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光明寺道標 (鵜の木特別出張所) #255

※本記事は
 Otapedia公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
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光明寺道標

環状八号線から
多摩堤通りに入った
「区民プラザ入口」
交差点に建つ
この史跡は
高さ140cmを超える
石造道標が建っています。

歴史を感じさせる石碑
折れた様子がわかる

由来

1851年 (嘉永3年) 3月
矢口村 北島谷五郎らが
願主となり
建立されました。

関連は不明ですが
現代において、
「北島 (北嶋)」という姓は
新田神社周辺に
多く見受けられます。

幕末に
この道標を建立した
人々の想いが、
今もこの土地に
根差していることを
強く感じさせてくれます。


平間街道

に設置された道標で
交通の要衝であったことがわかる。

池上本門寺の前を通り
品川方面
平間の渡しを渡り
鎌倉に至る古道であった。。

奥が環状八号線
品川方面

一部が光明寺に保管

上部は
折れており
近くの光明寺に
「保管」されている。

本門寺の山門

関連する道標①

品川区
荏原町商店街の中
庚申堂の脇にある
天明三年 (1783) 
銘石造道標
には
「是より 
 右うの木光明寺道 
 左池かみ道」
とこちらにも
光明寺の名前が刻まれ
古刹であることがわかる。

品川区の史跡に指定されている

関連する道標②

下丸子の
住宅街の中にある道標

平間街道は
中世の鎌倉街道であったと
記されている。

平間街道と地蔵尊
下丸子3-8
特に名称はなく
地蔵尊となっている

最後に

175年前から
この場所に建ち
人々が行き交うのを
見守ってきたこの石碑。

Otapediaは
本門寺道標を
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
この石碑が
建立された3月を
「大田区記憶の日」
として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 鵜の木回顧
 光明寺道標 大田区役所
 江戸時代の要所 光明寺道標 天王洲 貝氏

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