何か苦しいことがあると、私たちは自分がずっと同じ場所をぐるぐると回っているような気分になります。高校物理の円運動の問題と同じように考えるならば、力学的エネルギーは保存され、人間はその場所を動けません。ずっと同じところを回ったままです。ですが、現実は違う。その人は必ず別の場所に行きます。同じ場所を回っていても、自分の意思でも環境でも、どんなものでも外力として必ず自分に影響して、必ず別の場所に行けます。その別の場所がどんな場所かは分からない、別の円軌道上に飛ばされるのか、止まるのか、直線を行くことになるのか、分からないけど、時間は流れて、人生は続いています。
一部今の私が書き直した部分はありますが、ほとんどが高校3年の1月4日に書いたものです。共テ前にこんなん書くのほんとに狂ってますね、実際狂ってました。ネジを14個くらい外さないとあの時私はやっていけなかった^ ^
卒業式の答辞って本来学校生活を振り返る趣旨があると思うので、こう見ると本当に答辞にはなり得ない内容なんですが、私はこれを級友に伝えたかった。特に受験期は、ずっと同じ自分の足りない部分を直しているような気持ちになって、このままでいいのか、間に合うのか、なんでまだこんなところやってるんだって気持ちが早ることが多かった。受験だけの話ではなくて、家族のこととか友達のこととか、人間関係とか勉強とかで悩むと、もう一生、この自分の欠点で悩んでいくんだって思う感覚って結構そこら辺にある。私はそうだった、今もそう。だから、卒業式でこの話をしたかったんです。
このエピソードの下に、こんなのも書いてありました。
同じ場所を回り続けても止まっても大丈夫だから、ぜったい生きる道から外れることだけはしないでください。逃げることも正面から向き合うことも同じ戦略の一つです。
これを読み返してから、この続きを書きました。
今でもこれは、級友に伝えたいこと。もしかしたら今だからこそ伝えたいこと。
最後に、人が物理の問題の回り続ける球だとしたら、私たちはみんな別の軌道上にいます。だって同じ軌道上に居たら会うことはできない。そして別の軌道の中でちょっとだけ横に並んだとか、交わったとか、そういう一瞬を共有して分かち合っています。私たちはこれから別々の進路を辿る、交わった点からは遠ざかる。でも別にそこに別れはない。誰も知らない軌道の変化が起こって、私たちはまた出会うことができます。それぞれが飛んでいった先で会うことが出来たらきっと嬉しいです。会わなくてもあのとき同じ苦しみを経験した子たちがいると思えば、私に力をくれます。
皆さんのこれからに幸せが溢れますように。
私の級友ではない皆さん
私の卒業答辞を聞いてくださりありがとうございます。
球が回りすぎて擦り減り無くなるその日まで、私は回り続けようと思います。
