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羽田の大鳥居『呪いの大鳥居の移設』【2月4日 今日は何の日】(羽田特別出張所) #228

※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁じます。
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27年前の今日
──「羽田平和の大鳥居」移設の記憶

羽田の象徴である
「大鳥居の移設」が行われました。
長く動かせなかった鳥居が
ついに動いた日です。
今回は
鳥居の歴史を紐解いてみます。

本文には、
当時の状況や 
地域に伝わる話をもとにした 
推察を含みます。


大鳥居の略歴

1929年 (昭和4年) 
現在の京浜急行によって
奉納されたのが、
現在の大鳥居の原点です。

現在は
東京国際空港記念建造物」
として国が所有し、
維持管理は、
「みんなの羽田ボランティア推進の会」
が担っています。


羽田の接収と強制退去

1945年 (昭和20年) 8月15日
敗戦国となった日本は
連合国によって
各地を接収された。

同9月21日
穴守稲荷神社を中心とした
羽田穴守町の住民に対して
48時間強制退去指令が出され、
1,320世帯2,894名の住民は、
羽田から
退去せざるを得ませんでした。

空港内に乗り入れていた
稲荷橋駅–穴守駅間は
営業の意味を失い、
9月27日から
運転を取り止めました。

その後連合軍は、
現JRと京浜急行を繋ぐ
蒲蒲連絡線 (通称) を敷設
現・京急空港線の
線路も利用して
物資の搬入を行いました。

羽田穴守町だった場所は、
Haneda Army Airbase
 (ハネダ・アーミー・エアベース)
と呼ばれるようになりました。

蒲蒲連絡線が通っていた通り(左)
蒲田八幡神社前より
撮影:Otapedia
当時使われていた鉄橋が
今も残されている
撮影:Otapedia
2025年12月6日

呪いの鳥居の撤去

当時の羽田空港は、
規模は小さかったので
軍用基地拡張のため
穴守稲荷神社を中心とした
街の撤去を行い始めた。

しかし、
門前の鳥居の
撤去をしようとすると
ロープが切れて
作業員がけがをしました。

その後も工事関係者が
病死をするなど
不幸が立て続けに起こり、
いつしか
「呪いの鳥居」
言われるようになりました。


空港の返還

1952年 (昭和27年) 7月1日
サンフランシスコ
対日講和条約
に伴い
大部分が返還され
1958年 (昭和33年) 7月1日
全面返還となりました。
名称は
「東京国際空港」
と改称されました。


移設されずに残り続けた大鳥居

大型旅客機離着陸増加に伴い
騒音問題が深刻化し、
空港の拡張工事が必要となった。

しかし、
鳥居の撤去は行われずにいた。

それは、
触れてはいけないものという
暗黙の認識があったのかもしれない。

空港内駐車場に残された鳥居
大田区郷土博物館 所蔵

新滑走路拡張に伴う鳥居移設問題

羽田空港開港50年にあたる
1981年7月22日には、
新B滑走路展開に伴う
鳥居移設計画が持ち上がり、
当時の穴守稲荷神社宮司は
「由緒正しい鳥居であるから
 そのままにしておくこと」

総代らと連名で
大田区長に陳情した。
また当時の大田区助役も
鳥居を取り払う場合には、
日本のしきたりに基づいて
相応のお祓いをするよう
当時の運輸省へ申し入れた。

取り壊しになる場合は
ミニ鳥居を作るなどという
話も出たようだ。

写真:穴守稲荷神社
撮影:Otapedia

本格的な鳥居移設への動き

1994年
羽田空港新B滑走路の
供用が開始され、
1998年12月4日には
国が鳥居の撤去費用
約4,000万円
航空各社が約2,500万円
負担することとなり
1999年2月3日撤去
翌4日移設と決定した。


移設の詳細

「呪いの鳥居」
ということもあり
大手ゼネコン各社は
工事の参加には
消極的だったようです。

最終的には
鹿島建設
施工を担当し、
現場の警備を担ったのは
蒲田に営業所を持つ
警備会社でした。


当日現場にいた警備員が見た光景

移設当日、
現場には、
忘れられない瞬間があった。
その場にいた警備員は、
こう語っている。 

「7名ほどの警備員で
 任務にあたった。

 当日の天候は
 肌寒く曇っていた。

 移設の準備が進み
 いよいよ移設という
 段階になったところで、
 鳥居の上空にだけ
 黒い雲の塊が
……。

 すると突風が吹き、
 鳥居の近くにいた
 一人の警備員の制帽が
 飛ばされた。」

と語られています。

それはまるで
「もう動かしていいよ」
という鳥居からの
合図のようだったと、
振り返られています。

AIによる当日のイメージ

移設作業

埋設部分されていた
基礎部分を掘り起こし
鳥居本体を
横に寝かされたうえで
行われた。

移動速度は
時速5kmという
ゆっくりとしたもので、
丁寧に運ばれた。
作業は
順調に進み
無事に現在の位置へと
移設された。


現在の大鳥居

鳥居名:「羽田平和の大鳥居」
広場名:「羽田平和の大鳥居楽園ひろば」
共に「みんなの羽田ボランティア推進の会」
によって命名されたものである。

今では
地元の方々以外にも
ランナーや
サイクリストたちも集う
憩いの場所となっている。

羽田の氏神でもある
移設された鳥居は、
日々空港を見つめながら、
今日も航空の安全を
見守ってくれています。

この鳥居は、
3年後に100歳を迎える。
その節目には、
盛大に祝われるのだろう。

羽田平和の大鳥居
最寄り駅
京浜急行空港線 天空橋駅
大鳥居の歴史を伝える銘板
鳥居のそばには
羽田を開拓した
鈴木弥五右衛門の碑も建っている

最後に

Otapediaは
鳥居を奉納した
京浜急行と
移設をした
鹿島建設
そして
警備を担当した
警備会社を
「大田区無名の企業」
として
みんなの羽田ボランティア推進の会を
「大田区無名の組織・集団」
羽田平和の大鳥居と
羽田平和の大鳥居楽園ひろばを
「大田区無名の風景」
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
呪いの鳥居が移設された
2月4日を
「大田区記憶の日」
として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.みんなの羽田ボランティア推進の会
 2.Wikipedia 東京国際空港
 3.Wikipedia 蒲蒲連絡線 (通称) 
 4.廃止鉄道ノート
 5.警備に就いた警備員の証言
ヘッダー
 6.空港内に残る鳥居 昭和41年8月
   大田区立郷土博物館 所蔵

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