メモを取るべきか、話を聞くべきか。教わるときの永遠のジレンマ
新しいことを人から教わるとき、みなさんはどうしていますか?
手元のノートにペンを走らせて必死にメモを取るか、それとも、まずは相手の顔を見て話を聞くことに集中するか。これ、働き始めてからずっと考えているのですが、意外と「絶対的な正解」がわからない問題なんですよね。
「メモを取れ」と「まずは話を聞いて」の板挟み
当然、1度聞いてすべてを理解して、完璧に実践できるのがベストです。でも、現実にはそんな天才的なことができる人は稀です。 仕事をしていると、2度目、3度目と同じことを聞いてしまい、「それ、前も説明したよね…」「言われたことはちゃんとメモとってよ」と呆れられた経験がある人も多いのではないでしょうか。私自身、教える側に立つとその気持ちも痛いほどよく分かります。
では、言われた通りにすべてをメモしよう!と意気込んで、相手が話している最中に必死でペンを動かしていると、今度は「今はまず、メモを取らずに話を聞いて」とたしなめられることがあります。
教える側からすれば、メモを取ることに必死で肝心の全体像を聞き逃しているように見えたり、「そこは重要じゃないからメモしなくていいのに…」という些細なことまで書き留められたりすると、説明のテンポが狂ってイライラしてしまうのかもしれません。 「メモを取れ」と言われたり「話を聞け」と言われたり、結局どうすればいいの?と迷子になってしまいますよね。
学生時代の「個人戦」と、社会人の「チームプレー」
よくよく考えてみると、こういう葛藤って学生時代にはあまり感じませんでした。会社に入ってから直面することが圧倒的に多い問題です。 学生時代の勉強はあくまで「個人の成績」ですが、会社の仕事は組織としての活動です。教える側も、早く仕事を覚えてもらってチームの戦力になってほしいという目的があるため、いわば「チームプレー」を成立させるためのコミュニケーションが求められているのだと思います。
かくいう私は、学生時代はノートを取るのは最小限にとどめ、とにかく授業を「聞いて覚える」タイプでした。当時は、それだけの記憶力や、スッと頭に入ってくる理解力があったのだと思います。
衰える記憶力と、理解を邪魔する「思い込み」の壁
でも、今はそうはいきません。 悲しいかな記憶力は確実に低下していますし、何よりも厄介なのが「思い込み」が新しいことを理解する邪魔をしてくることです。
例えば、もし私がまだスマートフォンが存在しない時代にタイムスリップして、突然iPhoneを見せられ「これが新しい電話です」と教わったとします。 きっと私は「え?受話器はどこ?」「ダイヤルボタンがないけど、どうやって電話をかけるの?」と大混乱するはずです。受話器という物理的な形がなく本体と一体化していることや、そもそも「電話」という機能がアプリで管理されているという概念を理解するのに、むちゃくちゃ時間がかかる気がします。 経験を重ねた分だけ「電話とはこういうものだ」という固定観念ができあがっていて、まっさらな状態で新しい知識を吸収しにくくなっているのです。
記憶力に自信がなくなり、思い込みというフィルターまでかかってしまっている今の自分にとって、何かを新しく教わるというのは想像以上にエネルギーのいる作業です。
結局どうする?教わる側にも求められる「見極め力」
結局のところ、メモを取るべきか、聞くべきかというジレンマに対する答えは、「教えてくれる人に敬意を払い、相手のタイプを見極める」ということに尽きるのかもしれません。
この人は「メモを取りながら真剣に聞いてほしい」タイプなのか、それとも「まずは目を見て、全体の流れを理解してほしい」タイプなのか。教わる側は、ただ漫然と知識を受け身で待つのではなく、その塩梅と相手の性格を観察しながら「教わり方」をチューニングしていく必要があるのでしょう。
「教わる」という行為もまた、相手との呼吸を合わせる大切なチームプレーなのだと、改めて感じています。
